NHKの本気、「八重の桜」~私のイチ押し大河ドラマ~ 京大歴女のまったり歴史講座⑥
年の始めといえば、新しい大河ドラマがはじまる季節。
大河ドラマは、わたしたちが歴史に触れる、もっとも身近な素材のひとつ。
小学2年から大河ドラマを見続けているわたしが、中でもイチ押しに推している作品を語ります。
一つ目は、2013年の大河ドラマ「八重の桜」。
主人公は綾瀬はるかさん演じる新島(山本)八重。
幕末の会津藩に生まれ、戊辰戦争では自ら銃を持って戦った女戦士。そして、のちに新島襄の妻となり、共に同志社大学の創立に尽くした女性の一代記です。
そんな「八重の桜」は、わたしにとって、記憶に残るたいせつな作品のひとつです。
このドラマがリアルタイムで放送されていた当時、私は高校生でした。毎週観ていましたが、ものすごく熱心なファンというわけではありませんでした。
そんな「八重の桜」が私にとって忘れがたい作品となったのはなぜか。
それは、
ラストシーンの素晴らしさ
です。
あのラストシーンを見た時、今までの細かな不満はすべて吹っ飛び、「八重の桜」は私にとって忘れられない作品の一つとなりました。
ドラマの主人公・新島(山本)八重は、戊辰戦争で、銃を持って戦った女性です。
物語の終わり、八重は同志社の卒業生、徳富蘇峰と茶室の中で向かい合い、彼に語りかけます。
「昔、わたしが生まれた会津という国は、大きな力に呑み込まれた。わたしは、銃を持って戦った。最後の一発を打ち尽くすまで、一人でも多くの敵を倒すために。んだげんじょ、もしも今、わたしが、最後の一発の銃弾を撃つとしたら…」
そこで画面は、銃を手にした戦装束の八重に切り替わります。
彼女は、敵に向けていた銃を下ろし、空に向けて最後の一発の弾を放つのです。
このシーンを見た時に、文字通り心が震えました。
何百何千の「戦争反対」という台詞に勝る、不戦のメッセージだと思いました。
これまで「戦は嫌でございます」と叫ぶ大河ドラマの主人公をいやというほど見てきました。
戦いが当たり前のようにある時代に「戦は嫌い」「やめて」と言う現代的すぎる価値観。
それにはとても違和感があって、戦争反対のセリフが、お説教臭く覚えたものです。
しかし、「八重の桜」のラストシーンは違います。
故郷会津を守るため、自ら銃を取り、その銃口を人に向け続けて来た八重だからこそ、
ラストが強い説得力を持つのです。
チャンネル銀河で再放送されたこの作品を、一話から見返しました。
観れば観るほど味わいがある。脚本家の、そしてNHKの本気が感じられる作品です。
大立ち回りの華やかさは少ないけれど、じわじわと人の心に訴えかけてくる作品。
ずしりと重いメッセージを、観客の胸に投げかけて来る作品。
カットやアングル、物語の筋も奇をてらうのではなく、直球勝負で「古き良き日本」を描き出しています。そこがいい。
「後の世に、何を伝えねばならないか」
それをきちんと作り手が自覚している作品だと思いました。
輝かしい明治維新の陰で、犠牲にされ、理不尽な扱いをされて来た敗者がいた事実。
眼を覆いたくなるほど悲惨な会津戦争の事実。
互いのためを思って生きる人々の、美しい生き方。
それを伝えなければならないという使命感が、伝わってくる作品だと思いました(特に脚本にテコ入れが入る前までは)。
こういう作品が作られ続けてほしいし、
こういう作品が評価される世の中であって欲しい。
そんな強い思いを込めて、好きな大河、トップバッターに選ばせて頂きました。
以下にもう少しだけ、わたしの感じた「作品の良さ」を書かせて頂きます。
○これだけは見て欲しい!綾野剛さんの魂の演技
本作で、会津藩の最後の藩主・松平容保(まつだいらかたもり)という大役を演じたのが俳優の綾野剛さん。
彼の演技は、容保公ご本人が乗り移ったかのような凄みがあります。
