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MAD HUMANIST

一年以上noteを使っていたが、「プロフィール記事」という機能があるらしいことを、最近知った。
それなりに長く続け、読んでくれる人も増えてきた今、「ライター」としての僕のスタンスについて表明してみてもいいかと思う。

“Mad Humanist”としての矜持を。

そして僕の、今日この日から始まる32年目の生への抱負を。

「誰でもない」の知のオデュッセイア

大学を離れてサラリーマンをしたこの5年間は、「知的活動のモラトリアム」だったと思っている。
それを脱するリハビリとして手に取ったこの本には、いわゆる「プロ」の研究の場から離れたところで知的生産に身を捧げようとする人達の生の声が寄せられていた。

所属がなくて困ることはたくさんある。書いたものは信用されないし、大学に付属する諸機関は使いにくいことこの上なく、仲間もいなけりゃ自信もない、そしてなによりカネがない。
荒木優太編『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』p3
「序 あさってのほうへ」荒木優太

「在野」であること。
「οὔτις(ウーティス)=誰でもない」として独りで航海し、闘わなければならない知のオデュッセイア。
たかだが11ヶ月、テーマのまとまらないブログを書き散らしている「ビギナー」にとっても、共感できる苦悩だった。

彼らと同じように「在野」の、「誰でもない」としてたまに記事を書く僕だが、そういう時に決まって使うタイトルがひとつある。

MAD HUMANIST

かなり直感的につけたネーミングだ。
しかしかなり気に入っている。

だいいちドスが利いている。
『ダイの大冒険』でマトリフと弟子のポップが「大魔道士」と名乗るみたいに、「聞いたら誰もが恐れ入っちまうようなカッコいい肩書き」が欲しかった。
僕が彼らと張り合えるのは、スケベ道とおっぱい聖人道くらいのものだけれど…

そしてこの自前の「カッコいい肩書き」は、もちろん既存のある言い回しを念頭に置いている。
そう、「Mad Scientist」だ。

マッドサイエンティスト(英語: mad scientist)とは、フィクション作品に登場する、常軌を逸した科学者である。
日本語では「狂科学者」、「狂気の科学者」、「狂った科学者」と訳される。
(…)
主にSFにおいて「博士」や「ドクター」を名乗り科学知識や技術などを駆使する、常軌を逸した科学者として登場する。超絶的な頭脳を持つが、往々にして理解しがたい価値観や世界征服などとんでもない願望を持ち、周囲の迷惑は何も考えていない。
wikipedia「マッドサイエンティスト」
最終更新 2019年10月28日13:21

Mad Scientist という造語は、これをもじったものである。

この肩書きには、二つの意味が込められている。

①常軌を逸してhumanistであること

②そもそもhumanistであることが、madなのではないか

①は一方では常軌を逸して=社会が求める以上に「人道的」でいたいという願望であると同時に、常軌を逸して=過剰に「人文学的」に考えてしまうことへの自嘲でもある。

②の方は、「社会人」として大きなシステムの小さな歯車として、後ろの大きな歯車から伝えられた力を前の歯車に伝えるだけの、原動力はどこの何かを考察することも、このシステムが最終的に何をどう動かしているのかに責任を持つことも求められない数年間を過ごして思い至った寂しいテーゼなのだが…

しかしそれでも、たとえmadであろうとも、humanistをやめたくない。

32歳になったこの夜に独り、また僕はいつものように、ただし昨日よりは強い決意で、小難しいことを考えながら唸っている。

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