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母と笑い話にできた、父の不可解な行動

久しぶりに我が家で珍事件が起き、改めて「世界の見え方や感覚は人それぞれだなぁ」と思わされました。

「なんでそうなるの!?」と思ってしまう時期もあったけれど、今回はほっこり笑い話として受け止めることができました。


これは、以前似たようなことがあったときの記事です。その名も『4人家族なのに1人で2/5個食べちゃう事件』(ぜひこちらも読んでみてください)。

これは兄のエピソードでしたが、今回は父が主役です。


昨日、母がスーパーでワッフルを買ってきてくれました。

2個入りのものを二袋。

つまり、4個あることになります。


私と兄はそこにおらず、父と母だけがいる空間での出来事でした。

父が先に夕食を食べ終え、いつものように食後のデザートを取りに行きました。冷蔵庫の中にあるワッフルを見つけ、食卓に戻ってきます。

母が「11個だよ」と伝えました。


しばらくすると、袋は空になっていたそうです。


「あれ!2個食べちゃったの?」

と母がいうと、

「なんだよ一袋で1個ってことじゃないのかよ〜」

と返ってきたそうです。


母にとっての1個:袋に入っているワッフルの数
父にとっての1個:一袋

という認識のズレがあったようです。


父いわく、はじめは2個入りと気づいておらず、途中で「あれ?2個入ってる」と思ったそうです。

母や私だったら2個入っていることに気づいた時点で「1個ってことはもう1個は残した方がいいってこと?」などと確認するところですが、確認せずに食べてしまうのも父らしいというか…


そもそも冷蔵庫に二袋しかないのだから、4人で分けるとしたら一袋を2人で食べるのかなという想像が働いてもいいような気がするのですが、おそらく父は

・何袋あるか気にしていない
・自分が食べることにしか関心がない
4人で分けることを想定していない(そこには父と母しかいないから、自然とも言える)

という感じなのだと思います。

考え方がシンプルとも言えるし、他の人のことを考えていないとも言えると思います。


今回の件は、母の説明が足りなかったのも関係しているので、お互い様という感じで終わったそうです。

そして今日、母と私の間で笑い話になりました。

今までは「ちょっと考えたらわかるでしょ!」とイライラしてしまいましたが、なんだかもう、今では可愛く思えるようになりました。


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『発達障害の人には世界がどう見えるのか』という本を読み、前より父や兄の感覚がわかるようになりました。

それと同時に、今までの自分の接し方が良くなかったことにも気づき、申し訳なさを感じています。

過去は変えられないけれど、せめてこれからは、いろんな感覚を知っていきたいと思います。


この本の中で、ASD者には

・「木を見て森を見ず」の傾向がある
・エゴセントリック(自分中心)に世界を捉える特性がある

ということが書かれていました。


きめ細かく見るのを得意とするASDの人にとっては全体像を掴むことが難しかったり、他者中心で俯瞰的に捉えることができない可能性があるそうです。


なんらかの原因で脳の活動の仕方に違いが生じ、それによって他者との違いが生まれるということ。

そして、程度が違うだけで、自分自身にもそのような傾向があるということ。

それらを知ったことで、父や兄を責める気持ちは薄れていきました(とはいえ、時には「もう!」と思うときもあると思います。それはそれで仕方がないかなと)。


さまざまな特性に濃淡があり、人によって組み合わせが違うだけなのかもしれません。

そして、どちらが良いとか優れているとかの話ではない。


自分からすると父の感覚がよくわからないように、父からしたら私の感覚がよくわからないわけで、誰しも自分以外の感覚など本当の意味ではわかりっこない。

そのことを忘れ、「自分の感覚が他の人にとっても正しいはずだ」と思ってしまうことが問題なのだと、肝に銘じておこうと思います。




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