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【エッセイ】「嫌い」と向き合うことーなぜあなたはデブが嫌いなのか

デブに対する風当たりはいつの時代も厳しいものである。デブが嫌われる理由はさまざまある。体積が大きくて邪魔、臭い、動きがノロい、見ていて暑苦しい、など。酷いときだと、「デブは怠惰の証拠!」と人格否定にまで至る。

ちなみに、デブが実際に邪魔で、臭くて、ノロくて、暑苦しいことは、実はそんなにない。満員電車で同じ車両に乗り合わせると、「なんだよ、倍の運賃払えよな」と少し思うくらいだ。それでは、なぜこんなにもデブは嫌われるのか。そこには、人間の至極根源的な精神の働きが介在していると考える。

『「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」

 ミトおばさんが教えてくれたオレの好きな言葉なんだ。

 オレには、2人が怒っている理由はとても大切なことだと思えるんだ。』

『HUNTER×HUNTER』第1巻

デブのことが嫌いな人は、デブに対して怒っている。そしてその怒っている理由は、きっと大切なものだ。怒るというのはそれなりの体力を使うものだから、人は大切なことのためにしか怒らない。引用の通り、ミトさんも言っているので間違いない。

その大切なものとは、自身の痩身や美容への熱意や努力である。人は、自分が大切にしているものを大切にしていない人を見ると腹が立つ。自分が大切にしているものが大したものではないと間接的に攻撃されているような気がして、居ても立っても居られず、腹を立て攻撃する他なくなる。

「私はこんなに努力して、痩せて、見た目を綺麗にしようとしているのに、この女はこんなに太ってて不細工なのに幸せそう」
「これではまるで、必死に努力して苦しんでいる私が、バカみたいじゃないか」
「いや、そんなことない、デブなんて邪魔で、臭くて、ノロくて、暑苦しくて、最悪だ」…………

自分の大切にしているものや努力を価値あるものと措定するため、人は、自分と異なるものを大切にし、自分の大切なものを軽視する他者を否定せざるを得ない。ここでいう他者の否定は紛れもなく、努力をしていないifの世界の自分、あるいは努力をしていなかった過去の自分の否定である。

私自身も、最近それなりのダイエットに成功してから、他人の体型に対して見る目が厳しくなった実感がある。痩せたいと言いながら外食が辞められなかったり運動を嫌がったりする人を見かけると無性にイライラさせられた。短いスカートから伸びる太い足にも、太い足を隠すロングスカートにも腹が立った。何もかもに攻撃的になった。

イライラするだけなら良いが、イライラさせられるたび、目の前の他者に対する嫌悪や怒りは、自然と過去の自分へのそれに転嫁されるので最悪だ。「なんて醜く太った足!(私も以前そうだったように、そして今も一定程度はそうであるように)」、「なんて栄養バランスの悪い食事!(私も以前そうだったように、そして今も少し気を抜けばしてしまいそうな)」……。

他人に対し腹を立てれば立てるほど、その本来の目的であったはずの自己防衛からはどんどんと離れ、自己否定ばかりが加速する。これが何かを「嫌う」ということの正体だと思う。あなたが真に嫌っているデブは過去の自分、堕落してしまいそうな自分であり、その「嫌い」の感情は自身の鼓舞のために役立てられている、ということだ。つまり、他人に腹を立てて怒ってばかりいると、いつまで経っても自己否定から自由になれないということになる。

どのようにこの感情に対処すれば良いかはまったく見当がつかないが、一旦は「こんなに人を嫌うことが出来るくらい、私は真剣に努力している!」と、自分の感情を一旦受け入れることにした。これによって、最終的に他人にも寛容になれるといいな。




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