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最悪な事態を想定する症候群

こんにちは、ロト⊿です!

皆さんはポジティヴ思考ですか? それともネガティヴ思考ですか?
「ネガティヴかな・・・」、「そんなきれいには分かれないよ」などなど、いろんな声があろうかと思います。
あとは程度の問題とか。

ワイはネガティヴな方ですが、その程度がなかなかひどいです。
「最悪の事態」を想定しながら生きてしまいます。
そんな状態が常態化しているので、精神的にとても疲弊します。
「もう少し楽に考えたらいいのでは」とか、「何か起きてから考えてもいいのでは」と思うこともあり、その時は「確かにそうだな」と納得し、一時的に気が楽になります。
しかし、心から腹落ちしていないせいか、すぐまた元の常態化したネガティヴ思考に戻ってしまいます。
苦手な人たちやまだ起きていない心配事が夢に出てきたり、溜まったストレスが胃腸にきて過敏性腸症候群を起こしたりと、かなりしんどいことは否めません。

「最悪の事態」を想定して生きることはリスク管理の面では望ましいこと、むしろ必要なことです。
しかしそれが度を超えて心身を痛めつけてしまうと、ワイのように「最悪の事態を想定する症候群」になってしまいます。
夏休みが始まった瞬間に、終わりの瞬間に向けてカウントダウンしてしまって楽しむに楽しめなくなってしまうぐらいです。
自分でも「もっと楽に考えられたらなぁ・・・」とつくづく思います。

数十年生きてきて、すっかり全身にしみこんでしまったこの思考を変えることはおそらく容易ではないでしょう。
どこかで適当な落とし所を見つけるよりほかありません。

幸い、ワイのパートナーはとても楽観的です。
うらやましいぐらいです。
自分が沈んでいる時もそれは変わらず、「なぜワイがこんなに悩んでいるのに寄り添ってくれんのだ」と思ったりもしたのですが、よくよく考えると、一緒になって落ち込んでくれても、家全体が沈むだけで何の解決にもならないのだと思います。
むしろ、いつも通り明るく振る舞ってくれていたことがありがたく感じます。
いつも通り接してくれていたからといって、それは決して「心配していない」ということではなかったのでしょう。
心配はしてくれていながらも、日常生活は守らねばならないわけで、落ち込みにとことん付き合うわけにはいかなかったわけでしょう。
最後に自分を守ってくれるのは、「できるだけいつも通りの日常生活を維持すること」なのかもしれません。

最近になって、家事に目覚めました。
特に「皿洗い」と「トイレ掃除」。
これらの家事をやっていると、雑念から一時的に離れることができて、精神衛生上とてもいいです。
物が実際にきれいになっていくのはもちろんいいことなのですが、単調な作業を繰り返すことで、ささくれだった心が徐々につるつるになっていく。
そんな感じがしています。
家族にも喜ばれるし、「一石三鳥」です。

生きているとショッキングなことや落ち込むことが多々あります。
ある程度それらに反応せざるを得ないのですが、心や生活の全てをそれらに持って行かれてはなりません。
自分なりにいつもの生活を守っていくことで、危機の時期にあってもしなやかに生きていくことができるのではないか。
ポジティヴ思考になる必要はありません。
淡々と生活を守っていくことで、心を守ることができるのです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
ロト⊿

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