真面目であるがゆえに、あらゆるものを背負い込んでしまう若き君主・容保。
そのたたずまいには、責任感だけで辛うじて自分を支えているような、危うさがにじみ出ています。
綾野剛さん自身、インタビューで、「容保でいると、役に潰されるんじゃないかと思うぐらいきついんです」と語っておられました。
自分を信頼してくれた孝明天皇が死んだときの錯乱ぶり。
徳川家のために尽くしたのに、徳川慶喜から見捨てられるシーンの魂が抜けたような表情。
新政府軍に降伏するときの、体じゅうを震わせてこみ上げる思いをこらえるしぐさ。
どれもすさまじくて、とても言葉に表現しきれるものではありません。
「八重の桜」では良い演技をしていた方々が幾人もいらっしゃいましたが、とりわけ、綾野さんの全身全霊の演技には、一見の価値があると思います。
○主人公が出しゃばらないこと
近年の大河ドラマは、ご都合主義の展開が少なくありません。
主人公が急に有名人に会えたり、歴史的事件に立ち会ったり。あまりにも不自然な演出には、うんざりしてしまうこともあります。
しかし、「八重の桜」にはこういった主人公補正が余りありません。
物語前半、主人公はあくまで一藩士の娘として考え、行動します。
ドラマで描かれるのは、何気ない日常。兄嫁との家事。薙刀の稽古。鉄砲の訓練。
大河ドラマの主人公に、時代を動かす大立ち回りを期待している人には、いささか地味に映るかもしれません。
しかし、とりとめもない日常生活を、丁寧に描いたことには意味がありました。なぜならドラマの中盤、その幸せな日常生活は、会津戦争で粉々に打ち砕かれるからです。
戦争へと向かう、緊迫した情勢の描き方も、リアリティがありました。
「ご都合主義」のドラマなら、ここで主人公が時代を見通すような発言をしたりする者ですが、
よく考えれば、遠く離れた京都や江戸の、それも政治の中枢の動きを、主人公が分かっている方が不思議です。
めまぐるしく変わる政治状況に驚き、「どうして?」「なぜ?」と悲しんだり悔しがったりする八重は、等身大の主人公でした。
ご都合主義に流れず、あくまで、「政治の中枢から離れた一藩士の娘」として主人公を描いたことは、評価してよい点ではないでしょうか。
(だからこそ、後半、視聴者の批判を受けての脚本変更で、この美点が少し薄まってしまったのは残念でしたが)。
○一方的な会津礼賛ではないこと
「八重の桜」は戊辰戦争の敗者である会津藩の側から、幕末~明治の歴史を描く物語です。
しかしそれは、手放しの会津藩礼賛や、薩長批判ではありません。
会津という国が自ら滅びの道へと突き進んでしまった危うさも、丁寧に描いているのです。
たとえば、西島秀俊さん演じる主人公の兄・覚馬(かくま)が軍備の遅れに危機感を抱き、ヨーロッパ式の軍制改革を進言するシーン。藩の上層部は、財源不足を理由に、若い覚馬の意見を却下してしまいます。
物語中、会津の特徴のひとつとして語られる「頑固さ」。「頑固である」ことの良さと悪さ、そのいずれも、「八重の桜」はきちんと描いているのです。
又、ドラマ終盤、綾野剛さん演じる元会津藩主・松平容保はこう心中を吐露します。
「武士の忠義を貫き通した代わりに、わしは、会津を死地へと追いやった」
女子供まで戦った会津戦争。それを美化するのではなく、戦争の責任の重さをしっかりと描くところに、わたしはこのドラマの良識を見た思いがしました。
長々と語り尽くしてしまいましたが、「八重の桜」の魅力、少しはお伝えすることができたでしょうか?
チャンネル銀河さんがこのドラマを放映する際、流していた「予告」が大変かんたんにあらすじをまとめていますので、興味を持った方はをどうぞ。
さて、次回は、わたしが一番好きな大河について語らせて頂きます。
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