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6分20秒小説『山本課長は飛距離を0にしたい』

「初めまして、レッスンプロの村主彩華と申します。本日は宜しくお願いします」
「山本です。宜しくお願いします」
「さっそくですが、レッスンを始める前に幾つか質問をさせて頂きます。まず――ゴルフ歴は何年でしょうか?」
「いえ、それがお恥ずかしいことに、この歳になるまで一度もやったことがなくて」
「そうなんですね」
「練習場に来るのは今日で3度目なんですが」
「なるほどですね。どうでしょう、ご自身で何かお悩みなっている点とか、お気づきになっている点、直したい癖などありますでしょうか?」
「はい、それが練習すればするほど飛んで行ってしまうんです。どんどん距離が伸びてしまって……このままじゃあいつか大怪我をするんじゃないかと心配で――」
「飛んで行ってしまう?飛距離が出るということですよね?いいことだと思いますが?」
「いや、弾が飛ぶんじゃないんです」
「あ、クラブが飛んで行ってしまうんですか?それはですね、多分握り方が――」
「違います。クラブじゃなくて……説明しても伝わらないと思うので、取り敢えず見て頂けますか?」
「分かりました。じゃあまずはピッチングウェッジで軽くコントロールして打ってみてください」
「はい、では……ちゃー、しゅー、めーん」
「うわっ!……大丈夫ですか?」
「いてて……ごらんの通りです。私、スイングすると弾ではなくて何故か自分自身の体が飛んで行ってしまうんです」
「……驚きました。クラブのヘッドがボールに当たったのにボールは微動だにせず、山本さんの体が3mほど飛んでいかれたので」
「先生、何がいけないんでしょうか?」
「クラブを握ってみてください……握り方は問題ありませんね。ではもう一度ピッチングウェッジで、バックスイングをして……はい、そこで止めてください。とても綺麗なフォームです。ここまではまったく問題ないです。むしろ非常に良いと思います。ではゆっくりとクラブを振り下ろしていきましょう。ゆっくりでいいです。ボールに当たる寸前までゆっくり……いいですね。いや本当に綺麗なフォームだと思います。はいっ、じゃあボールに軽くチョコンとクラブのヘッドを当ててみてください……え?」
「すいません。50㎝ほど前方に体がずれてしまいました」
「どうして……ボールはまったく動いていないのに」
「分からないんです。どうすればいいんでしょうか?来月、会長が主催するゴルフコンペがあるんです。それまでになんとかしないと……」
「物理的におかしな動きなので……フォームを直すとかそういう次元じゃあないのは間違いないです。ちなみにドライバーでフルスイングしたらどれくらい飛びますか?」
「ボールがですか?」
「ボールは飛ばないんですよね?」
「あ、はい」
「ちなみに1回も飛んだことないんですか?」
「はい」
「じゃあ、もう一度――山本さん自身はドライバーでフルスイングしたらどれくらい飛んで行きますか?」
「はい、前回は30mくらいでした」
「そうですか。やはり私にはどうすることも――」
「そんなこと言わないでください!お願いです。ボールが前に飛ぶようになればいんです。それだけなんです」
「ボールが前に……分かりました。じゃあちょっと試してみましょう。クラブを構えてください。バックスイングで一旦止めて……振り下ろしてください駄目ですっ!ボールには当てないでください。そうです。ボールはどかします。そのままスイングを止めたままにしておいてください。今から私がボールを投げクラブのヘッドにぶつけます。山本さんは力を抜いてリラックス、クラブを動かさずにじっとしていてください。いいですか?」
「はい」
「じゃあ、投げます」
「あ」
「……どうしてボールが跳ね返らずに山本さんが前のめりになるんですか?力を抜いてください。もう一度投げます」
「はい」
「あ」
「駄目だ。じゃあ、こうしましょう。目を瞑ってください」
「え?目を瞑るんですか?」
「言う通りにしてください。掛け声無しでいきます。動かないでくださいね……目を開けていいですよ」
「先生っ!」
「見えますか?クラブヘッドに当たったボールが転がっていくのが」
「先生っ!有難うございます」
「お礼はまだ早いです。次はボールを打ってみましょう」
「はいっ!なんだか自信が湧いてきました。正直もう何か呪いのようなものを掛けられているじゃないかとさえ思っていましたから」
「呪い?……可能性は排除できません――そんな状況です。クラブを振り上げて、止めて、目を閉じてください。脱力して……ボールに当てようとか、前に飛ばそうとか、そんなことは考えないで……ただ真っすぐにクラブを振り降ろす!はいっ!」
「……先生、目を開けていいですか?」
「いいですよ」
「あ」
「やりましたね」
「ありがとうございます」
「打つ気を無くして、無心でスイングすればちゃんとボールが飛ぶようですね。目を閉じて打つ練習を暫く繰り返しましょう」


「この度は誠に……申し訳ありません。私のレッスンが至らなかったばっかりに」
「いえ、村主さんのせいではありません。どうか自分を責めないでください。すべて主人の責任です。私は止めたんです。でもどうしてもコンペに参加するんだって言って聞かなくて……実は主人、コンペの前日の朝早くに一人で練習場に行ったんです。そして昼過ぎに、血だらけで帰って来て――」
「え?初めてお伺いしました」
「どうしたの?って聞きましたら『ボールはちゃんと飛んだんだが、うっかり自分も一緒に飛んで行っしまった』って」
「知りませんでした」
「だから止めたんです。でも『本番は絶対に大丈夫だ』ってなんの根拠もなく――」
「前半は問題なかったと聞いていますが」
「はい、10番ホールで……う、うぐ……主人が第一打をドライバーで打った時に、とんでもない飛距離が出てしまって……ボールと一緒に飛んでしまったんです……うぐん……不幸なことにグリーン奥が崖になっていたので、んぐっ、主人、飛びながらなんて言ったと思います?」
「……何て言われたんですか?」
「『ファー!』って……ボールと一緒に飛びながら『ファー!』って……ぐずっ……最後の言葉『ファー!』って」
「……」
「笑ってくださって結構です」
「いえ、大丈夫です」


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