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桃源郷


日本酒で桃源郷に行ったことがある。

「あゝ桃源郷」と思わず口にしてしまうような状態になることだ。
良いスピーカーで音楽を聴いたときに「あゝ桃源郷」に何度もなったことがあるが、日本酒ではまだその一回だけだ。

昔、夫と飲食店を営んでいた頃、面白い常連さんご夫妻がおられた。
串揚げのお店をされていると知り、夫とお客さんとして訪れてみることにした。
ドアを開けて入ると、想像していた串揚げ屋さんとは少し違い、かなり落ち着いた大人のお店だった。
そして、ご主人もいつものくだけた感じではなく真面目で(笑)別人のようだった。でもそれも新鮮で、私達はお客さんの立場で美味しい串揚げや一品料理とお酒を堪能した。

他のお客さんが帰られたので、私達もお会計を終えて帰る用意をした。すると、まだ閉店まで時間があるのに「さぁ、もう閉店、閉店!」と看板の電気を消すご主人。
次の瞬間今までの「仕事の顔」がガラッと変わり、ニコーーっと笑い、
「さあ、飲みましょか!」という流れに。


お店の棚の奥からご主人秘蔵の日本酒が次々と出された。
私達夫婦は普段飲むのはビールやワインが多く、あまり日本酒は飲まない。
でも、ご主人の説明を聞きながらご馳走になる
日本酒は味わい深く、夫はゆっくりペースで落ちつく反面、私は次々と酒杯をあけていった。
ビールやワインなら続けて数杯飲んでも大丈夫だけれど、日本酒はまあまあ酔う。(笑)
かなりフワフワしてきたので、あまり高級なお酒を頂いても味が分からないかもという状態になったとき、多分ご主人秘蔵の中で最高の一本がカウンターに置かれた。

「これはね、本当に美味いよ」

ああ、これで本当に最後にしよう。でもせっかくの味が分からないかもなぁ、もったいないかもなぁと思いながらグラスに口をつけた。

「と...桃源郷」

頭の中にフワフワの酔いの霞か雲が漂う中、
それを突き破って、味を感じる意識とパシッと
つながった。今まで知らなかったけど、実は
自分の中に味覚の「向こう側」があったのだ。
びっくりするほど美味しかった。


よく二日酔いっぽい朝に、妙に舌が冴えて
いつも以上にコーヒー豆の味やお吸い物の出汁の味に敏感になることがあるが、そのナゾの状態のスペシャル版がやってきた感じだった。


次の日は、お昼を過ぎても頭の奥の方がクルクルしていた。
でも、あの桃源郷に行けたのだから、へっちゃらだった。


実は、先月末から9年ぶりにキツイ風邪をひき、しばらく静かに過ごしていた。
目が”紙”しか受け付けなかったおかげで、紙の本を数冊読了することができた。

その中でも、長編の椎名誠『哀愁の町に霧がふるのだ』を読み切るにはうってつけの寝たきり状態だった。

『哀愁の町に霧が降るのだ』椎名誠 (三五館)


以前、noteで椎名誠さんの初期SF「雨がやんだら」を読んだことを書いた時、コメントで西岡泉さんから紹介していただいた本だ。
よく行く図書館で、書庫から出してきてもらったときには、本の厚みに思わず笑ってしまった。
元々は上・中・下巻と3冊で出版されてたようで、図書館にあったのはこの三五館出版の本。
特別なあとがきがあり、かなり感動した。

本は、めちゃくちゃよかった。
椎名誠さんの青年時代、奔放な仲間たちとの
共同生活が描かれた本だった。
昼でも陽の差さない汚いとアパート「克美荘」
での日々。
もちろん、豪快なお酒のシーンも沢山登場する。

本を読んでこんなに感動したのは久しぶりだ。
実は自分が好きな「人間と人間」の感じはこんな感じだと思った。
楽しく、切なく、映画を観るような感じで読み進めた。
今まであまり椎名誠さんの作品を読まなかったことを悔やんだ。勝手なイメージだけで捉えていたのだ。
そのイメージとは、例えば、みうらじゅんさんの著書の中の
「椎名誠さん的に言えば、”わしらは怪しい探検隊”は、無理しない中年の旅を計画していたのだ」
という部分を読んで、ぷっと吹きだす程度のイメージ。

読み終えた後で調べて分かったのだけれど、
昔、この作品の中心人物の椎名誠さん、イラストレーターの沢野ひとしさん、弁護士の木村晋介さん(本の中では”とうちゃん”)の3人を当時人気の
たのきんトリオが主演で映画化される話があったようだ。(原作からかけ離れた脚本だったため、椎名さんがお断りされたそうだ)

たのきんトリオにときめく中学時代を送っていた私は(笑)、誰がとしちゃんなのか?マッチは?
よっちゃんは?とグルグル今でも考えている。
もっと明確に判断するために、続編の『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』も読んでみるつもりだ。

長引く風邪がやっとスッキリ治り、とても元気になったので、また週末あたり久しぶりに桃源郷に行かない程度に少しだけ日本酒を楽しみたいと思っている今日この頃。

そういえば、この『哀愁の〜』の中で椎名さんと東海林さだおさんが、酒のツマミ日本酒の部ベスト3について対抗戦を繰り広げられていた。

椎名さんのベスト3は、
「ウニ、ホヤ、ナマコ」

東海林さんの黄金ベスト3は
「塩辛、イクラ、わさび漬け」

ああ、私は塩辛とわさび漬けにかなり惹かれるー。
風邪のせいでたまってしまった仕事を頑張って片付けよう。
楽しい週末のために。



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