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諦め方を知っている


自分は自分なりに諦め方を知っている気でいる。

嫌なことがあっても
「まあ仕方ないか」
「まあこれが人生か」って思う。

一度自分の人生というか生命を諦めようとした人はそのへんのハードルが低いのかもしれない。

諦め方で言えば、
昔書いたこの記事にも通ずるところがある。


人間関係にも「諦め方」はある。
「割り切り方」と言ったほうが自然だろうか。

人間関係のことで言えば、
芦田愛菜さんの言葉がとてもよくて
度々思い出している。


期待はよくない。
期待してはいけないと分かっていても
心のどこかで期待してしまっている自分がいた。

だから僕は「期待しない」ことは諦めた。
その上で
「人は裏切るものである」
「その時にどうするかだ」

と思うことにした。

そうしたら心が軽くなった。


ここでいじわるなのは
「期待は裏切られるものである」ではなく、
「人は裏切るものである」と書いていることだ。
つまり"人のせい"にしているのだ。

僕は人を悪者扱いしていて
嫌なやつと思われるかもしれない。

でも違う視点から見れば
これは性悪説的な考え方だ。
「人は多少の悪を持っているのだから
 多少は許してあげましょう」
「人は弱い。
 その弱さを受け入れてあげましょう」

と捉えることもできる。

この考え方は
「〜すべきである。それにそぐわないのは悪だ」
なんていう暴力的な思考と隣合わせでもある。

如何にせよ、もちろん犯罪はだめだ。


僕はそんなケースバイケースな考え方で
人間を諦める、妥協することにした。
いいのだ、裏切られても。それが人間なのだ。


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