見出し画像

【小説】ひなた書房より③(全4話)

▼第一章からご覧になる場合はこちらへ


第三章



昨日まで秋だったのに急に冬になったみたいな、そんな日だった。

薄手のコートを着てきたことを後悔しつつ、木枯らしの吹く川沿いの道を歩く。
手が悴んで自分のものじゃないみたいだ。
数歩まえを歩く天野君は振り返り「じゃあ、また明日な」と言うなり自転車に乗ってあっという間に見えなくなった。

あれから天野君との気まずさは徐々に無くなって行った。
ただ隣にいるだけで安心して、無理に話さなくても通じ合っているような、空気のようなそんな関係が心地よかった。

家に帰ると珍しくママがいた。
「私、佐々木さんとここで暮らす事にしたから」相談するでもなくきっぱりとそう言った。
「どういう事?いつから?」
「今夜からだよ。大丈夫よ私の部屋に住んでもらうから」
数日前まではあんな奴もう別れてやるなんて言っていたのに、ママは何を考えてるんだろう、頭が混乱した。
「じゃあ私はどうなるの?」
ママは私の顔もみずに
「もし結花が佐々木さんと暮らすのが嫌なら、美幸くんのところに行ってもいいのよ」
と言った。
行ってもいい?選択肢は私にあるようなふりをして、ママはきっと私が出ていく事を望んでいる。 
唇をぎゅっと結ぶ。
泣きたくない、泣いたら負けな気がした。
私は大きなボストンバックに手当たり次第荷物を詰め込み家を出た。

ひなた書房の前につくとシャッターが下りていた。
いつもならまだ空いてる時間だ。
今日は病院へ検査に行くと言っていたからまだ帰っていないのかもしれない。
悴む手で鍵を取り出し、裏口から家に入ると美幸くんはソファーに横になっていた。
背中が大きく波打っている。
「美幸くん?」
額には汗が滲み右手を胸に押し当て、震えるように息をする。
「救急車呼ばないと…」 
分かっているのに身体が硬直して動かない。
膝がガクガクと震えて立っているのがやっとだった。
美幸くんは顔を顰め小さく唸り声をあげながら私の手を握って何かを伝えようとしている。
「薬?待ってて!」
私はキッチンの食器棚の引き出しを開けた。
そこには沢山の薬が入っていた。
美幸くんの病気は思っているよりも重いものなのかと思うと、怖くてたまらなかった。

薬を飲むと美幸くんは力無く笑って
「ごめんね。大丈夫だから」
と言った。消えいるような声だった。
青ざめた唇が微かに震えている。
しっかりしなくちゃ。
そう自分に言い聞かせても流れる涙を止めることは出来ず、私は子どものように泣き続けた。
美幸くんは私の手を握り
「大丈夫。大丈夫」
とまるで子どもを慰めるかのように何度も言った。
暫くすると薬が効いたのだろう。
少しずつ呼吸が安定し、こわばった身体が解けていった。 

身体が痛くて目が覚めた。
硬いリビングの床はひやりと冷たい。
美幸くんはいつものようにキッチンで朝ごはんを作っている。
昨日の夜、美幸くんのことが気になってここで眠ったんだ。
時々目覚めては美幸くんの体温を確かめる。
美幸くんの手の温もりを感じるとホッとした。

「おはよう結花ちゃん」
いつもの美幸くんの笑顔だった。
「もう大丈夫なの?」
「結花ちゃんこそ大丈夫?そんなところで寝て風邪でも引いたら大変だよ。テスト前なのに」
美幸くんは昨日のことが嘘のようにけろりとしている。

「もし…昨日私がいなかったらさ…美幸くん死んじゃってたのかな?」
死ぬと言う言葉を軽々しく使ってしまった事を後悔した。
「確かに…結花ちゃんは命の恩人なのかもしれないね。味噌汁じゃなんだから、こんど何か奢るよ。結花ちゃん何がいい?」
卵焼きをモグモグと食べながら、あまりにも軽い美幸くんの返事に一瞬思考が止まる。
「えっと…焼き鳥…」
「焼き鳥ね。僕の命に比べたら安いもんだな。ちょっと安すぎる気もするけど…」
美幸くんはぶつぶつ言いながら食べ終わった食器をカタカタと集めて洗い物をはじめた。


