2億4千万の住処
真夏の2020年夏、私は鎌倉の3つの鳥居で有名な段葛にいた。観光ではない。ある不動産契約締結のために、段葛沿いの営業所を訪れていた。といっても私が契約をするのではなく、母の家の売却の単なる付き添いだった。
私は、日々の生活では地元愛を公言しており、育った逗子・鎌倉を湘南の中でもとりわけ愛していた。なので、今回の売却に関しては帰る場所が逗子でなくなるという事実を突きつけられて、非常に寂しかったものである。しかし一方で両親の離婚の舞台となった家であることーーつまりいい思い出はないことと、直近ではただただ大きい家に高齢者一人で住むことの大変さを背景にして、売却に関しては母の気持ちを考えると至極当然な流れであった。という訳で、手付金数百万の現金を目の当たりにしたり、アクリル板越しに取り交わされる書類の数々を見送るというイベントに参加したのである。
コロナ禍で、より一層日本文化を好きになった。STAY HOMEは鎌倉時代からあったといわんばかりに鴨長明の方丈記にハマり、「行く川の流れは…」の一節は自分の大好きな日本語の一つとなった。人はずっと留まっていることはない。天災や、なにかしらの理由でどんどん住む場所を変えていく。ずっと変わらぬものは、この世にはない。まさに無常、それを受け入れる心を持つことを決めた。
着々と売却の準備は進んでいく。不動産事務所の待合室でその不動産が紹介している物件情報に目を投げた。見慣れた土地の住所、そういった番地レベルで土地名が表示されるなかで「地元民」ならその価値がわかる場所の並びであった。A4サイズいっぱいに印刷された物件情報たちを左上隅からZ字の流れで眺めていた。鎌倉市御成・7000万、逗子市小坪6000万。今の時代マイホームの夢は古いなんて言いつつも、湘南の一軒家に住むことはまだまだステータスである。ざっと目を通している中で頭飛び抜けた価格、2億4000万の価格に目がいった。におくよんせんまん。思ったこと、1つ目、億か…。2つ目、やっぱり鎌倉って高いんだな...。3つ目、郷ひろみじゃん、絶対家主狙ってるでしょう。
そのとき、不動産の担当者に呼ばれた。そこから忙しく、しかし淡々と契約の手続きは済んだ。次の母が住む物件、契約の手続き、ついでに私の仕事も忙しくなり、どんどん日は過ぎていった。
季節は過ぎて、自分も引っ越しすることになった。ただただ通勤に便利な場所を選び、ワンルームの小さなアパートを選ぶことにした。もちろん一番気にするのは家賃なのだが、思い出すのは二億四千万の古民家の存在。不動産の契約時というものは、いつも自分の収入や働いている会社の存在というものが社会的にどれだけ信用があるかというのを思い知らされる機会になる。フツウの会社員の給与を見て、一軒家を購入する収入にはまだまだ届かないことを知る。ふと思い出した2億4千万の古民家を買う人はいったいどんな職業で、どれくらい多くの資産を持っていて、それだけの資産がありながら東京のマンションの購入には目もくれず、古都を選んだそのセンスを持っている。どんな人なのか。空想を繰り広げた。そしてその全てが羨ましいと思った。
手の届かないような恋をしたような気分である。願わくば、古民家で浴衣を着て日本茶を嗜むような生活をして、夏の晴れた日サーフィンに出かけて、ヨットなんかに乗ったりして。中心部に集まる寺社を巡り、日本の歴史を思ったりして。雨が降れば家の湿気を気にしたり、維持が大変と言われる木造も愛で、畳に似合わないインターネット回線を引くのに苦労しつつ、画面と日本建築の親和性も考えつくす。たまに都心に用事があればさっと東京にも出れる。現代版OLの陰翳礼讃であろう。
そして、この夢のような恋愛の一部始終を、二億四千万の瞳が見つめるインターネットに垂れ流すこととしようか、企んでいるところである。
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