「痩せの大食い」ではなく、「大食いだから痩せる」というパターンに見られる逆解釈

何言ってんのって感じですか。でもこのフレーズ、痩せの大食いの前提には食べると太るというものがあります。ことわざの多くは確かに納得するものが多いです。長い間人にしがまれてきてるわけですから。ただ、少し疑ってかかると、もっともらしい事実を反対から読み直しただけなんじゃないのと思うことも少なくないのです。

近頃では消化のエネルギーが膨大であることも有名になり、痩せてる人ほど大食いであることは普通になりました。よくよく考えれば、なぜ食べると太るという印象があるのかということです。

これは目にする情報の積み重ねが大きくて、物心ついたときにはテレビや本でダイエットが叫ばれていたことによります。食べるものを減らしたり、摂取するもの毎にカロリーを計算し、これは太るこれは太らないと焼き付けた結果です。

基礎代謝が低く、運動もしなければ、単純に摂取分の余りは体重に乗るでしょう。しかし、現代人の1日のパターンほど複雑化していることはありません。一般的には食事と仕事のアレンジが毎日のルーティンとしてあります。かつて、タモリさんがいいともをやっていたときは1日一食ちょっとであると言っていました。

目立って太りもせず、なお痩せない。そして毎日の健康を維持する。これはそのアレンジがとてもバランスのとれたものであったことの証左です。

バラエティ一本をやるエネルギーは一般人の自分には想像しにくいですが、通常のオフィスワーク以上肉体労働以下くらいでしょうか。ともすれば、デスクワーク中心で三食は摂取過多ともいえるわけです。ここで「痩せの大食い」と言われれば意外さを表す言葉として成立してしまいます。

結論から言えば、消化と代謝を分けて考えないのでこういうことになっているのです。その人の持ってるエネルギーの量は消化と代謝に消えます。消化に多く使われれば代謝に使うエネルギーがなくなり、代謝に多く使われればその逆となります。バランスシートみたいな

こういう感じになります。そして

増減を加味するとこうなります。大食いは摂取が増大するので、その他で左右が合うように調整されていきます。

さて、こういった例は挙げればきりがありません。半ば揚げ足をとってるともいえるわけですが、ことわざってそういうものとも言えます。貧すれば鈍する、貧乏暇なしなんてのもそうです。鈍い結果が貧しさなのです。というより初期状態に拍車をかけるもの。痩せにしても同じです。細い人はより細く、貧しいものはより貧しく、暇もなくなります。一部では休ませないようにすることで考えを鈍らせ、安く労働を買い叩くなんて話もあります。

もののたとえ、傾向、そんなものをひとまとめに語ろうという気持ちよさはわからなくもないですが、どうも賢さを失うような気がしてなりません。ちなみに色即是空は空即是色で、まるでこんなことをネタにされるのを想定してたかのようでなかなか感心しますよね。

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