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3分20秒小説『鬼のすね毛とアーサー王伝説』

 鼻毛を抜こうと思う。ただの鼻毛じゃない。剛毛と言ってよい、いや、剛毛どころじゃない。鬼のような鼻毛だ。鬼のそうだなぁ、すね毛辺りがちょうどこんな感じ?うん、鬼のすね毛だな。いや待て、鬼のすね毛どころじゃない。もはやゲームやマンガ並みの現実離れした戦闘力の鼻毛、例えるなら「ドラゴンボールに出てきそうな鼻毛」だ。スカウターがボンってなるような鼻毛、そいつを引っこ抜こうと思う。
 
 車のルームミラー、腰を持ち上げ鼻の下を伸ばし、鼻の穴をおっ広げて映す。間抜け面だ。でも朝の駐車場に人影はない。誰に見られることもないだろう。
 鼻の穴は、洞窟のようにしっとりとした闇、その闇が光の外世界を脅かしてやろうと自らを先鋭化した、いわば闇の戦略兵器、それが鼻毛だ。このままにはしておけない。闇と北朝鮮にはモラトリアムを与えてはいけないのだ。無為な時間経過は世界の危機の高まりと重なり合うほど正比例する。闇、人差し指と親指の爪を立て摘まむ。

「どこへ繋がっているのだろう」

 夏休み田舎の廃トンネルの入り口で、麦わら帽子をぶつけ合いながら、トンネルに誰が入っていくかじゃんけんをした。思えばあの闇からも何か黒く尖った鼻毛のようなものが夏の世界へ侵入しようして光に突き刺さってた記憶。誰が入って行ったかは覚えていないがきっとその子は、帰って来なかった。

「痛い」

 鼻の奥ではなくもっと深い部分が痛い。失恋に似た痛みだ。この鼻毛、ひょっとして心臓から伸びてきているのか?分からない。ただ言えるのは、この痛みはきっと、この闇を顕在化させたような一尖りの物体はもはやただの不要な体毛ではなくって何か僕のアイデンティティの根幹に関わるものに違いないという事実をインパルスしている。

 確かにそうだ。仮にこいつを野放しにし、唇に届くほど伸びやかしたならばきっと僕を見た人は皆、嘲り、笑い、もしくは無言で軽蔑し、ひきつり、失望し、見損ない、僕は身分証を一つ無くしたように社会的に一段階失墜するのである。ならばこの鼻毛は、僕の鼻の穴から通じているであろう闇の世界へのパスポートなのかもしれない。陳腐に言えば地獄の片道切符だ。いや、リレーバトンのようなものか?こいつを受け取ったら最後、ゴールめがけて闇の中を全力疾走するルール?いやいや、これは銛のような捕獲具で、うっかり引き抜こうとした指を貫き、闇の奥へと引きずり込もうとしているに違いない。僕は指先から腕、肩、胸部と段々に自分の鼻の穴の中に引っ張り込まれてゆき消えてしまう。残るのは一本の鼻毛だけ。

「怖ろしい」

 でも僕は負けない。アーサー王が岩に刺さったエクスカリバーを引き抜いたように、この鼻毛を引き抜いてやる。僕は選ばれた勇者だ。そうだろう?だって現実問題、世界中でこの鼻毛を抜くことができる人間はきっと僕しかいないのだから。

 朝の光が強さを増した。それは「昼に成るぞ」という無言の脅迫。
 人差し指と親指の爪を立て、鼻毛を摘まむ。鼻の穴遥か先の暗黒宇宙に浮かぶ心嚢星に建造された重力エレベーター、いや違う、これはただの鼻毛なのだと、ただの鼻毛なのだと、何度も自分に言い聞かせて。

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