暁の水平線に刻んだ勝利は夕陽に焼かれ、共に沈む

海の底から出現する、謎の艦艇群。それらを人類は『深海棲艦』と呼称した。
駆逐艦級から超弩級大型戦艦まで、多彩を極める深海棲艦の攻撃によって、人類は制海権を喪失。
その脅威に対抗できるただ一つの存在――
それが、在りし日の艦(いくさぶね)の魂を持つ娘たち。
『艦娘』である。
艤装と呼ばれる武器を装着し、生まれながらにして、深海棲艦と互角に戦う能力を持つ彼女たち。
その活躍により、制海権奪還に向けた反攻作戦が開始されようとしていた――
-アニメ第一話ナレーション CV:榊原良子

「艦これ」に、ひどくハマっていた時期がある。

いろいろあって大学を抜けて、ブラブラしてから行き着いた先が海運関係の仕事だったのも遠因かもしれない。
仕事の知識がゲームに役立つことも、その逆も無かったわけだが、船に無理をさせちゃいけないということと、「ロジスティックス」という概念の大切さは体感として分かった気はする。

一番ハマっていた時期は、艦これを一番大きな時間割、外枠として生活していた。
早起きしてデイリー任務をこなし、長時間遠征を仕込んでから仕事に出かけ、帰宅後に遠征から帰ってきた艦隊をまた出撃させる。
休日は取りこぼしたウィークリーを拾いつつ、未開拓の海域やイベント海域を攻める。そして遠征中や艦娘の修復中の「時間潰し」に、買い物に行ったり、他の用事をこなしたりする。
愛用しているMacのOSが古くてブラウザのアップデートが間に合わないというハードな理由でやらなくなってしまったが、今思い返すとなかなか楽しい日々だった。

戦いに出る女と、支える男

僕は「オタク」になってから日が浅く、こなしている絶対量からして少ない。ゆえにその世界の「文化」「言語」「文法」を完全に習得しているとはお世辞にもいえない。
しかしだからこそ、外国人の方が日本文化を客体として観察することに長けているように、非母語話者の方がしばじば言語をより客観的に分析できるように、「第二言語」としてのオタク文化を、僕が語る意味はあると思う。
それにプレイしなくなった今でも、艦これ好きだし。

基本的に古風な人間なので、「男」の提督が安全な鎮守府に残って、「女」の艦娘を危険な海へと出撃させるというスタイルには当初は抵抗を覚えたものだ。戦闘中に艦娘がダメージを受け中破イラストになるともういたたまれなくて、心臓がハラハラする。

でも、プレイするうちに慣れた。
中破以上にまでされるといまだにハラハラするし、轟沈まで追い込んでしまった日には罪の意識で気が鬱ぐ。
それでも、女の子に戦ってもらうこと自体には、なんか慣れた。

職場での窓際給料ドロボー生活が長くなり、女性の同僚に助けてもらうことが多くなって、感覚がマヒしたのかもしれない。
あるいは元々が、女性に甘えることに抵抗の少ない性格だったか。
考えたら某宇宙世紀の赤い人とか木星帰りの人とか、好きなキャラだったな。

艦これで慣らしたおかげか、女性キャラに戦ってもらう設定の別のコンテンツに免疫がついて、楽しめるようになった。
制作年代自体は前だが、「BLACK LAGOON」、「FATE」シリーズ、「ローゼンメイデン」など。
同じDMMのゲームなら「ガーディアン・ミストレス」も好きだったんだが、去年の末にサービスが終わってしまった。

この手のコンテンツの男性主人公と戦うヒロインには、いくつか共通点があると思う。
例えば主人公が、ヒロインが戦い続けるのに必要だが自分では持っていない「何か」を持っていて、主人公がそれを供給することで、彼女の戦いを支えている、という関係性。
戦い自体の主導権をどちらが取るかはまちまちだが、それによって両者共に何かしらの恩恵を受けるwin-winな部分。

言ってしまえば、一方的に戦ってもらう、守ってもらうだけでなく、「支える」ことで「共に」戦えるということ、互恵関係にあることが、弱っちい自分の最後の「男のプライド」を、くすぐるというか。

今の時代「女」が「男」を支える内助の功だけじゃなく、「男」が「女」を支える、もしくは「支え合う」のが当たり前なのだから、その訓練が出来た(?)という意味では、艦これライフも無駄ではなかったと、無理矢理自分に言い聞かせてみる。

「大きな物語」をキャラで埋める

艦これというコンテンツは(最近のアニメ、ゲームに共通するかもしれないが)、「二次創作」がすごく盛んな印象がある。
インターネットに上がっている漫画作品や動画作品には面白いものが多くて、下手をしたらプレイ時間より二次創作観賞のほうが時間数は長いかもしれない。

それはこのゲームが、「開かれた」、「遊びの多い」コンテンツだからだと思う。
むしろコンテンツでなく、「コンテナ=器」なのではないかと考えるほどに。

「世界観」は、かなりしっかりしている。
深海棲艦から制海権を奪還するため鎮守府に着任した主人公(提督)。
提督の指揮の下、深海棲艦と戦う古の戦さ舟、艦娘。
「キャラ」も、濃すぎるくらいに作り込まれている。
艦娘達は主に旧帝国海軍の実在の軍艦の名を冠し、モデルになった船にまつわるキャラ設定がなされている。
大英帝国で建造された「金剛」は帰国子女風だとか。

その一方で「ストーリー」については、良くも悪くも「閉じていない」と言える。
「太平洋戦争」という「大きな物語」の枠みたいなものはある。大きな流れの中の「一里塚」になるようなモーメントも、おさえられている。
だがその間にあるストーリーは、「空白」のまま、「埋められていない」。

このストーリーの空白を、TRPGをプレイするかのように(興味を持ちながら、やったことないけど…)、「キャラ」を使って「埋めていく」作業。

時にはプレイそのものを通じて(僚艦が皆大破した夜戦で、旗艦のむっちゃん(陸奥)の最後の一撃でボスを沈め、奪還した某海域、とか)
時にはゲームから離れた完全な妄想の次元で。

「大きな物語」という空の器(コンテナ)に、プレイヤーがいろいろなもの(自分のゲーム体験、妄想 etc.)を「コンテンツ」として移入することで、「プレイヤー自身が『演じ手』として『参加』する」ことでゲームを「完成」させる、そんな楽しみ方ができるやのが艦これの魅力なのではないか。
そしてその延長上に、二次創作があるのではないか。

ちょっとこじつけだし、大袈裟だと思いながら、あながち的外れでもないかなと思ったり。

艦これと二次創作

これだけ言っておきながら、僕自身は艦これで二次創作を書いたことがない。

ガルパンやストパンでは書き始めているし、ローゼンメイデンもアイディアは浮かんでいるのだが。

ゲームをプレイすること自体がすでにある意味では「物語を紡ぐ」ことに通じていて、その欲望が充たされてしまったこともあるかもしれない。

好きな艦娘の誕生日になったら、短いものを書いてもいいかもしれない。

ビスマルク過ぎちゃったか…
陸奥の5月31日まで待つか…

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