はじまりの街で


こんにちは、初めまして。あまと申します。東京のとある私立大学で学んでいる大学生です。この度、色々と思うところがあり、noteを通じて自分の考えをゆるく発信していこうと決めました。今回は記念すべき1作目の記事ということで、「なぜnoteを書こうと思ったのか」「どうして意見を発信することの重要性に気づいたのか」ということをお話ししようと思います。正直、途方もない自分語りです。ご了承ください。

(1) noteを始めたきっかけ

 noteという投稿サイトを知ったのは友人からの紹介でした。

 たわいもない話をしていた時に、たまたま「記事を投稿したから見てよ」と言われ、「へ〜ブログでも始めたのか・・・」と軽い気持ちで覗いてみたnote記事。そこには彼が読んだ本に対する感想や考察が記されていました。それだけではなく、読んだ本を叩き台にして、独自のリサーチをし、さらには自分の考えを展開させている。感想文というよりは、レポートに近いものでした。それを見た際に、軽く衝撃を覚えました。すごい。自分もこんな文章を投稿してみたい。

しかし、「文章を書くこと」をスタートさせるまでには少し時間がかかりました。「書きたい」という気持ちはあるのに、なかなか動き出せない。その気持ちの原因には、過去の経験が大きくリンクしています。

(2) 発信することへの恐れ

 「やり直し」。

  高校3年生の秋〜冬にかけて、私はこの言葉に聞き飽きていました。私が受験した推薦入試には、「自己推薦書」という書類を書くことが必要でした。よくある「志望理由書」ではなく「自己推薦書」。 今なら「就活のESに近いものかな?」なんて漠然としたイメージが湧くのですが、当時は意味がさっぱりわかっていませんでした。それでも当時に私には、「私は文章が書ける」という謎の自信がありました。昔から「文章がうまい」と言われてきたし、高校時代は文芸部の部長も務めていたのだから・・・と。そして試行錯誤しながら自分の考える「自己推薦書」を書き連ねました。しかし、いくら書いても、進路担当の先生から言われるのは「やり直し」。ただ、その一言のみ。

フィードバックや感想などは一切なく、ただただ書類を突き返され続ける日々。手をシャーペンで真っ黒にしながら一生懸命書いたつもりなのに、もらえる言葉は同じでした。ただ、「やり直し」。

それをしばらく繰り返しているうちに、だんだん「自分の書いているものはそれほどに意味がないのか」という陰鬱とした気持ちが頭を占めるようになっていきました。それでも受かるため、というかそもそも受験するために、その書類が必要でした。親や先輩からアイデアをもらったりして、どうにか書き上げ、なんとか出願できました。が、しかし、最後まで先生からは何も感想を頂くことができませんでした。

 その推薦書がどれくらい効果があったのかは今となっては定かではありません。しかし、私はその大学に合格することができました。かねてから志望していた大学だったので喜びはひとしおだったのですが、それと同時に、暗い気持ちは消えはしませんでした。「私の書く文章は感想を言うにも値しないような、どうしようもない文なのではないか?」という、恐れに近い感情でした。

(3) 過去を振り返ってみて

 「やり直し」経験。つまり高校3年生になるまで、私はお恥ずかしいのですが「文章がうまい」人間だと思っていました。

 小学生の頃から国語の成績だけは非常に良く、本が大好きでした。またそれだけでは飽き足らず、自分で物語や詩を書いてネットにも投稿していました。もう閉鎖してしまったのですが、「キッパ」(キッズ・パーク)という子ども向けサイトにかじりついて創作(笑)にふけっていたのが私の小学生時代の一番の思い出です。今考えたら本気で恥ずかしいのですが、小学校5年生の時に「パソコン彼氏」という、ネットで知り合った男の子に恋をする小学生の女の子の物語を書いていました。まだ10歳のくせに何書いてんねん。20歳になった今、改めて考えるとゾッとするような内容ですね。まず、なぜそんなセッティングを思いついたのだろうか。(当時"アメーバピグ"というアバター型のSNSが流行していたため、そこから着想を得たと考えられます)そんな冷や汗ものの作品でしたが、なぜか同年代のおませな女の子たちから人気が出て、観覧数は1500hit を超えていました。(平均hit数は30~40程) そう、おませ小学生、鼻高々。よく考えてみればこの時の成功体験が、それからの中学〜高校時代を彩っていたように思います。