*****


テストも残すところあと一日。
憂鬱な数学のテストが終わり解放感に包まれながら校舎を出る。

「結花ちゃん」
振り返ると同じクラスの沙樹がいた。
話しかけてくるなんて珍しい。
「あのさ…天野君とどこまでいってるの?」
あまりにも唐突な質問で驚いた。
「内緒なんだけどさ、わたし、隣のクラスの山岡と付き合うことになってさ、美紀も愛も彼氏いないからこんな事聞けなくて」

そういえば、私たちはキスはおろか手すら繋いだことがない。
これっておかしな事なのか。
「結花ちゃん?」
沙樹は怪訝な顔をしている。
「えっと…」
正直に話そうとしたその時、遠くから沙樹を呼ぶ声がした。
「ヤバっ、ごめん…結花ちゃんまたね」
パタパタと走って行ってしまう。
山岡くんと沙樹は手を繋いであっという間に見えなくなった。
付き合って半年以上も経って手さえ繋がないのはおかしな事なのか…それさえもよくわからない。
帰ったら美幸くんに聞いてみようか…
美幸くんは彼女とかいたのかな?いや…いないだろう…頭の中でぐるぐると考えた。

遠くで稲光が走る。
空を見上げると分厚い雲がかかり今にも雨が降りそうだった。
「やばっ、傘忘れた」
Uターンして校舎に戻る。
静まり返った廊下には私の足音だけが響いていた。
教室につくと人がいる気配がして、恐る恐る覗くとそこには天野君と篠原さんがいた。
この先、嫌なことがおこる事は私にだって想像がついた。
見たくない、見なければ無かったことに出来る。
動こうとするのに身体に力が入らなくて呆然と立ちすくむ。
篠原さんの背中に天野君の手が触れた。
泣いている篠原さんを優しく包むように抱きしめて、そのまま二人はキスをした。
悔しいけれどその光景はとても美しかった。
私は震える足で逃げるようにその場を離れた。

ふらふらとあてもなく歩く。
いつの間にか雨が降っていて、私は鞄から折り畳み傘を取り出す。
「今日は雨が降るかもしれないよ」
美幸くんから渡された傘だ。
荷物になるからいらないって言ったのに無理やり鞄に押し込まれた傘。
雨が傘に落ちる音を聞くと心が落ち着く気がして、ただひたすらに雨の中を歩いた。
いつの間にか夜になっていた。
あたりは暗く、ネオン街の看板は眩しいぐらいにピカピカと輝いていて、雨だというのに色とりどりのドレスを着たきらびやかなお姉さんが傘をさしてお店の前で立っている。 
ママの事を思い出した。
あれからママには会っていない。
たぬき社長とはうまく行っているのだろうか。
ママとたぬき社長の抱き合う姿が脳裏に浮かんできて、私は頭をブンブンふってその光景を脳内から掻き消した。

家につくと真っ暗だった。
美幸くんが出かけるなんて珍しい。
心配になって振り返ると、裏口のドアが開いた
「結花ちゃんお帰り」
びしょ濡れになった美幸くんが立っていた。
「美幸くん、どうしたの?びしょ濡れだよ」
「ちょっと…買い物に」
嘘をつくのが下手すぎる。
「何も持ってないじゃん」
きっと帰りの遅い私を心配して探していたんだろう。
朝から雨が降ることを予想していたのに、傘も持たずに。
「何かあった?」
「何もないよ」
「そっか…お風呂入っておいで、あったまるよ」
美幸くんは何も聞かなかった。
「美幸くんが先に入ってよ。びしょ濡れだし風邪ひくよ」
「大丈夫だよ。ほら入って」
「でも…」
「ほら、年頃の子はおじさんの後にお風呂入るのとか嫌なんでしょ。お湯変えてよー。とかドラマでみたことあるもん。結花ちゃんが後から入ると思ったら、気になってゆっくり浸かってられないよ」
「そんなこと気にしてたの?」
「まあね。もうおじちゃんだけど、結花ちゃんに嫌われたくないからね」
おどけるようにして笑う美幸くんを見ていると涙が出そうで、私はうつ向いたまま風呂場に行った。

