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9分50秒小説『nestpiaで蟻は夢見る』

「おはようアントン」
「おはようプルース」
「よく眠れたかい?」
「ああ」
「それは良かった。例の悪夢は?」
「見なかった」
「good!じゃあ朝食に行こう」


 俺は嘘を吐いた。悪夢?見たさ昨夜もな。というより毎晩だ。悪夢を見ない夜はない。俺は今、nestpiaにいる。
 nestpia――全感覚没入型仮想空間(ASIVS)の一種。蟻の世界をモチーフにした人気サービスで、住民は皆、蟻の姿をしている。
 俺は現実世界で心を病んだサラリーマン、国から補助金を得て、この世界に治療滞在しているらしい。だが――
「記憶が無い」
 ここに至るまでの記憶がない。現実世界での記憶が一切無い。不安がる俺にプルースは、「治療滞在者によくある症状だ。そのうち思い出す」と言う。
 プルース、隣の巣に住む親友、らしい。プルースはそう言っている。今の俺の認識はすべて彼から伝えられたものだ。
 悪夢の話をしよう。


 髭の男がいる。悪夢の中で、俺はこの男を”大佐”と認識している。男が髭を開く。
「隼人、任務を復唱しろ」
「はっ、私、深山隼人二等捜査官は、只今より登録番号4873nestpiaに潜入し、そこで行われている違法行為を調査し報告致します。2時間ごとに定時連絡、帰還は78時間後であります」
「うむ。違法行為の詳細を述べよ」
「はっ、”Believers”と呼ばれる疑似宗教団体による。人格データの拉致、及び改変です。奴らは主に長期滞在プランのnestpianを狙って犯行を繰り返している模様。理沙……いや、山岸理沙一等捜査官からの定時連絡が途絶えて13時間が経過しております。俺、いや、私は彼女の安否の確認及び――」
「待て!後半はお前の任務ではない。私情を挟むな。山岸捜査官の件は別チームが担当することになっている。発言を抹消しろ」
「はっ、先ほどの発言を抹消します」
「宜しい。では、接続を開始する。『国家に全てを捧げよ』」
「『国家にすべてを捧げよ』」


「またハンバーガーかい?」
「ああ、蟻食は嫌いだ」
「そうかい?俺は好きさ。せっかく蟻の真似事をしているんだ。食いもんも蟻と一緒の方が没入できるだろう?」
「俺は、いい」
「なぁ、本当は見たんだろ?悪夢」
「……」
「触覚を見れば分かる。元気がない」
「見たらどうだと言うんだ?」
「ふー、やっぱり見たんだな?困ったもんだ」
「俺は別に困ってはいない」
「いや、困るだろ。毎晩悪夢にうなされ、あっちの世界の記憶に拘って悶々として、そんなんじゃ良くならないぞ。もっと、ここの気ままな生活を楽しめ」
「親切なんだな」
「そりゃあ親友だから」
「現実世界でも親友だったのか?」
「そうだよ」
「そうか、でも俺は覚えていない」
「あのな、君が俺を指名したんだぞ!治療滞在の補助員として」
「そうなのか?」
「何度も説明しただろ?ま、いいさ。あっちに戻ったら吹聴してやる。『コイツは酷い奴だ。自分で指名しといて、俺のこと”覚えてない”って言いやがった』ってな」
「好きにしてくれ」
「ま、お蔭で俺も国の金でバカンスが楽しめているわけで、その点については君に感謝しているけどな。あ、そうだ。アントン、あっちの世界を”現実”って呼ぶのはよせよ。Believersに聞かれたらただじゃすまないぜ」
「Believers……夢に出てくる名前だ。どんな連中だ?」
「聞いてどうする?」
「いいから聞かせろ」
「ふー、詳しくは俺も知らないが、なんでも”女王蟻”を信奉している団体らしい」
「女王蟻?」
「架空の存在さ、そんなものはいない。が、奴らは本気で、女王蟻のメタデータを創り出そうとしているって噂だ」
「創り出す?どうやって」
「なんでも、nestpian――ここの住人のことな、を拉致してそいつらのデータ領域を集めて――」
「女王蟻を誕生させようとしてる。そういうことか?」
「鵜呑みにはするなよ。ただの都市伝説の類だ。それよりノミのレースを見に行こうぜ」
「どこに行けばBelieversに会える?」
「よせよ。せっかくの天気だ。ラフティングに丁度いい笹の葉を見つけんだ今から――」
「教えろ」
「凄むなよ。行く気か?」
「ああ、でも心配するな。見るだけだ。遠目にな」
「ま、それもスリリングで面白いかもな……じゃあ付いてきな。おっと、その前に牙に付いたテリヤキソースを拭えよ」


 プルースの後に続き、下層へ向かった。”No number”と呼ばれるエリア。データの安定度が低くノイズが酷い。nestpiaの外縁域だ。
 ザザ、ザザと音を立て、乱れる視界に戸惑いながら、プルースの後に続いて穴を進む。進むうちに景色のドットが粗くなる。
「今日は処理が安定していないようだ。引き返そうぜ」
 プルートの声、声の方を見る。ドット絵の蟻がいる。
「お前は引き返せ。俺は先に進む」
「待て!この先は――」
「なんだ此処は?」
 そこまでえは覚えてる。突然、後頭部に衝撃を受け――


