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AI絵はたぶん悪者ないよ

1.まず、今までの歴史から技術について考える

産業革命はそれまでの貴族だけが利益を得れる社会から経営能力、管理能力、設計能力、デザイン能力がある者つまり能力があるものに利益が得られる社会へとなった。
搾取されていた庶民がスキルによって正しく利益を得られる様になったんだ。
これが化学技術の素晴らしいところだ。
何者でも無いやつが世界系ヒロインよりも巨大な力を手に入れる事ができる。
ボクはプログラミングスキルによって人生が豊かなものになり、やろうと思えばそれで飯も食える。
ぼくが思うに科学技術または工業化が進行することによって人々は新しい視点を手に入れて新しい価値を手に入れ、平等に利益を得られるようになる。
中世の日本やヨーロッパで評価されるには純粋な肉体的なパワーが必要だった。
それが産業革命によって機械を動かすスキルが有る人が評価を得られるようになり
第二次世界大戦後の工業化された社会では勉強できるものが評価を得られるようになった。
そして2000年代からのネット革命によってコンピューター技術があるものがひょうかされるようになるだろう。
ボクはパソコンができるが中世の日本にいてもただの多動症のガイジでしかなかった。
それがコンピューター技術によってパワーを得られた。
世界はいずれ新しい科学技術とそれに対応する工業化社会によってすべての人の個性を尊重できる(つまりどんな人でもトップアスリートのようなエネ
ルギーを得られる)ようになるだろう。

1のまとめ

つまり科学技術は基本的には庶民に利益が還元されるものであるっていうこと

しかしAIの画像生成はちょっと違うかも、、、

しかしAIの画像生成技術はちょっと違うかもしれない。
AI画像生成に特別なスキルが必要だとしたらそれは確かに尊重するべきものだし自然と評価されると思う。批判をするのは世間体を気にする少し古いタイプの親父くらいだ。
しかし今ネットを一度潜ればAI画像生成を批判するやつで溢れかえっている。
なぜなのか。
それはシンプルにただの盗用でしか無いからだ。
AI画像生成は社会へのリスペクトがない。
いや、社会への反発心を元におこなうものだったほうがマシかも知れない。
事実、パーソナルコンピューターに関してはIBMを基盤とする釈迦への反抗心だったからである。
AI絵は本当になんの能力も無いニンゲンが社会に損失(創造的損失ですらない)を与えるだけである。
しかしここで注意しなくてはいけないのが
絵を描く才能を評価する視点とAI画像を生成する才能を評価する視野での議論はあまり行われていないことだ。
ボクはこの視点から考えてもAI画像生成は有害だと思うけど
ネットの多くはただの感情のぶつかり合いだ。
だからエネルギーはあれどあまり価値のない議論だ。
まぁ可能性でいうならAI絵の発展とユーザーのその先に新しい価値が生まれるかもしれない。
現状のAI絵はただエロい画像を生成するだけだがそのうちAI絵をサンプリングする技術が生まれてクソ野郎共による美しい芸術がうまれるかもしれない。Hiphopみたいなね
しらんけど

2のまとめ

AIは今のところ社会を混乱に招いているけど技術が生まれれば文化が生まれる。だからAI絵が高度に発展すれば絵師とAI絵師の活動する場はまったく違う場所になり、それぞれの文化が発展するとおもう。

まとめ

なのでボクはAI絵は今の段階で規制するのはもったいないと思う。
そういう可能性だってあるんだから
社会なんていっつも混乱してるんだからさ
絵師さんは気の毒だけどたぶん今だけだから安心していいよ
文化は新しくつくられ、それは違う方向へと進む
やがてその文化はエネルギーとなり一つの塊となるのかもしれないけど
大友 克洋によると

ちなみに大友克洋のWEBサイトまじでかっこよすぎだろ///

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