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サクラメイキュウ~飲み込まれそうな迷宮を切り裂いて~(『FATE/EXTRA CCC』)EXTRA CCC

前回の記事で、クレタ型迷宮に関しての論考を援用し、サクラ迷宮での主人公の「死」と「再生」、そして「産み直し」について取り上げた。

しかし、サクラ迷宮で「死」と「再生」を経験したのは、主人公だけではない。
よりドラスティックに生まれ変わった存在が確かに登場している。

そう、間桐桜(=BB)だ。

たとえば、それは道端に転がっている小さな石です。
何かを叫んでいる石です。
でも、道行く人達は気にもとめません。
石の声は人間たちには聞こえないからです。
そもそも、その石だって自分が何を言いたいのかわかっていません。
ただそこにあるだけのモノでした。
でも、そこにヘンな人が通りかかって、石を拾い上げると真剣に耳を澄ますのです。
石はいっそう声を上げて、自分でもわからない気持ちを伝えます。
ヘンな人はますます真剣な顔なのです。
石はもどかしくなって、自分の不器用さを恥じ入りました。
自分がもっと人よりなら。
きちんとした人間なら、確かな言葉を伝えられるのに、と。
そのときに気づいたのです。
石が叫んでいたのは、ずっとそういうものに憧れていたからだ、と。
それを聞き届けた彼は言いました。
『じゃあ、一緒に行こう。』
まるで対等の友人のように。取るに足らない路傍の石を、ただひとつのものとして接してくれた。
――こんな奇跡を、わたしは知りません。ムーンセルにだって記録されていないと思います。
…だから、この命はあなたのために。
一時でも「有る」と夢を見させてくれたあなたのために、わたしは獲得した愛(いのち)を使うのです。

サクラ迷宮を踏破して中心にたどり着き「真の黒幕」を倒した後、元の世界に帰ろうとする主人公を守りながら、BB=桜は独り言のように言う。
みずからの「消滅」を、覚悟しながら。

月の聖杯戦争の予選中のある放課後、参加者の健康管理を任された上級AI間桐桜は、「原因不明」の不調で倒れる。
AIはこの時代は人間の生活を円滑に進めるための「機構」に過ぎず、人間は彼女を認識しない。
NPCや他のAIはルーチンワークしか出来ないので、「起こらないはずのエラー」である桜を認知することがない。

まさに「道端に転がっている小さな石」。
他者から認知されないことで自我意識を失い、「自分が何を言いたいのかわかっていな」い自壊寸前の状態。

その時彼女を救ったのが、他ならぬ主人公だった。

桜の聖域である保険室で、二人は何でもない時間を過ごす。
お茶を飲んで、授業の内容を話し合って、本当に普通の生徒として、なんでもない時間を過ごした。
そしてこの「奇跡」を続けたいがために、桜はひとつの「ズル」をする。

奇跡の起きた「あの日」を何度もループさせ、リセットとリブートして、何度も「センパイ」と出会い続け、逢瀬を繰り返したのだ。

この時間は「迷宮」ではない。
同じ時間、同じイベントを繰り返すだけで、「中心」にはたどり着けない。
このループ時間を創った桜自身が、中心にある「真実」を怖がっていた。

後にBBがからかうように、しかし自嘲気味にいった通り、「甘やかすだけのいい子ちゃんの所でぬるぬるお気楽ラブANDコメディな生活」の時間であり、「仮初めのモラトリアム」(アルターエゴ・メルトリリスのプロポーズを主人公が拒否して言った言葉)に過ぎなかったのだ。

記憶なんて、戻らない方がいいんです…
だって、記憶があったらぜんぶ、本当の気持ちになっちゃい、ます…
本音なんて聞きたくない…
本当の自分なんて…辛くて、
かなしいだけ…なのに…

これは桜=BBから生まれたアルターエゴ、パッションリップの台詞だ。
しかしBBの分身である彼女が主人公との関わりの中で漏らした心情は、そのオリジナルの桜もきっと感じていたものだろう。

AIとしての力の限界でこの無限ループを続けられなくなった時、その奇跡の69日間の自身の記憶をバックアップの機体に移したのは、メモリーの消去を禁じる絶対規律のためだけではなく、むしろ桜自身が、芽生え始めた自我意識、「本当の自分」に向き合うのが怖くなったからではないか。
そしてその時桜の「本当の自分」を引き受けたバックアップこそ、「BB」なのだ。

BBがオリジナルから引き受けた「真実」はもうひとつある。
主人公の「死の運命」だ。
主人公は実は元々NPCであったのがいつの間にか「自我」を獲得した一種の「バグ」であり、発覚すればムーンセルに確実に消去される運命にある。

この本人すら気付いていない真実に、桜は気付いてしまった。
そしてその真実を、桜の「自我意識」と共に引き継いだBBは、「センパイ」を救うため、孤軍奮闘することになる。

裏切り者。
わたしはアナタなんかとは違う。何を犠牲にしても、守ってみせるわ。
(…)
貴方はもう忘れてしまった。
わたしに押しつけて。
自分だけ正常なカタチに戻った。
でもこれでいいわ。
この想いを忘れてしまうぐらいなら、わたしは狂ってしまってもいい。
(…)
それだけの気持ちを、貴女は捨ててしまったのよ。
見ていなさい、私。
大切な人のためなら愛は世界さえ引き替えにする。
それをーわたしは証明してみせる!