「……理沙」
「隼人、着替えなさい」
「今何時だ?」
 理沙が顔を使づける。
「遅刻するわよ」
「どうして起こさなかった」
「寝顔が可愛くて」
「ふざけるなよ」
「冗談よ。隼人の今日の出勤時間は?」
「……午後からだった」
「じゃあまだゆっくり眠れるわね。私は出勤するけど」
「理沙」
「何?」
「顔を見せてくれないか?」
「今見たでしょ?」
「いいから来いよ」
「はいはい」
「……美しい」
「止めてよ」
 理沙がはにかむ。
「何があっても、俺はお前を守る。命に代えてもだ」
「その時はお願いします。二等捜査官殿」
「おい、いい気になるなよ。出世は越されたが、仮想領域内での格闘技術では俺の評価の方が――」
「あ、もう行かないと、私が遅刻しちゃう。じゃあね」
「ああ、理沙」
「何?」
「愛してる……愛してる……愛してる」



「アントン、目を覚ませ」
「……プルース」
「起きたか?」
「ここは?」
「Believersの巣だ。君を完全に手なずけて利用することが俺の任務だったんだが、台無しだよ。幹部になり損ねちまった」
「お前もヤツらの仲間ってことか?」
「そうさ」
「どうして俺を?」
「お前の中にinstallされている軍用の通信ソフトと蟻闘術プログラムがどうしても必要だった。が、それは既にcopyさせて貰った。おかげで俺たちの戦闘力は格段にUPした。これで万が一政府がここに介入しようとしても、返り討ちにすることができるだろう」
「あの悪夢は、夢じゃなくて、ここに来る前の記憶だったんだな?」
「”悪夢は現実となり良い夢は夢のまま”だ。とろろで、お前の中に解析不能のデータがあるんだが、一体なんだ?」
「知らない」
「ま、いい。どうせ大したデータじゃないだろう。アントン、俺は期待していたんだぜ。お前なら本物の蟻になれるって。なにしろあっちの世界では政府の蟻だった訳だから」
「あっちの世界で親友だったんだろ?」
「はは、俺とお前が?お前の女をここにおびき出して、攫ったのは俺だ。あっちでもこっちでも、俺はお前の敵だよ」
「理沙は、どこにいる」
「会いたいか?」
「どこにいる!」
「泣かせるねぇ、こんな状況でも恋人のことを心配するなんて、beautiful!」
 カチカチ。脚を鳴らす音。ふざけてやがる拍手のつもりか?音が、伝播して無数になる。見えないが、数十匹は仲間が居るらしい。
「理沙に会わせろ」
「せかすなよ。じゃあ感動のご対面だ」

 光が幾つか足元に灯った。巨大な灰色の壁が見える。いや違う。蟻だ。蟻の腹だ。女王蟻か?
 蠢いている、しゅふしゅふと気門から蒸気のように呼気が漏れている。
「……隼人」
「……理沙」
 蟻の腹に理沙の顔が埋まっている。
「隼人、逃げて」
「理沙、今助けるからな」
「助ける?笑わせるな?お前も女王蟻の一部になるんだ」

 腹が旋回し、女王蟻が貌を向ける――黒曜石のような牙だ。ガシャガシャと火花散らし、迫ってくる。
「理沙、ソイツを止めてくれ」
「隼人、駄目、逃げて」

 俺は、女王蟻に立ち向おうとした。だが体が動かなかった。よく見る光景だろ?悪夢の中で。スローモーションのようにしか体が動かない。危険が迫っているというのに、まさにあれだ。

 牙が俺を噛み砕いている。俺は人ごとのようにその光景を見ながら、思った――”これは夢だ”と。言い聞かせるように何度も何度も復唱した。”ただの悪夢だ”。
 蟻の体が咀嚼される音、金属が金属をすり潰す音に近い、気がする。嗚呼、やはり夢だ。俺が理沙を救えないはずはない。だって、誓ったんだ。
 毎晩見ていたのは悪夢ではなく現実?そんなわけない。今ここで起こっていること――これは現実?違う悪夢だ。今に目が覚める。隣には理沙がいて、俺を揶揄う。俺は理沙の肩を抱き――
 
 いや

 違う

 目を覚ませ!
 記憶を呼び覚ませ!


 髭が動いている。
「深山隼人、今から極秘任務を伝える」
「copy」
「お前には奴らが興味を引きそうなデータをいくつかinstallしておく。が、それはdecoyだ。本丸は”Insecticide”と呼ばれるプログラム。”Insecticide”の意味は分かるか?”殺虫剤”だ。お前の真の任務は女王蟻に食われることだ」
「copy」
「お前が女王蟻に食われると、”Insecticide”はtriggerされ、女王蟻のデータの構成要素となった人たちは即座に復元される。お前も含めてな。そこからがお前の本当の任務だ」
「copy」
「ヤツらを壊滅させろ!お前ならできるはずだ。お前の格闘プログラムの実行速度は桁違いだからな。最後に復唱しろ。いや約束しろ隼人、理沙を……俺の娘を必ず救い出すと」
「copy、理沙は、必ず俺が救い出します」

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