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8分10秒小説『黒い餅をつく娘』

「待て!最後まで聞け。助かる手立てはある。餅をつくのだ」
「餅?ふざけないでください!どうしてそんなことで娘の命が――」
「落ち着けっ!いいか?よく聞けよ。”神前にて祓い清めたもち米を境内にて汲み置きし泉水で蒸し上げ、娘自身が杵を取って、丑一つ時につく”それ以外に、お前の娘に掛かった呪詛を取り除くにはない」
「祓い清めたもち米……泉水……丑一つ時……」
「いいか?今日から四十九日、一日たりとも怠ってはならんぞ!」
「宮司様!そうすれば娘は元の姿に戻るのですね?」
「そうだ。精いっぱいつくのだぞ。いや今は弱っておるから、それほどの力は出ないかもしれぬが、出せる力をすべて出し切ってつくのだ。掛け声も大事だ。できるだけ大きな声を出す。それが祓う力となる」
「全力で、しかも大声を出してつくのですね?分かりました」
「一日でも怠れば二度と元の姿には戻らないぞ。それを忘れるな?今から今日の分のもち米を祓い清めるから、持ち帰って準備をするのだ」
「分かりました」
 もち米を持ち帰る。娘が臥せっている。顔に黒い斑紋がある。顔だけでない。体中にある。起き上がることもままならぬ。医者には三日持たないと言われている。もち米を蒸す湯気に今は亡き妻を浮かべ「きっと治してみせる」とつぶやく、静かに、強く。

 丑一つ時――娘を起こす。数えで十六、今小町と呼ばれるほどの別嬪で、言い寄る男は数知れず――ほんの少し前まではそうだった。それが今や――。呪詛はきっと、振られた男の誰かが逆恨みにして掛けたのではなかろうか?父はそう思っている。
「持てるか?」
「……うん」
 杵は重い。だが手伝うわけにはいかない。”娘自身がつく”と宮司は言った。
「がんばれ!」
 父の目が涙で揺らぐ。
「……ほい」
 へたり、なんともか弱い音が鳴った。
「もいっちょ!」
「……ほい」
 へたり、か弱い音、それでも杵が振り下ろされたのには違いない。
「精いっぱいの力を出せ!大きな声を出せ!」
「……ほい……ほい」
 弱い力ではあるが、繰り返すうちに、もち米は潰れて塊となり、なんとか餅らしいものが出来上がった。娘が座り込む。
「大丈夫か?」
「大丈夫……嗚呼、なんだか少し気分が良くなったきがする」
「そうか!治る!きっと治るぞ!今日はもう休もう。明日もやらねばならぬからな」
 夜が白んできた。二軒長屋の表で、雀が一言だけちゅん。
 ふと臼の中を覗いた父、目を剥く。餅が――真っ黒だ。

 次の日、神社にもち米を届け祓い清めてもらう。
「宮司様、つき上がった餅が真っ黒なんですが――」
「いかん!言うのを忘れておった。餅はどうした?」
「ここにあります」
「裏山のおどろ池のほとりに埋めなさい。決して食べてはならんぞ」
「食べませんよこんな気味の悪い物。じゃあ埋めて来ます」

 毎晩、丑一つ時に餅をつく。

 へたり   ほい

 へたり   ほい

 小さな音だったそれが、日に日に大きくなってゆく。

 ぺたり はっ

 ぺたん はいっ

 娘の肌の黒斑も日に日に薄れてゆく。
 父娘は手を取り合った。きっとこのまま続ければ呪詛を祓うことができる。扉を叩く音。
「はい?」
「夜分遅くに申し訳ないが……隣の豆腐屋です」
「嗚呼、これはこれは……何か御用ですか?」
「”御用ですか?”じゃないよ!今何刻だと思ってるんだい!?大きな音、声、ともて寝れやしない」
「あいすいません。娘が餅をついているもので」
「餅つき?どうしてこんな夜中に餅をつくんだい?うちの商売が何か知っているだろう?毎日丑三つ時分に起きて仕込みを始めるんだ。それがお前さん方のせいで二つも早く起こされて、迷惑だよ!餅つきは昼間にやっておくれ!」
「それが……これには事情がございまして」
「知らないよ事情なんて、とにかく明日っから餅はつかないでくれよ!」 
 後姿を見送って、父娘は顔を見合わせた。「心配ないよ。明日私からちゃんと説明するから」。

