悔しさの正体は何だ

私、一緒に住んでいる人がいるんですけど、
その人の存在がすごくプレッシャーなんです。
彼はとても出来る人で、年齢とか関係なくどんな状況になってもきっと乗り越えていける力を持っている存在です。
私は、同じことで悩み続けて、それを悔しがっているだけです。
何をするのにも悩んでしまうし、手が付けられないし一つ一つのことに対してまるで自信がありません。

彼の存在が大きすぎて、自分がとても後ろめたいです。
実家で暮らす母のことや、これからの生活を考えた時に、私は彼にとって何がプラスなんだろうと考えます。というか、自分の小ささにすごく嫌な気持ちになるのです。彼に対して自分が何もできなくてもいいのです、むしろ離れていってほしい、自分に対して何かしてくれなくていい、自分に対する私の評価と同じようにどんどん追い抜いて置いていってしまえばいいのです、私には何も出来ることもないし、何の良いところもないから。だから一向に仕事が決まらないし、つなぎの仕事ですらすぐにダメにしてしまう、そんなことをしていたらほら、今日みたいにこんなに簡単に追い抜かれてしまいました。

自分はダメな人間です。何もできない人間です。

もう何もしたくありません。生きていたくありません。

涙出画面が滲みます、自責の念しかありません。やらないといけないことをやらずにやらなくても良いことばかりしてきた結果が今なのです。それなのに悔やんでいるのです。

人前で自己表現がうまくできません、こういう気持ちになった時いう気持ちになった時に抜け出す方法は簡単です。ヤマト運輸のお兄さんに今救われた気持ちになりました。

こっちの方向へ矢印を向けているのは自分自身なのです、それでも何かしらの思いも寄らないアクションがないと、すぐさま引き摺り込まれてしまいます、私の中には闇が多く潜んでいます。今は顔を引っ込めているだけです。たまたまです。

彼はとても出来る人です。私には勿体無いとかそういう問題ではなく、私は彼に嫉妬しない人間となりたいのです。自分と奴を比べ、余計な心労を抱えることのない人となりたいだけなのです。それなのにどうしてでしょう。

今たまたまに出来ないことと、今たまたまに出来てる彼を見比べようとします。「たまたま」じゃない理由を見つけようとします。

だってどう考えても偶然ではありません。彼がこれまで、いろんな人と出会い、考え、話をしてきた今なのです。能力のある人なのです。

私は、違います。取り繕っているだけです。出来ないことを出来ると言ってそのように見せかけようとしているだけです。

悔しいのです。自分が想像以上に出来ないことが本当に悔しい。

やらなきゃいけない。さっきも、そう自分自身に誓ったはずでした。でもそれがどうしても私には難しいようで、またこのような気持ちになってしまいたした。

自分に嘘をつき続けると、本心を曝け出すことが難しい。

自分自身を理解することが本当に難しい。

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