 中学時代も順調に作文や詩で、チラホラではありますが県のコンクールなどで賞を頂いていました。中学時代からは文章よりも英語に熱中し始めたので書く量自体はぐんと減ってしまったのですが、それでも自信は一切消えていませんでした。なんなんでしょうね。ぶん殴りたい。そんな自己満中学生をさらに調子に乗らせたのが、中学3年の時に応募した、大阪国際大学が主竿していたエッセイコンテストでした。本名がバレてしまうので引用は避けますが、それで結構いい賞を頂いてしまったんですね。しかもそれが、高校生や大学生のお兄さん・お姉さんたちよりもいいポジション。「自分、文才あるんじゃね!?」。もう、調子乗り乗りです。

 そのままのマインドで高校に進学し、選んだ部活は文芸部でした。年に1回の文化祭で文芸誌(「季節風」という名前でした)を発行することが主な活動で、そこで部員は必ず短編小説を1つ書かなくてはならないという決まりでした。その時が中二病を最も極めていた時期で、色々はずかしすぎて何も覚えていないんですが(笑) 、高校3年の時に書いた「くらげの意識」という短編作品が職員室でウケたという話だけは聞きました。水族館の中に一匹だけ人間だった頃の記憶を持つクラゲがいて、そのクラゲが仲間(転生前の記憶を持つクラゲ)を探し続けている・・・という、なんだかよくわからない話でしたね。今あらすじを書いて鳥肌が立ちました。

 こうやって書いていると、自分の文章キャリアって結構、順風満帆だったんだなと思います。確かに技法について厳しめのアドバイスを頂いたこともあったけれど(「話がくどい」、「表現が重複している」など)、書いたものに対しては必ずリアクションがあり、それは概ねポジティブなものでした。よく考えたら、文章を読み、それに加えてリアクションをくれるって優しい人にしかできないんですよね。文章を読むのって時間がかかるし、コメントを書くのはその作者に対して時間を割かなくちゃできないことだから。私は優しい人々と環境の中、つまり温室でぬくぬく育っていたのかもしれません。

 だからこそ、コメントをもらえないという経験はすごく悲しかった。批判的なコメントをもらうことよりも、「何も言われない」ことが一番恐ろしいことだということに気づいた瞬間でした。「愛の反対は無関心であることです」というマザーテレサの言葉がありますが、まさにそれです。無関心、怖い。そしてその無関心に負けてしまったのが私です。大学生になってから、自ら進んで文章を書くことをほとんどしなくなってしまいました。個人的な感情を書くだけでいい日記すら、やめてしまいました。

(4) これからの決意

 でもいつまでも筆を折ったままではいられないんですよね。noteという媒体を知り、そして友人の記事に感銘を受けたからには、何かを書きたい。すっかり眠っていた「書きたい」という意欲が目覚めました。質にこだわるというよりも、何かしら毎日書く、というスタイルにできたらいいなと思っています。主に書くのは

・本・映画に対する感想

・日常・大学の学びを通じて感じたこと

・自分のこれからのキャリアについて


などなど多岐に渡ります。読んで頂けたら幸いです。そして、お時間があればリアクションを頂きたいです。「おもろない」。そんな一言でも構いません。(できたら、どこがどうおもろくなかったのか言っていただけたら嬉しいですが)貴方の一言が、とある大学生を救うかもしれません。どうぞ、これからよろしくお願いします。


  

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