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3分50秒小説『カナリアとマドンナ鳥』

 鳥の世界には「恋をすると歌が上手くなる」という諺がある。でもカナリアはその諺を信じていない。
(本当の恋をしたなら、歌なんかまともに歌えるものか)
 瞳が潤む程度の恋ならば、喉も潤い声も伸びるかもしれない。でも、涙が零れる恋ならば、喉の水気は涙腺に吸われ、声はかすかすになってしまう。カナリアは確信している――実際に自分がそうだから。
 しかしカナリアの音痴を、その重度の恋患いのせいにするのはどうだろうか?彼の仲間は証言する「恋をする前から……アイツの歌声は酷いものだったよ」。

 丘の上の白くて大きな家に、すべての雄鳥が憧れる鳥がいる。仇名はマドンナ。
 晴れた日の朝のほんのひと時、軒先に籐を編んだ丸い鳥かごが吊るされる。マドンナはその鳥かごの中にいる。美しい青い羽を持つ鳥。森に棲む誰一羽として彼女がなんの鳥なのかは知らない。きっと異国の鳥なのだろう。”マドンナ鳥”という鳥種だと言い張るものもいたが、信ぴょう性は低い。

 多くの鳥達が――いや、多くというか森に棲む雄鳥のほぼすべてが、マドンナが軒先に現れる僅かな時間を狙って、庭のトネリコの枝に止まり、陽気に、澄まして、あるいは気障に、または哀れっぽく、彼女に歌いかけた。だが、誰が歌ってもマドンナは悲しそうに微笑むだけで、返歌を歌うことはなかった。

(音痴とはいえ僕はカナリアだ!)
 
 そういう自負心がカナリアにはあった。そりゃあ他のカナリアに比べれば、音程はズレているかもしれないけど、そこいらの山鳥には負けない歌声だという自信があった。でもそれはどうだろうか?彼の歌を聞いた雌鳥達は口を揃えてこう評する。
「カナリアだから期待したのにそれはもう酷い声だったわ」
「ムクドリよりも酷い声だわ」
「歌が下手だからこの森に棄てられたんだわきっと」
 雌鳥達の噂話はカナリアに伝わり、彼を深く傷つけた。

 ある朝、カナリアはトネリコの枝に止まり、マドンナを見つめていた。
「おい、見ろよ。またアイツ来てるぜ」
「今日は歌うかな?」
「そんな勇気ないだろうよ。だってあの声だぜ」
「そりゃそうだ。もしもアイツが歌ったら、あの優しいマドンナも絶対に顔を顰めるぜ」
 歌を歌う勇気――悔しいがカナリアにはない。ただ、彼女の羽の青さ加減が、空に同化するほどに澄みっているのを見ているだけだ。
「……美しい」
 呟く。
「君は美しい。この世界の空や海は君の羽の色に似せて創られたに違いない」
 言葉が溢れる。
「世界が悲しいのはきっと、君が美し過ぎるからだ。僕の心臓は、そう確信している」
「空の青は、時を経ていずれ、赤く染まり黒く沈む。けど君の青い羽はいつでも輝いている」
「僕もかつては君と同じ、鳥かごに囚われていた。或る日、何の前触れも無く棄てられたんだこの森に。それ以来、絶望に満ちた毎日だ。でも、君を見ていると、その青さで心が晴れるよ」
 気が付けば、カナリアは熱唱していた。歌いながら、(あーあ、なんて僕は音痴なんだ)と泣きたくなった。他の雄鳥の笑い声が頭の中でぐるぐる回っている。でもそんなことはどうてもいい。ただただ歌いたい歌いたい歌いたいから歌うんだと、衝動に任せて嘴を動かした。

 マドンナは――例に違わず、悲しそうに微笑み、返歌を返してはくれなかった。
 ただ、餌容れの中の粟を啄み、鳥かごの縁に並べていく――鳥文字だ。カナリアが読むとそこには――

「私は生まれつき耳が聞こえません。でも貴方の歌声を誰よりも美しく感じます」

******************** 
 
 それから毎日のように、二羽は同じ朝日の中にいる。カナリアの歌を、マドンナはウットリと聴いている。
 鳥かごの縁にニ列、種子が並んでいる――例の鳥文字だ。

「実を言うと、僕はかなりの音痴なんだ」
「ふふ、そんなの関係ないわ。聴こえないけど聴こえるの、貴方の心が澄み切った音色で」

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