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どんな景色を作る?

2年半、心を失くし、血まみれになりながら、志の無い人達に混じって勤めた仕事先を辞めました。

最終日の週、3日間入れ替わり立ち替わり皆さんとお話が出来て嬉しかったです。

腐らず自分なりの姿や正義を貫いて間違いではなかったと思えた時間でした。


その労いで旅に出ました。

本当は、前述の通りディズニーシーに行く筈でした。任せてと言われていたので切符の手配を任せていましたが、二日前に取れませんでした、と伝えられて正直し混乱しました。

自分から言ったが守れないという事が正直理解出来ません。出来そうになければ前以て断る、そもそもそれを公言しないというのが礼儀だと思っていますので。

何か分かりかねる事情がない可能性も無きにしもあらずなことも考慮はしていますが…。

ですが目線を変えたら相手から見た自分はそれだけ重要度の低い相手だと見なされていたのだなと分かって良かったと思います。


予定は未定が世の常、どこかでそんなものだと諦めが良い自分も居ますので、ゆったりまったり都内の散策を謳歌しました。

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プロフェッショナルに出演された洋食屋さん、たくさんの美術館、神社での厄除、ホテルのバー、銀座のジェラート、ジャムパン屋さん、オリジナルのインク調合…。

道を快く譲ってくれる高級外車、コンビニで探していたエコバックについて朗らかに話してくれる可愛い店員さん『県外の方とお話出来るの久々なので嬉しいです!お気を付けて!』その言葉だけでほっとします。

ホテルのフロントの方々、キヨスクの店員さん、JRの駅員さん、車掌さん、カフェのてんいんさん、宮司さんに巫女さん。

みんなありがとう、と思いました。


全ての人々に感謝と畏敬の念を持つことが出来た、心が満たされる旅でした。


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素晴らしい東京ステーションホテルに泊まり、ぼんやりと

今までの自分は何と戦っていたのかな。

と、人生を、自分を、振り返りました。


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先月頭に初めて臨床心理士の方とお話をしました。自分の圧し殺していた様々な気持ちや思いがどんどん表面に出てきて

こう思っていたのか…

と自分では気付かなかった点により対峙することが出来、またさらに別のところで話したところきちんと病院かカウンセリングにかかった方が良いと思う、と言われました。

そして

生きているだけで、凄いんだな、わたしって。

と思えるようになりました。

一応二親本物の両親がいて何とか育てて貰った事には感謝しなくては、と思っている自分がいるのですが

でも、良くその親で育ってきたね、とも言えるんだよ。

と言われてハッとしました。

ああ、確かにそうだな、と。

常に他人に対して厳しい言葉を投げかけてしまう自分に対して後悔と責める気持ちがあるのも、意思ではなく脳がそうさせていると教えて貰い、救われました。

他人の前に、あなた自身がたくさん傷ついて来たんだよ。

と言われて思わず涙腺が緩んでしまいました。


今までは常に

まだ足りない、まだこれではいけない。

という焦燥感が自分の周りを渦巻いていました。

なぜなら安心した記憶も環境もないから。

庇護がなくとも生きていかなければならない。


それは、その環境に居たものでなければ分かりません。

他者の温かみが分かるのは、パンを泣きながら食べたことのあるものでしか分からない。

だけど、優しくして貰った人でなければ他者に優しく出来ない。


そう気付くきっかけをくれた人に、前述したようなことを書いた手紙を送りました。


メールや電話、ラインなどすぐに伝えるツールは多々あれどそれでは想いが軽くなる。


口先でいくらきらびやかな言葉を言おうが、他者を想う気持ちや行動までは偽れない。

自分の事を大切にしてくれる人の事だけを、自分も大切にするのが自分を愛することなのだと深く思えた旅になりました。

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個性があって素晴らしい、自分で誉められない人が日本人には数多くいます。それとと同時に自分の不快な気持ちも閉じ込めてしまう傾向も多く感じます。 私があなたの肯定感を高めるお手伝い、心の声を発掘するお手伝いをしたいと思います!!