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【小説】ひなた書房より①(全4話)

第一章


街全体が見わたせる大きな窓からは見慣れた街並みが広がっている。
空にポッカリと浮かぶ雲がゆっくりと移動して形を変える。
私はその様子をぼんやりと眺めていた。

ノックの音がして、我に帰る。
「わぁ。なんか変な感じ。結花じゃないみたい」
勢いよく入ってくるなり甲高い声で呟く。
「普通さぁ。綺麗とか言って涙ぐむもんじゃないの?」
振り返るとママの目はすでに赤く、涙がにじんでいた。
目を細めて私を見つめるその顔は美しく、真っ赤な口紅と黒い着物のアンバランスさが、より彼女の派手な顔を際立たせている。

ママの涙につられて、つい涙腺がゆるむ。
ママとは沢山喧嘩もしたけれど、不器用ながらも一生懸命私を育ててくれた。
照れくさくてママに言えなかった言葉を今なら伝えられるかもしれない。
そう思い、口をひらいた瞬間
「でもちょっと地味過ぎない?せっかくの晴れの舞台なんだから、もうちょっとフワーっとかヒラヒラーとかキラキラとかさ。なんか無かったわけ?」
ママは私の言葉を遮るように言った。

「クラシックで素敵でしょ」
「クラシックね…私だってこんなクラシックな着物じゃなくて可愛いドレス来たかったのよ。せっかくの晴れ舞台なのに」
拗ねた様子で口を尖らせている。
「主役より派手な母親なんて聞いたことないよ」
しんみりとした空気が嫌いなママらしくて、つい笑ってしまった。

ママはカバンの中から何かを取り出した。
手渡された封筒には猫と花のスタンプが押されていて、薄くて小さい丸い字で『結花ちゃん、結婚式』と書かれている。
「用意してくれてたんだ」
一気に胸が温かくなった。
ママの目が再び赤く染まる。
「でもさ、結婚する時のことまで考えてたなんて、ちょっと気持ち悪くない?」
ママは顔をしかめて悪戯っぽく笑った。
「うん…確かに気持ち悪い」
そう言って私も笑う。
「見たかっただろうね」
淡いブルーの空を眩しそうに見上げるママの顔は柔らかく美しかった。

ママがホテルスタッフに呼ばれ出ていくと、部屋の中はしんと静まり返った。
さっきまで空に浮かんでいた雲は消え、どこまでも青空が広がっている。

「見てるよねきっと」
ママの持ってきた封筒からは懐かしい匂いがした。
少し埃っぽい雨の日の濡れた土のような匂い。
私の大好きな匂いだった。
目を閉じると優しい声が聞こえてくる。

「結花ちゃんいらっしゃい」

大好きな声が。


*****


ママの電話が鳴った。
ワントーン高いママの甘えた声。
嫌な予感がした。
部屋から出てきたママは眩しいぐらいに光沢のある青いドレスを着て、真っ赤な口紅をつけていた。
「ごめんね。どうしても行かなくちゃいけなくて」
そういうとバタバタと戸締りをはじめる。

テーブルの上には駅前で買ったケーキの入った四角い箱と、特別な時にしか飲めないサイダーの缶。
「今日は一緒にこれ見るんじゃないの?」
「ごめんね。今度絶対リベンジするから」
泣きそうになる私の目を見ることもなく香水を体にふりまいた。
私の嫌いな匂い。
ママから別の人に変わってしまう。
そんな匂いだ。

ママに手をひかれキラキラとした看板が並ぶ道を歩く。
道にはタバコの吸い殻が落ちていて、白く臭い煙が空に向かってのぼっていく。
私はママの腕をぎゅっと掴み、息を止めるように歩く。
路地に入ると、まるで違う街に迷い込んだように一気に静かになった。
少し進むとそこには古びた木造の小さなお店。
『ひなた書房』それがこの店の名前だ。
チャイムを押してしばらくすると、錆びたシャッターが音を立てて開いた。

「ごめんね待たせて。寒かったでしょ」
首元が伸びたシワシワのスウェットを着て、ピンピンと跳ねる髪を撫でながら出てきた美幸くんの声は少し掠れていた。

「こんな時間に寝てたの?体調でも悪いの?」
矢継ぎ早に聞くママに
「大丈夫だよ。ちょっと横になってただけ。それより今日は本当に冷えるね」
身震いしながら答える。

またなんの連絡も無しに無理やり押しかけたのだろう。
人の都合も気持ちも考えない自分勝手なママに腹が立った。
そんなママに嫌な顔一つ見せず、いつもこの人は私達を迎え入れてくれる。

美幸くんはぼんやりとした顔に無理やり力を入れてニッコリと笑った。
「結花ちゃんいらっしゃい」
優しくて温かい美幸くんの笑顔。

ママからケーキの箱を受け取ると、大きな身体を小さく丸めてしゃがみ、私の目をみてまたニッコリと笑った。

「そっか、結花ちゃん。一緒に食べよう。特別な日に一緒にいられるなんて最高だよ」
そう言って私の手を握った。
温かくて柔らかい手で。

ママはあっという間に行ってしまった。
「美幸くん、身体しんどいんじゃないの?」
「ただ寝てただけだよ。昨日怖い映画みたら眠れなくなっちゃって、結花ちゃんが来てくれて助かったよ」
「なにそれ?子どもみたい」
美幸くんは、食器棚の引き出しから何かを取り出し、それを水で流し込む。
明らかに顔色が悪い。
やっぱり体調が悪いんだろう。
こんな日に押しかけてしまった事を申し訳なく思った。

