世の中への貢献って

昔、姉が、うち(親族含め)はみんな商売をしている。だから、あなたが、こうして世の中のためになることをしてくれていることは一族の徳を積んでいるようなもんだよ、と話してくれたことがあった。

それは実家で、両親が、お金にならないことをしていることに、心配というかな、これから先の子ども達のことを考えても、少しお金のことを考えるように、と忠告されたあとだった。

(その忠告自体も、やっていることは価値のあることなんだから、いくらでもお金にすることはできるだろう、その工夫が足りないんじゃないのか、と言わば喝を入れられたような話だった。)

姉は家業のシステムのことで、ちょっと使い勝手が悪かったり、もっとこうしたら良くなるのではないか?ということにおいて、一切の妥協がない。
システムを構築してくれた会社は、常に姉からの対応に追われているように見える。毎日、毎日、何年も。
どんどん提案し、どんどん改良していく。
ま、いっか。このくらい。がない。
こういうふうにしてもらえるといいんだけど、できる?どんどんどんどん尋ねる。できる範囲で、どんどん改良が行われていく。

こんな日々が毎日、そして、数年。いま、ものすごくいいシステムが出来上がっていた。
特に同じ業界の会社ならば、相手がびっくりするような、そんなこともこんなこともできるの?と腰を抜かすようなシステムが出来上がっていた。
業界では噂になって、結果、同じ業界の大手の会社2社から、そのシステム会社に仕事が舞い込んだ。

すごい、と思った。
システム会社を豊かにしてしまった。
あなたの要求に応えていたら、どんな要求にも応えられるようなものになってた、と笑ったって。

私は姉に世の中のためになることをしている、と言ってもらったわけなんだけれど、世の中のため、というのは、いろんな形があるものだな。と今日は思った一日でした。

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