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四谷正宗の眠る場所 Ayumiの歴史さんぽ ~東京編~

昼下がりの四谷。
大通りを外れて住宅街に入ると、そこには喧騒とはかけ離れた静けさが広がっている。

まばらな人通り。生活の気配がする路地。

「君の名は。」で有名になった須賀神社を通り抜けたまたその先。
住宅街の中に、その場所はある。

訪ね人もいない小さな寺。「宗福寺」。


この場所にひっそりと眠るのが、「四谷正宗」と呼ばれてその才を謳われた、江戸時代の刀鍛冶だ。

江戸末期に彗星のごとく現れ、天才ともてはやされ、そして四十二歳でみずからの命を断ったひとりの職人。

その謎に包まれた死は憶測を呼び、後世、幾度も物語の題材になった。

かく言う私も、「利休にたずねよ」等の名作で知られる作家・山本兼一さんの小説でその生涯を知った。


そのひとの名を、山浦環(やまうらたまき)という。

本名よりも、彼が三十代で名乗った刀鍛冶としての名──源清麿、と呼んだほうが、話が早いかもしれない。

歴史好き・幕末好きなら、新選組局長・近藤勇の刀が、この人の手になるものだったかもしれない、という説を聞いたこともあるだろう。

或いはゲームの好きな方なら、有名な「刀剣乱舞」に登場するキャラクターを思い浮かべるのかもしれない。

ともあれ、この数奇な運命を辿ったひとりの天才は、いまもひっそり、四谷の片隅に眠っているというわけだ。


敷地に足を踏み入れるとすぐに、まだ真新しい小さな看板がある。

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山本兼一さんの小説に描かれる源清麿は、どうにもアンバランスな人間だ。

刀の美しさに魅入られ、のめり込み、惚れて一緒になった妻子さえ打ち捨てて江戸へ出てくる。そして生涯、郷里に待つ女を顧みず、離縁もせず、わずかな希望を抱いて待たせたまま作刀を続ける。夫としては残酷だ。

作中の薄情なエピソードが、どこまで作家の創作であるのかは分からない。

だが多かれ少なかれ、己の“作品”にのめり込んだ芸術家肌の人間なら、きっとこんなふうに周りが見えなくなるのだろう。



人のいない境内に入ると、しんとした静けさが私を包み込んだ。

墓石の前に立ち、礼をする。

私はこうして、誰かの眠る場所に来て、そのひとの人生に思いを馳せることが好きだ。

静かな場所で、たったひとり、故人と対話するのが好きだ。

どうして彼は、自ら命を絶ってしまったのだろう?

酒の飲み過ぎで体が不自由となり、自分の思う刀が打てなくなった。

それが、弟子が語る死の理由である。

理想の“作品”を生み出せなくなってしまった時、芸術家の矜持は、そんな自分自身を許せなかったのだろうか。

あるいは、それだけが理由ではなかったのだろうか…?

墓石に問うても、勿論答えは無い。


けれどその答えのなさこそが、私が歴史を愛する理由でもある。

答えが無いからこそ、想像が広がる。
答えが無いからこそ、もっと相手を知りたいと思わせてくれる。

きっと次の週末も。
私は、誰かの人生に思いを馳せて、史跡を巡るのだろう。

※ 墓石のお写真は撮影しておりません。

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