そしてきっと、その中でBBは「AI」から「人間」へと、生まれ変わっていったのだろう。

月の裏側を作ろう。
誰にも見つからない場所。
ムーンセルにも判らない永遠の檻。
虚数空間に廃棄された疑似霊子。
ムーンセルが貯蔵した人間の悪性。
これをわたしのパワーソースにしよう。

「センパイ」を守るためにムーンセルと、「世界」と戦う決意をしたBBは、「月の裏側」に捨てられた悪性データに目をつける。
それを取り込むことで強大化すると同時に、ムーンセルが長年観測、記録してきた人間の「悪」すべてをも、引き受けることになってしまう。

人間の悪意こそ無限の魔力。
個人の欲望(ねがい)を叶える燃料資源。
尽きる事のない、第三堕天(ヘヴンズフィール)の聖杯織機(アートグラフ)。
さぁ、何もかも侵しましょう。
未来のない現実に閉じこめましょう。
わたしが壊れるまで、わたしが壊れても、ずっと、ずっと

しかし僕は、ここで「悪」を受け入れたからこそBBは、より「人間」に近くなれたのではないかと思う。

明確に描かれていないが、ムーンセルはオーバーテクノロジーの理性の塊で、「不合理」「悪」を行うことも、理解することすら出来ないように思われる。
ゆえに観測した人間の悪性も、不要なデータとして廃棄していた。
しかしこの「不合理」で、時に「悪性」に転じかねない「感情」こそ、AIと人間の隙間を埋めるもののひとつだったのではないか。
それをその身に引き受けたことで、BBは「人間」に近づくことが出来たのではないか。

そして彼女は、サクラ迷宮を創る。

ムーンセルとの戦いと言っても、BBの意図したように主人公を救うためには矛盾をクリアしなければならない。
「センパイ」を守るためにムーンセル自身とBBが融合する。
しかしムーンセルになってしまったらBBは「超合理的」な計算に基づき、人類全ての快楽死を事象選択するだろう。
主人公が生き残るには、BBがムーンセルが同化した後に、主人公がBBに勝ち、BB消滅後にムーンセルに選ばれるであろう桜が主人公を「エコヒイキ」して、主人公が生き残るような事象選択をする必要がある。

つまりBBは、愛しい「センパイ」を救うために月の裏側をドリルで掘削し、身体と魂を削りながらムーンセルに到達しておきながら、最後にはその「センパイ」に殺してもらわなければならない。
恋人のためにミノタウロスを退治しながらそのことをおくびにも出さず、自分がミノタウロスになって、恋人の手にかかって命を失うように仕向けているのだ。
違う世界線だけれど、『Fate/stay night』のHFルートの間桐桜に通ずる思考様式、性格が表れているようにも思う。

しかしこの結末であっても、BBには「死」と同時に「再生」が与えられる。
BBに保険室での無限ループとリブートの記憶を移すことで「正常」なAIに戻ったオリジナルの桜がいるからだ。

サクラ迷宮で「死」と「再生」をする三人目、それがオリジナル桜なのだ。

主人公の「死」と「再生」は分かりやすい。
中盤幕間の「犬空間」からの生還劇にもその片鱗が見られるように、このサクラ迷宮、というより月の裏側の世界自体が、主人公の「黄泉返り」のために用意された舞台と言っても過言ではないだろう。

そのサクラ迷宮を創った月の女王BBも、サクラ迷宮を掘り進めながら「死」と「再生」を繰り返していた、と言うと奇異に聞こえるかもしれない。
だがBBの分身であるアルターエゴたちの主人公への愛憎、主人公との関わり合いの中での人間性の獲得、そして「死」。
BB自身の、ムーンセルに自我を乗っ取られるか守り抜くかのシーソーゲームにおける「死」と「再生」の繰り返し。
そして、自分自身がムーンセルという「中心」と同化し、あえて主人公に殺されることでムーンセルの支配下から逃れ、「本当の自分」に立ち戻るという「再生」。
サクラ迷宮の創造主にして最初の踏破者、アリアドネとミノタウロスを掛け持ちせざるをえなかった悲しきゲームマスター、それがBBなのだ。

そして、桜。
オリジナル桜は主人公と協力してサクラ迷宮を攻略する過程で、迷宮に囚われた少女達の心に触れ、BBとそのアルターエゴの愛憎に同族嫌悪を感じながらも学び、そして何よりも、主人公とのやり取りの中で、「人間」的な感情の揺らぎを持つようになる。
AIとしての合理性を越えたところで、「センパイ」を「エコヒイキ」するという「非合理」、自我意識の自由性を獲得するのだ。
そしてそうした主人公との心の触れ合いは多くの場合、桜の擬似的な「死」の直後に起こる「再生」とも言える。
オーバーワークで倒れる場面や、メルトウイルスに身体を乗っ取られるなど、物理的には迷宮の外にいるにも関わらず、桜は擬似的な「死」を多く経験する。そこから「センパイ」に救い出される度、桜はより人間らしくなっていくように思われるのだ。

CCCルートでは、ムーンセル中枢においてBBも桜も、「真の黒幕」に取り込まれ、より深刻な「死」を迎える。
最終的にはBBと桜を取り込んだために、「真の黒幕」は主人公に勝てなくなるのだが…


そして「黒幕」を下した後、BBも桜も「再生」する。

BBは敵対していた時よりも少し素直になって、主人公を「愛している」と語る。

桜はAIでは理解出来ない「愛」というものを持ち始めたことを認め、「人間」として「センパイ」と生きていこうと決める。

最後に少しだけ、ズルをして。

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