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「さいたま国際芸術祭23」鑑賞レポ

今日の投稿は、さいたま市
大宮区を中心に開催されて
おります「さいたま国際芸術祭
23」
の鑑賞レポ記事となります。

唐突に何だと思われるでしょう。
僕自身もそう思っております。
というのも、このアートフェスの
存在を知ったのが一昨日。
たまたま書店で見た雑誌の
記事で知りました。そして
会期が10日まで(今日が9日)。
行けるのが土曜しかないという
状況で、じゃあ行ってみよう
と思い立った訳です。

はっきり言って、トップページに
書かれたコンセプトを読んでも
何が言いたいのかさっぱり
分かりませんでした。そこで
特にそれ以上の先入観を持つ
事もなく、現場で自分が何を
感じるか、ただそれだけを指標に
このアートフェスを評価しようと
考えました。

さすがに年季の入った建物

メイン会場は「旧市民会館おおみや」。
あとで芸術祭HPを見て初めて
知ったんですがもう使われてない
施設で、この催しのために内装に
手を加えて展覧会場に仕立て上げた
ようです。そこでとにかく目に
付いたのがガラスの壁による仕切り
俺の感覚ではこの仕切りが非常に
重要な意味を持っていると感じた。

視点を変えると立場は逆転する

そこまで広くない会場を色んな
風に見せるために、細かく
スペースを区切るという意味も
当然あるだろう。また、この
仕切りがある事で(狭くはなるが)
動線が分かりやすくなるという
効果もあるだろう。

ただ、あくまで自分の視点から
見ると、透明なガラスで仕切られた
事により仕切りの向こう側は
自分にとっては展示物と同じ
意味を持つ空間になるんですよ。
でも、そっちには他のお客さんも
いる訳。これで他の客も展示物の
一部となる
。境界を区切っている
ようで、展示物と観客という
一方的な関係を取っ払って同化
させてる
と思ったんですね。

そんなに広くない施設なのに迷いそうになる

会場に来られてた他のお客さん
からしたら別にそんな意識は
ないかもしれないけど、俺は
そう捉えました。また、会場の
内外には一般市民、観客に
溶け込んだパフォーマーも
混ざって、展示物内でパフォー
マンスをしているんですよ。
だから、あくまで自分一人称
視点では、そこの区別って
無いんですね

あと、その仕切りの向こうは
別の順路を辿れば入れるので、
立場は逆転する訳。そうなると、
元いた場所の方が自分にとって
展示スペースと捉えられる事になる。
そういう意味で、よく出来た
コンセプトだなって思った。
感心した。ちなみに、俺は
キュレーターの本当の意図は
知りませんよ。あくまで俺が
そう感じたというだけ。

舞台の上まで続いてる動線

それともう一つ、「舞台裏を
見せる
」のもこの展示の
コンセプトの一つなんじゃ
ないかと感じた。演者のいる
いないに関わらずね。舞台への
動線を新しく作り、そこに
ガラスの壁を作ることにより、
観客も舞台の一部になる。
仰々しくこれが作品ですなんて
額縁に入れてアクリルケースに
収めるんじゃなくて、自分の
いる空間の延長線上にアート
作品がある
事を強く体感する
展示になってたんじゃないかな
って思いました。

モダンアートフェスってお金が
かかる割に見る側的に「ん?」
って思うような、あんま納得
行かないケースが多いように
感じるけど、今回見たアート
フェスは、閉館後の施設を
有用利用することでその辺
うまくされてるという印象でした。

入り口付近には盆栽も展示されてた

ってか、そんな感じの展示
だったので、明らかな物体と
してフィックスされた作品
ってのは2,3点しか見かけ
なかったんですよ。どれが
作品なのか分かんない感じ。
言ってしまえば会場全体が
一つのコンセプトでまとめ
られた作品みたいな感じ
だったので。ほぼ空間を
見るだけで入場料2,000円
払ってしまってるんですよ。
そう考えると現代アート
ヤベえな。あまりに娯楽として
高尚過ぎる。結果として明日
あさって分くらいの食費が
飛んでしまったんだが、
どうしたもんかなw

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