CRYAMYについて(2020/02/02@福岡graf)

「生まれてきて良かったなんて 思ったことはないんじゃないかな まぁついでに言えば生きてきて良かったなんてことも ないんじゃないかな」

音楽で世界は変わらないとおもうし、音楽で明日が変わるとも私はおもわない。音楽がなくたって生きていくことはできる。


所詮、嗜好品である。生活必需品でない。

だれど、私は音楽がなければ生きにくい人間である。生きていくことはきっとたぶん出来るけれど、すごく困難なこと。

そして、本当に2回だけ音楽に救われたことがある。

命まではいかないが、心を。

1度目はplenty、そして2度目はCRYAMYだった。
もしかすれば3度目も4度目もこれから幾度となくあるかもしれない。もしかすればこれっきりかもしれないし。

plentyについてはいつか書きたいけれど、あの頃を思い出すと、やっぱりきついから、まだまだ先になりそう。

あの時泣かせたことをわたしは一生後悔するしもう二度とあんな思いはさせないから。


CRYAMYに出会ったあの日、わたしは確かに救われた。

心を。

感動とか共感とかそんなものではなくて、上手く言葉には出来ないけれど、とにかくでかくてうるさくて、歌詞なんてまともに聴きれとやしなかったのに、滅茶苦茶かっこよくて、CRYAMYばかり聴き続けた。

あの日から今日も変わらずCRYAMYを聴いている。

# 2に一緒に同封されていた小さな紙切れに書かれたカワノさんの手書きのメッセージは私の宝物。


飾ることなく、かといって流行りの狙ったダサさも感じられない、ひたすらに真っ直ぐ、何も繕わない、難しい言葉もメロディもない、だから、刺さる人には、少なくとも私は、ぶち抜かれた。


福岡のMCは岡山と少し似ていたし、下手くそで何度も同じことを繰り返すしまとまりもないけど、いつも本気で、まっすぐで、やっぱり優しかった。

福岡は2回目だけれど、九州にはいい思い出がないと言っていたし、今回も「もう二度と来ねえ!」と言っていたけれど、また今回で少しでも来てよかったと思ってもらえたならいい。
いい思い出がほんのすこしでも増えればいい。

「あんたたちが、底辺まで落ちて、ぐちゃぐちゃになっても、俺はずっと見てる。ずっと見てるから。」

月面旅行前のMCでこんなことをいってくれた。

「ここから見えるあなたたちがプラネタリウムだよ。本当に綺麗な顔してる。いい顔してる。」

ちょっといつもより優しくてちょっと泣きそうな顔でこんなこともいってくれた。


それはこっちの台詞だ、とおもったが、気付けば視界が揺れて、すぐに音の波に拐われた。



本物なんだよ、彼らは。


ただのファンの私が言うのも何だけど、CRYAMYは本物。嘘がない。
無理に共感を呼ぶことも流行りに乗ろうとすることもしない。

彼らは彼らの信じた音だけを鳴らす。



爆音で。


彼らにはバンドしかないのだ。
きっとバンドしかできないのだ。
バンドしてくれてCRYAMYでいてくれて、ありがとう。



感情というのは脳が感じるもので、心なんてものは人体には存在しないことなど22歳の私はとっくに知っているけれど、それでも、CRYAMYを聴いてる時に揺さぶられるものは、間違いなく、心なのだ。



わたしはこれからもCRYAMYを追いかけるだろう。



バンドが終わるまで、わたしが死ぬまで。


その日までCRYAMYを信じ続けるよ。

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