見出し画像

カビリアの夜


年度末と関係がないような、すごくあるような仕事をしている。
でも何となく区切りとして、4/1に日付が変わる前に映画を観たくなった。

ちょうど月末に運良く三連休がとれたので、心はゆったりしていた。最後の夜は、最近また観たくなったフェデリコ・フェリーニの映画を観ることにした。Amazonプライムビデオで。

フェリーニの作品の中で、まだ観たことがない「カビリアの夜」を選んだ。


       映画『カビリアの夜』より



2時間くらいの作品で、ちょうど0時が過ぎるころに終わった。

直後の感想は「あぁ、こんな感じで映画を観たのは久しぶりだな」だった。


振り返ってみると、前年度は映画館で3本しか映画を観なかった。
「Barbie」「君たちはどう生きるか」「PERFECT DAYS」だけだった。

そして実は最近の映画に対し、入ってくる情報が多すぎたり必要以上に意味付けをしたり...と、観るのに正直しんどさを少し感じていた。

1つ目の「Barbie」は、逆にその情報の多さや意味付けを楽しみながら、色んな意味で完璧なエンターテイメントとして映像を堪能できた。


2つ目の「君たちはどう生きるか」は、吉野源三郎の小説が好きだったので観た。

昔、その小説が息子の中学校の授業で使用されたため本を購入していた。

当時、息子の部屋の掃除をしていた時、机の上に他のテキストと一緒に無造作に置かれていたその本が目に入り、パラパラ見るつもりが結局そのまま一冊読み耽ってしまった記憶がある。
全開の窓からほどほどに心地よい風が吹きこみ、
そのまま片手に持っていた掃除機を床に置いて読んだ。
そしてめちゃくちゃ感動して、この本はまた先で
もう一度読まないといけない!と強く自分に課した覚えがある。

その時の午前中のゆったりした感じと風と本の感動が体の中に染み込んでいたから、映画の中で主人公がその本を見つけるシーンに身体中がゾワーっとするくらい感動した。

3つ目の「PERFECT DAYS」は、これは正直な感想を書くのが難しいのだけれど、良い映画だったけれど、なんだか色んな「うーむ」が残り、数日間スッキリしなかった。
ヴィム・ヴェンダースの映画は、20代の頃によく観ていた。我が家のリビングの隅にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのポスターを額装して飾っている。これはポスターから滲み出てくるあの映像や音楽が好きだから飾っているともいえる。



自分の好きなあの独特の映像.. 音楽....

「PERFECT DAYS」の「うーむ」の原因は自分にある。きっと若い頃からヴィム・ヴェンダースの映画のイメージを勝手に自分の中に創り上げてしまっていたのだ。
今回も「ルー・リードとヴェンダース」この2つだけで勝手なバイアスがかかっていた。
仕方がない。自分の問題だ。

映画に関しては最近こんな感じだったから、

昨夜、
「あぁ、こんな感じで映画を観たのは久しぶりだな」とフェリーニの映画の後に思ったのかもしれない。


20歳過ぎの頃、フェリーニやゴダールやトリュフォーにはまる年頃にとことん観た映画たちは、意味付けを考えずに、ただ映像に浸り、感覚的に沁み込んでくるものを大切に受け止めるだけで満足だった。
そしてその感覚的なものが、ある瞬間に自分だけに分かる言葉を越えた意味付けと一緒に記憶の中から飛び出してくる。

その「元」みたいなものが、映画の中にはたくさん漂っている。

俳優が出す空気、ファッション、仕草、乗っている車、食事、飲み物、音楽、部屋、そしてやっぱりセリフ・・・

うん、そうだ。ただ感覚的に沁み込んできたもの
の余韻で、うっとりしたり切なくなったりするのがいいんだ。


昨夜はそんなことを考えながら、フェリーニに愛されたジュリエッタ・マシーナの可愛いファッション、くしゅくしゅソックスとパンプスとか、無造作にくくった髪とか、ショート丈でタイトな毛皮とかを反芻しながら、眠りについた。

朝起きると新しい年度になっていた。



この記事が参加している募集

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?