見出し画像

6分20秒小説『パーク・アベニュー通り1366』

 ニューヨーク市マンハッタン区を南北に縦断する通りだ。中央分離帯に植えられたベゴニアが、日差しや乾燥に耐えながら、通りの景観を緑に寄せている。
 グランドセントラル駅より向こうは、大企業の本社や本部が立ち並ぶ世界最大規模のオフィス街、その外縁というか外れに、一軒のカフェがある。この通りがまだ4番通りと呼ばれていた頃からある店。外壁は蔦に覆われ、他の多くのカフェが、大きなビルに埋め込まれるように存在しているのに対して、一軒の建物として独立不羈の趣で、蔦の奥のレンガから、歴史を発散している。

 オープンテラスの隅の席、若いウェイトレスが空のコーヒーカップをトレイに回収し会釈をした。客の男、座ったままウェイトレスにチップを差し出した。ベンジャミン・フランクリンが口元を歪ませている。100ドル紙幣だ。ウェイトレスは手を振り、紙幣を受け取ろうとしない。だが男は、立ち上がり、紙幣をトレイに置いて去って行った。

 次の日も同じことがあった。
 その次の日も、その次の次の日も。


 信号機が、止まっているカラスに話しかけた。
「どう思う?」
「どう思うって?」
「あのウェイトレスとあの男、どういう関係だと思う?」
「見てわかるだろ?男が女を口説いてるんだ」
「そうなのか?そうは見えないが」
「間違いないよ。信号機さんは、性別が無いから、その辺の機微が分からないんだよ」
「私にだって性別はある!青信号の時は男で、赤の時は女だ」
「じゃあ黄色の時は?」
「LGBTのどれかだ」
「なるほど。じゃあ君が男のうちに話しておくけど、男が女に金をやるってことは性交渉をねだっているに違いないんだ。我らカラスと一緒だよ」
「いや、やっぱり違うと思うね」
「いや、そうなんだよ!見ただろあの男の風体、よれよれのシャツに、汚い革靴、がりがりに痩せて色黒で頬はこけて髭だらけ。歳はまぁ50絡みといったとこか?まぁ、この通りではちょっと見かけないタイプだぜ?周りは皆パリッとしたスーツを着こなして、つやつやに髭を剃っている。そんな中にわざわざやって来て、冷たい視線を浴びてまで、毎日毎日あの女に金を渡してるんだ。絶対にSEXが目的だ」
「言ってても埒が明かない。明日さ、何を話しているかちょっと聞いて来ておくれよ」
「嫌だよ。またほうきで追い払われるから」
「頼むよ。じゃあ、私の上の一番止まりいい席の使用権を1か月間君にあげるから」
「それなら――」
 
 次の日、カラスは鳩の振りをして、首を前後にくいくい動かしながら、信号を渡ってカフェに接近した。


「どうだった?」
「今日は別のウェイトレスが給仕をしていた」
「で?」
「話を聞いたかぎりでは、先輩のウェイトレスが、チップを横取りしたくて、無理やりに交代したらしい」
「で?」
「男は1ドルしかチップを渡さなかった」
「ほー」
「な?」
「”な?”とは?」
「いやだから、やっぱりSEX目的だったんだよ。あのウェイトレスがタイプなんだ。だから固執してるんだよ」
「いや、まだそうとは限らない。明日も様子を伺って来てくれ」
「嫌だ。ボビーっていう大きな黒人のウェイター、僕を目の敵にしてるんだ。昨日も今日もたまたまいなかったけど、明日はきっといる」
「1年。特等席の使用権を1年あげるから」
「本気か?そこまでして知りたいのか?」
「ああそうだ。信号機は、この世でもっとも好奇心の強い静物だからね」
「分かったよ。明日も行ってくるよ」


「どうだった?」
「ふー、ボビーがいたよ!」
「大丈夫かい?」
「大丈夫じゃないよ。鳩の振り作戦は失敗だ!しかもアイツ、僕を追い払う用の棒を用意してやがった。危うく打たれるとこだったよ」
「それは大変だったねぇ。で?」
「その”で?”は止めてくれ」
「どんな会話をしていた?」
「知りたい?」
「知りたいよ」
「じゃあ、僕の特技の声真似で、一部始終を聞かせてあげよう」


「困ります」
「何が困るんだい?」
「ですから、こんなに高額なチップは受け取れません」
「どうして?」
「高額過ぎるからです」
「額が少ないという苦情なら分かるけど、多すぎるという苦情は理解できない」
「理解してください。とにかく困るんです」
「お金があって困ることはない」
「そんなことはありません」
「お金が無ければ困るだろ?じゃあお金があればその逆だ。違うかい?」
「ふふっ、理屈ではそうですけど」
「笑ったね。初めて」
「……こんなことを言うと失礼だとは分かっていますが、お見掛けしたところ、とてもお金に余裕がある暮らしをされているとは思えません。なのにどうして、こんな過剰なチップをくださるんですか?それも私ばかりに」
「それが目的だよ」
「”それ”と言いますと?」
「君に理由を聞いて欲しかった」
「理由?教えてください」
「……済まない。君は苦学生だと聞いた。母親は体を悪くして仕事をしていないって」
「どうしてそれを?」
「……済まない。本当に済まない。私は君の父親なんだ」
「……私の」


「そこで追い払われたんだ」
「嘘だろ!?その先の展開は?聞いていないのか?」
「聞いていない」
「それは無いよ……ここからが肝心なのに、どっちだったんだろ」
「どっちとは?」
「二つの展開が考えられるんだ。まぁ話からすると男は、家庭を放棄して失踪していたんだろう。娘は当然恨んでいる。激怒し、金を投げつけ、罵詈雑言を浴びせる。これが、”修羅場パターン”だ」
「なるほど、で?」
「”で?”は僕の専売特許だよ。で、次は和解パターン、いったんは困惑した娘だが、恨む反面、父親の存在に焦がれていた面もある。めでたく親子は和解して、連れ立って母親のもとに向かう、ハッピーエンドというのかなこれが」
「なるほどねぇ」
「どっちだと思う」
「見てなかったのかい?」
「ダンプが止まってて見えなかった。よっぽど青信号にしてやろうかと思った」
「僕は見ていた」
「教えてくれ」
「じゃあ語るよ。見たままをね」


 テーブルに置かれた男の拳、震えている。そこに涙が落ちた。男の涙だ。何滴も何滴も落ちた。しばらくして、女の涙も落ちてきた。男の拳を女の掌が覆った。やはりそこにも涙が落ちた。男の涙と女の涙、半々くらいの割合で。
 そしてボビーが、見たことない長い棒を持って走って来て――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?