基礎練習は、今に集中できる時間
私にとって基礎練習は、自分と向き合う大事な時間だったのかもしれません。
感覚的に心地いいということは自分に合っているということなんだと、改めて思いました。
私は中高と吹奏楽部に所属し、パーカッションを担当していました。
はじめは「いろんな楽器ができて楽しそうだな」という理由で選びましたが、「6年間を振り返って一番好きだった時間は?」と聞かれたら「基礎練習」と答えると思います。
あんなにたくさん楽器があるのに…
パーカッションの基礎練習は、練習パッドをスティックで叩くというものです(各楽器ごとにもありますが、土台となる練習はこれです)。
↓ 練習パッドはこんな感じのやつ
高校時代に買ったものを、今でもたまに叩いています。
といってもここしばらくは叩いていませんでしたが、最近は音楽をやりたい欲求が高まっているため、久しぶりに叩いてみました。
以前から思っていたのですが、基礎練習って瞑想みたいだなと今回改めて実感しました。
言い換えると、自分に集中する時間。
手や腕の動き、スティックの感触、左右の音のちがいなど、あらゆる感覚に意識を向け、今なにが起きているのかに集中する。
左右の持ち方の微妙なちがいを揃えたくて、なにがちがうんだろう?と感覚を研ぎ澄ませてみたり、そもそもの立ち方を気にしてみたり。
その時間は、間違いなく今に集中していると思うんです。
よく「今に集中しましょう」とか言うけれど、正直全然できなくて。すぐになにかを考えてしまいます。
でも基礎練習をしているときは、過去や未来のことは考えていないなぁと思います。
無心になって、ただ「いい」と思う状態に近づこうとしている。
それが気持ちいいのかもしれません。
部活をやっていた頃は、毎日のように基礎練習をしていました。
廊下で、ドアについたガラスを鏡替わりにしたり、誰もいない部屋を見つけてひとり黙々と集中したり。
どこか別世界に行ったような感覚で、つい時間を忘れることも。
そんな時間で、私は自分と向き合っていたのかもしれません。
今のような「自分はなぜそう感じたのか?」を深掘るような向き合い方とはちがいますが、人間関係の悩みなどから距離を置いて頭を空っぽにする時間を、あの頃は取れていたんだなと気づきました。
浄化する時間、とも言えそうです。
そんな無意識の習慣によって、私は心のバランスを保てていたんだなぁと思います。
最近見つけた心地よさは、〈湯舟に浸かりながら、お湯の中で優しく手足を揉む〉というものです。
感覚を頼りに、自分が心地よさを感じる空間・時間を見つけていければ、自然といい状態に近づいていくような気がします。
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