 次の日、父親が豆腐屋に事情を説明したが――。
「私の母親がそうだったよ。あんた同じだ。迷信やまじないを信じ込んでいた。私の妹が病に掛かったとき、母親は妹に何をしたと思う?毎晩裸にして冷水を頭から浴びせたんだ。呪い師にそうしろって言われたってね。一月と持たずに妹は死んでしまったよ。悪いことは言わない。今すぐにそんな怪しげなおまじないは止めて、ちゃんと医者に掛かりなさい」
「お医者様には掛かりました。でも一向に良くならなかったんです。だから宮司様にお願いして――」
「分かったよ。何を言っても無駄みたいだね。信心てのはそんなもんだ。私には良く分かる。でも、考えておくれよ。お前さんがいつも起きる時間、それよりも二刻も早い時間に、隣から大きな音が聞こえたらどうだい?」
「……あいすいません」
「私はね、丑三つから仕事をしている。皆さんが寝ている時間だ。だから音を立てないように、声を出さないように、咳一つしないように随分と注意しながらやってきた。二十年以上もそうしてきたんだ!それがお前さんなんだい?!お祓いだかおまじないだか知らないけれど、仕事でもないのに毎晩毎晩がっちゃんぺったんやられて!たまったもんじゃない!」
「あいすいません。ですが先ほど説明したように、できるだけ大きな声を出して力いっぱいやらないと――」
「それが迷惑なんだよ。どうしても丑一つにつくんだったら、せめて別の場所でやっておくれ」
「それが、宮司様に相談したところ、呪詛は娘だけでなく。土地建物に対しても掛けられているので、ここでやらないと――」
「嗚呼もううんざりだ。これ以上話しても無駄だ。御上に願い出る。それでいいね?」
「え?御上に?お奉行様に申し立てをするというのですか?」
「そうだ」
「それは困ります。そんなことをされては――」
「そりゃ困るだろう。今のお奉行様は先のお奉行様とは違って、怪しげな野巫の類をずいぶんと熱心に取り締まられてるからね」
「失礼な!宮司様は、そんな者どもとは――」
「それはお奉行様がご判断されることだ。どうする?私が訴え出たら、あのいんちき宮司もお取り調べを受けることになるよ?」
「……宮司様にご迷惑をお掛けする訳には」
「では、餅をつくのを止めることだ」

 その日から、父娘は餅をつくのをやめた。
 それから3日後に、娘は亡くなった。

「可哀そうだったねぇ。心が痛むよ」
 豆腐屋の妻が言った。鼻で嗤う。
「何が?嗚呼、お前もおんなじ類か?私が餅をつかせなかったから、あの娘が死んだと?そんな馬鹿な話があるか!?こうなる定めだったんだよ。そもそもまじないだの占いだのそんなもんは皆嘘っぱちに決まってる。それよりそろそろ始めるぞ」

 豆を水に漬ける。砕く。煮る。絞る。煮る。にがりを打つ。ならす。
「あんたっ!」
「どうした?」
「見てよこれ」
「なんだこれは?」
 鍋の中は真っ黒な塊でびっしり。何回やり直しても、真っ黒な豆腐ばかりできてしまう。日を変えても、豆を変えても、にがりを変えても、出来る豆腐は皆真っ黒。
 困り果てた豆腐屋、例の宮司に掛け合った。
「お前さん、うちの豆腐に何かしたな?」
「”何か”とは?」
「呪いかなんか掛けたんだろ?」
「お前はそういうことを信じないと聞いたが?」
「ああそうだよ信じない。でも実際にうちの豆腐がおかしくなっちまったんだ。お前さんが何か細工をしたに決まっている」
「馬鹿なことを言うな!仮にも神職である宮司がそのようなことをするわけがなかろう。でもまぁ教えてやろう。どうすれば元通りになるか」
「どうすればいい?」
「知っておるだろう?餅をつくのだ。清めたもち米、境内の泉水、丑一つ刻、精いっぱい大きな声で、四十九日だ。ほれ、今日の分を祓ってやろう」
「馬鹿馬鹿しい。まじないなんて――」
 と否定はしたが、他に打つ手があるわけでなし。妻にも説得されて、仕方なく豆腐屋は餅をつくことにした。

 その晩、丑一つ刻。
 
 ぺたり はっ

 ぺたり はっ

「……豆腐屋さん」
「うわっ!隣の……驚くじゃないか。いきなり入ってこられてちゃ困るよ」
「困る?それはこっちの台詞だよぉ。こんな夜中に……うふっ……こんな夜中に大きな音に大きな声、うふふふ、寝れやしないよ」
「ちょっと……大丈夫かいお前、随分やつれて、髪もばさばさで、髭も伸び放題で――」
「心配しないでいいよ。貴方もそのうち同じようになるんですから。御上に願い出ますよ?」
「願いでる?か、勝手にすればいいだろ?あの宮司がお取り調べを――」
「そう、お取り調べを受けて、貴方はもち米を清めて貰えなくなる。そうするとお前さん……ふふ、お前さんが私と同じような目に合うんだったら、何が起ころうと、誰が困ろうともう私には関係ないんだよ。見えるかい?ここに娘がいる。ほら、あの人がお前を殺したんだ。お前もよく見てごらん」
「怖いこと言わないでおくれよ。帰んな!」
「帰らねぇ。ふふ……餅なんかつかせてたまるか」
 そう言って臼を抱え込んでしまい、離さない。朝になっても離さない。町内の大人が何人で掛かっても鬼神のような力で臼を抱え込み、離さない。

 しまいにかみさんの方が参ってしまい。里に帰ってしまった。
 豆腐屋?気がふれてしまったとも、仕事ができずに、借家を追い出され、のたれ死んだとも――。
 父親?嗚呼、父親は四十九日どころか何か月も臼を放さずに、そのまま亡くなってしまったとか――。いつの時点で死んだのか誰にも分からなかったそうだ。臼ごと荼毘に付したとも――。遺体を焼いた時の煙が異様に真っ黒だったとも――。

 夜が白んできた。二軒長屋の表で、雀が一言だけちゅん。

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