お風呂から出ると廊下から声がした。
「食欲ないかもしれないけどさ、スープ置いとくね。あったまるよ。いらなかったら食べなくていいし」
きっと美幸くんは何もかも分かっているのだろう。
キッチンのテーブルの上には野菜のたっぷり入ったスープがあった。
薄味のスープを一口飲むとポロポロと涙が出た。
そこからは、とめどなくただひたすらに泣いた。


*****


エレベーターが降りてくるのを待ちきれず、薄暗い非常階段を上がる。
白い廊下を走り、分厚くて重い扉を開けた。
美幸くんは心電図のモニターにつながれていた。
顔が紅潮していて身体に触れるともの凄く熱かった。
「来てたんだ」
声がして振り返ると、化粧もせず部屋着のような服を着たママが立っていた。
久しぶりに会ったママは少しやつれているように見えた。
「私のせいなんだよ。美幸くん私のせいで雨に濡れて…」
なんで昨日さきにお風呂に入ってもらわなかったんだろう。
風邪をこじらせて入院する美幸くんを何度も見てきたのに、自分の軽率な行動に腹が立った。

「結花のせいじゃない。美幸くんが馬鹿なんだよ。いつも人のことばかり考えて、本当馬鹿だよ」
ママは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「昔、私が熱出した時も心配してずっとそばにいて、結局自分が熱出してさ、死んじゃうところだった…人のことばっかりで、自分はどうなっても良いみたいに…心配してる人のことなんて考えてなくて…本当馬鹿だよ」
ママの背中が震えていた。そんなママを見るのは初めてだった。
「美幸くんの病気、もう治らないんだって、治せないって…もう美幸くんダメかもしれないって」
前の検査で美幸くんの心臓に大きな疾患が見つかった事をママから聞かされた。
「ママそれ知ってたの?だったら、なんで言ってくれなかったの?それ聞いてたら私、美幸くんにあんな無理させなかった。ご飯だって毎日作らせて、風邪ひかせて、私のせいじゃん」
悔しくて悲しくて苦しかった。
「それがさ…美幸くんの楽しみだったんだよ。毎日、結花のご飯つくるのが美幸くんの楽しみだったんだよ」

少し前に、朝ごはんぐらい自分で作れると美幸くんに言ったことがあった。
そしたら美幸くんはすごく寂しそうな顔をして
「ご飯ぐらい作らせてよ。僕なんてさ、なんの役にも立たないけど、結花ちゃんが大きくなるのを見るとさ、結花ちゃんの細胞の役にぐらいは立ててるのかな?って思えるんだよ、結花ちゃんの成長の手助けぐらいさせてよ」
と言った。
「細胞って、美幸くん気持ち悪いよ」
恥ずかしくなって私が言うと
「そうだよな…気持ち悪いよな」と笑っていた。

ママは続けて言った。
「美幸くんさ、結花といると本当に幸せそうで、あんな風に笑う美幸くん初めて見た…きっと成長していく結花をみる事が美幸くんの生き甲斐だったんだよ…私はそんな美幸くんをずっと見てたくて、一人にするのが怖くて、ごめんね…」
ママの唇がかすかに揺れている。 
ずっと美幸くんの片想いだと思っていたから、ママがこんな風に美幸くんを想っていた事に驚いた。

「なんで私だけなの?ママは美幸くんの事好きなんでしょ。だったらママも一緒にいたら良かったじゃん」
3人で暮らせたらどんなに幸せだっただろうと思うと涙が出た。

「私だって…」
ママがそう言った瞬間に心電図モニターのアラームが鳴り響き、バタバタとお医者さんや看護師さんが入ってきて、美幸くんを連れて行ってしまった。

↓4話へ続く

のこり後1話。
帰りに♡押していただければ励みになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?