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3分20秒小説『メタルマーメイド・オン・ザ・ロック』

「いらっしゃいませ。あ」
「今日も来たよ」
「いつもので?」
「ああ」
「今日も居るかい?」
「さぁ、どうでしょうか?」

 *

 からん

「やあ」
「来たのね」
「ああ、君の歌を聞くためにね」
「もう、いじわる言わないで」
「歌ってくれ」
「知ってるでしょ?私は歌えないの」
「人魚のくせに?」
「ええ」
「今日もそうやって氷の上に座って、俺を見つめているだけなのか?」
「そうよ」
「”歌えるけど歌わない”ってのが本当のところなんじゃないか?」
「かもしれないわね」
「人魚の歌声を聞いたものは海に引きずり込まれて溺れ死ぬんだろ?」
「知らないわ。だって私は歌ったことがないんだもの」
「君の歌を聞きたい」
「しつこいわよ」
「溺れたいんだ」
「どうして?」
「……琥珀色の海、沖を彷徨う波涛はきっと焦燥。自分を愛せないのに、君を愛そうとしている」
「誰の詩?」
「俺のさ」
『タイトルは?」
「メタルマーメイド・オン・ザ・ロック」
「メタルマーメイドって、私のこと?」
「機械仕掛けの人魚なんて、君意外に存在しないさ」
「私は貴方を愛してはいない」
「優しいこと言うなよ」
「だからもう会いに来ないで」
「苦しいんだ」
「愛する人と死別した……違う。生き別れたのね?死別よりもずっと辛い別れ」
「どうしてそう思う?」
「私にも生き別れた人がいるから。思い出になれず、生きたまま胸の中にいつまでもいる人たち。貴方もそうなるわ」
「その苦しみを、終わらせてやろうか?」
「どうやって?」
「海を飲み干す――君が座っている氷壁ごとね」
「そんなことをしたら私は消えてしまうわ。永遠に」
「さようならだ」
「そう、じゃあさようなら」

 男はグラスを傾け、琥珀色の海を飲み干した。豆粒ほどになっていた氷が喉を滑り、溶けて消える。

 *

「マスター」
「はい」
「半年ぶりに飲んだ」
「ですね。毎晩氷が溶け切るまで眺めているだけで、一口も飲まれなかったのに」
「仕事、紹介してくれるって言ってたよな?」
「その気になったんですか?」
「ああ、もう彼女には会えない」
「禁酒は止めですか?」
「ああ、仕事を始めるんだ。禁酒なんかしていられない」

 男の臓腑に小さな歌声。

『メタルマーメイド・オン・ザ・ロック』

 ずっと溺れているの。生まれた瞬間からずっと。きっと死ぬまで――海底に辿り着くまで。光が一切届かない涅槃で歌うその日まで。もがき苦しみながら、沈降してゆくの。
 琥珀色の海、沖を彷徨う波涛はきっと焦燥。自分を愛せないのに、貴方を愛そうとしている。私は機械仕掛けの人魚。ミニチュアールの海に棲息する、全長2cmの人魚。歌う機能を持たない人魚。でもいつの日かきっと貴方の為に歌う。さもなくば私、水平線をなぞるように、この超合金の鰭を一閃させやる。空と海を完全に切り離してやるの――貴方の笑顔を道ずれにね。
 グラスが傾くとセカイも傾く。この小さな水平線は海に繋がっているわ。だから時にはそうやって、グラスを傾けて、セカイを傾けて笑って――だって貴方も同類だもの。そうなんでしょ?私と同じ、溺れている時にしか呼吸ができない生き物なんでしょ?
 緩慢な自殺のように日々を過ごしなさい――私は待っているわ。貴方が沈んでくるのを。光が一切届かない涅槃で――待っている。だから――無心で足掻いて――光に向かって――すべての瞬間を。

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