「先にお風呂に入っておいで。準備しとくね」
美幸くんはいつも私が家に来るとまずはお風呂に入れという。
「お風呂にさえ入っておけば後は自由だ。なんでも出来る」
よくわからないが美幸くんはいつもそう言っていた。

今日は私の8歳の誕生日だった。
ママと一緒にケーキを食べながら『魔女の宅急便』を観る約束をしていたのだ。
私の大好きな映画で、何故か誕生日にはこれを観ることになっている。

美幸くんの家のお風呂はトトロに出てくるような古いタイルの床で、小さくて古いけれど私はここが大好きだった。

お風呂から上がると廊下で美幸くんが待っていた。
「わざわざ着替えたの?」
無理やり寝ぐせを治したのだろう。
髪が少し濡れている。
「特別な日にスウェットはないだろう」
「でもそのシャツしわしわだよ」
「厳しいな結花ちゃん」
耳まで真っ赤になった美幸くんは小さく屈み私の目を見て
「結花ちゃん、目をつぶって」
そう言って私の手を握った。

手を引かれてヒヤリと冷たい廊下を歩く。
ガラス戸が開く音がすると、懐かしいような温かいような不思議な匂いがした。

「目を開けて結花ちゃん」
目を開けると本棚の上にずらりと色とりどりのキャンドルが並べてあった。
キラキラとした光がとても綺麗でポカポカと暖かかった。

「わぁすごい綺麗」
「だろ?このまえ駅前の蚤の市で見つけてさ、結花ちゃんに見せたいなって思っていっぱい買ってきたんだ。本当はクリスマスにって思ってたけど、せっかくのお誕生日だからね。特別感あるだろ」

テーブルには私の大好きなチョコレートのケーキ。
8本のロウソクが立てられている。
「ハッピーバースデートゥーユー」
美幸くんが歌い出した。
ちょっと音程がずれていて、あまりに大きな声で歌うもんだから、恥ずかしくて歌が終わるのを待った。
ロウソクを吹き消すと美幸くんが大きな封筒を差し出す。
中には可愛いウサギの絵が描かれた絵本と、7歳の誕生日の時の写真が入っていた。

写真の中には、美幸くんにもらった絵本を持って笑う去年の私がいる。
「一年前はこんなに小さかったのにね。あっという間に大きくなってさ、美幸くん臭い。近寄らないで。とか言ってくるんだろうな」
寂しそうに笑った。
「そんなわけないよ。ずっと美幸くんのこと大好きだよ」
「そっか、ありがとう」
ロウソクの明かりに照らされた美幸くんの横顔は消えてしまいそうなぐらいに白かった。

「急だったからさ、ごめんねこれしかなくて」
ケーキの横にはプラスチックのトレイに入ったお好み焼きが置かれている。
「誕生日っぽくないよな、本当ごめん」
お好み焼きの上には大量のマヨネーズがかけられていた。
「なんか書いてあるの?」
「ほら、誕生日だからさ、せめてそれらしくしようと思ってメッセージ書こうとしたんだけど」
「メッセージ?」
「失敗しちゃって」
「えー?下手すぎるよ美幸くん」
と私が笑うと
「いいから、早く食べて。これ凄い美味しいんだよ」
耳まで赤く染めて顔いっぱいで照れている。
「美幸くんは?食べないの?」
「僕はいいよ、結花ちゃんいっぱい食べて。だってさもう8歳だよ。7歳の時より沢山食べないと。昨日の結花ちゃんと今日の結花ちゃんでは違うからね」

美幸くんは、またよくわからないことを言って、私が食べる姿を嬉しそうに見ていた。
それから一緒に『魔女の宅急便』を観た。
ママは絶対に途中で寝てしまうのに、美幸くんは笑ったり悲しんだり最後まで一緒に観てくれた。

ママが迎えにきたのはそれから1週間後だった。
悪びれたそぶりもなく、駅前の居酒屋のだし巻き卵と焼き鳥を持って帰ってきたママに美幸くんは嫌な顔ひとつせず
「ちゃんと食べてる?ちょっと痩せたんじゃない?」
なんて言いながら夜ご飯まで用意して
「じゃあね結花ちゃん。勉強がんばってね」
ニッコリと笑いながら私が見えなくなるまでずっと手を振っていた。

久しぶりに握ったママの手はひんやりと冷たかった。
確かに少し痩せたみたいだ。
真っ白のモコモコしたニットにデニムのパンツ。
きっとアーティストとかいう仕事をしている彼氏に振られたんだろう。

ママは彼氏が出来ると服装が変わるからすぐに分かる。
新しい恋人が出来るといつもママは家に連れてくる。
ママが連れてくる相手はニコニコと私の機嫌を取ろうとしてくるが、誰一人好きになれる人はいなかった。
彼らが見ているのはいつだってママで、私と目を合わせて話してくれる人なんていなかったからだ。

「ねえパパってどんな人だったの?」
学校で友達に聞かれた事を思い出した。
パパに会ったことがないと言うと、みんな興味津々だった。
ママは少し考えて「とっても優しい人よ。でもパパになる勇気がなかったの」と言った。
「パパになる勇気?」
ふつう優しい人ならパパになってくれるものではないのか、言っている意味がよくわからなかった。

風が吹き遠くから甘い香りがした。
「あっ!焼き芋〜。今日は青春して帰ろう」
ママは私の手を強く引き、屋台へと足早に歩きだした。

(続く)


第二章


第三章


第四章(完結)


制作秘話


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