見出し画像

エジプトで留置所に入った

もうかなり昔の話になりますが、19歳のころ1年弱海外をほっつき歩きました。そのときの最初の国、エジプトの話です。

エジプトの首都カイロで、ママチャリを買いました。よく覚えていませんが、5,000円くらいだったと思います。そのママチャリにバックパックを積んで、カイロから地中海へ向けて北上しました。

地中海に面したエジプト第2の都市、アレキサンドリアをとりあえずの目的地としました。距離はだいたい200kmぐらいです。朝カイロを発ち、疲れたらどこかで寝ればいいやという、まことにいいかげんな計画です。

購入したママチャリは軽快にはほど遠く、やたらと疲れました。暑い、道路の舗装状況よくない、などの理由もあったでしょうが。

1泊目は道路からすこし離れた空き地でテントを張って寝ました。朝起きると、なぜか大量のカタツムリがテントにはり着いていました。

2泊目は、もう名前も忘れましたが、とある小さな町の広場というか空き地というか、とにかく誰の邪魔にもならないようなところで、テントを張りました。そして飯でも食いに行くかと思っていたところに、地元の警官がやってきました。

「ここでなにやってる」
「テントで寝る」
「ここでテント張っちゃダメ」
「じゃあどこならいい?」
「どこもダメ」
「じゃあどこか泊まれる宿はある?」
「ない」

こんなやりとりがあり、そしてもう疲れていたのでこれからさらに移動するのもしんどいなと、ちょっと途方に暮れました。

そんな私のようすを見て同情したのか、「わかった、泊まれるところに連れて行ってやる」と警官が申し出てくれました。お礼を言い、テントを急ぎたたみ、自転車を押して警官に付いて行きました。連れて行かれたのは町のカフェでした。

そこで別の警官たちが、お茶を飲みながらバックギャモンをしていました。連れてきてくれた警官が、上司と思われる警官に、なにやらいろいろ説明していました。そして話がついたのか、「大丈夫だ、この人がお前を連れて行ってくれる」と上司風の警官を指し、連れてきてくれた警官はその場を去りました。

私もお茶を飲みながらカフェで待ちました。上司風はずっとバックギャモンに集中しており、いつ終わるんだろう、てかちっとは働けよ、と思うぐらい、ひたすら待ちました。

1時間以上は待ったと思いますが、やっと上司風は立ち上がり、私を先導して歩き出しました。行き着いた先は、カフェからさほど遠くない警察署でした。

「今日はここで泊まりなさい」
「ありがとうございます。お腹すいたので何か食べきていいですか?」
「ダメだ。なにか買ってきてあげる」

上司風は部下風に命じて、ぺったんこパンのサンドイッチを買ってきてくれました。

「お金払います」
「いや、いい。この部屋で寝なさい」

私は殺風景な部屋に案内され、そこでサンドイッチを食べました。

「荷物はすべて預かる」
「えっ?」
「明日の朝に返してあげるから」

上司風は私の荷物をすべて取り上げ、そして部屋を出て行き、外から鍵をかけました。

「えっ、外から鍵?これって留置所ってこと?」

「留置所」と聞いて思い浮かべるような鉄格子がはめられた部屋ではありませんでしたが、荷物を取り上げて出られないようにするという意味では、まさに留置所でした。

部屋にあったベンチのような長い腰掛けをベッド代わりに、私はその部屋で一晩過ごしました。蚊がたくさん飛んでいて、蚊帳もブランケットもないので、寝るのに苦労しました。

翌朝、部屋のドアが開きました。部下風が、朝食のパンやバナナと私の荷物を持ってきてくれました。すこし雑談した後、私が持っていたボールペンをくれと言うので、あげました。「留置所」といえども、一宿二飯の恩はありますし、断るのも面倒だったからです。

警察署を出て自転車で北に向かい、その日のうちにアレキサンドリアに着きました。海に出ると、生まれて初めて見る地中海が広がっていました。たった200km、されど200km。カタツムリの歓迎を受け、留置所に入ってたどり着いた海。それなりの感慨がありました。

今から思えば、名前も忘れた町の警官たちは、彼らの権限でできる限りのことを私にしてくれたのだと思います。無知で分別のなかった当時は、文句が口から出そうになりましたが。

今さらながらですが、ありがとうございました。そして文句言わないだけの、最低限の分別があってよかった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?