気持ちを切り換える、無になる瞬間

今からもう20年以上も前、20代でマレーシアに渡ったとき。

日本の景気が良かったのもあって、現地日系企業(への就職・パート)はとても人気があったのです。

当時は日本語を習得する需要が、とても大きくありました。

それもあって大忙し。朝は観光協会、昼には大学、帰ってきて語学学校、そしてまた観光協会で日本語を教えていました。(観光協会が負担をして、地域に住む方々が安価で日本語を習えるようにしてくださっていました)

日本語教師になってまだ数年のことだったので、教案作って直して、授業して、というのをぐるぐるぐるぐる朝から晩までやっていました。

お休みの日曜日も、とにかく教案作り&直しばかりに忙殺されていました。

朝に昼に夜にと、そこかしこにある屋台で美味しいものは食べていたし、現地で仲良くなる人は増えていって、楽しい時間はどんどん増えてはいったのです。

でも、自由である時間を活かしきれてなかった。

私の前任で、2ヶ月位は双方授業あり、その後入れ替わりで日本に帰る先生に、あるとき、言われたことがあります。

「どんなに教案に追われていても、すっかり忘れる時間を作らないと精神的にもたないよ。カンポンでも行ってらっしゃい。」
と。あのとき、当時の私にとったら何歳か年上でしっかりした人だと感じていたけれど、その先生もまだ26歳くらいだったかなと思います。

「そんな時間ありません。あれもこれもやらなくちゃ」と食い下がると、「5分でいい、教案のことをすっかり忘れる、無になることだけを意識して行っておいで」って。

正直、イヤイヤでした。別に行きたくなど、なかったのです。早く取り掛かりたかったので。それでも、あんまり言われるから、すぐ裏のカンポンへ行ったのでした。

そこで、私の人生は、カチッと変わりました。
5分で、気持ちがすっかり、完全に、入れ替わることを体験しました。

どんなに先の予定で頭がいっぱいでも、仕事に追われていても、気がかりなことがあっても、目の前のことに夢中になる瞬間、それがどれだけ大事かということを教えていただいたのでした。

授業に慣れてからは、短い時間でも、私は学生から笑われるほど、毎日大学のプールで泳いだり、休みの日にはもっと奥地の村へ遊びに行ったり、楽しい時間を過ごしました。

帰国後、数年して私が結婚したとき、その方に写真を撮っていただきました。そのときには写真家の卵さんだったからです。その後、10年以上、ご無沙汰をしてしまったのですが、最近、また繋がることができました。

賞をいくつもとる、写真家さんになっていました。

その方がマレーシアを去るときに、私はわあわあと寂しがったと思うのですが、そのとき、「離れて会わない期間が長くなったとしても、関係は変わりませんよ」とおっしゃっていました。

実際、こんなに20年以上の時間が経過しても、変わらない存在の人がいるんだな、と不思議に思います。

気持ちの切り替え、そして、“今”に集中すること、この大切なことを20代の前半で習得できたことは、私の人生にとってとても必要なことでした。

知らなかったら、ワーカホリックで病気になっていたかも。そんなタイプでした。

マレーシアのカンポンの風景も、あります。

サラワク州クチンの風景

プロだから当然といえば当然なのですが、美しさと懐かしさで、息を呑むような写真です。  

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