コスパ・タイパは多様性と科学の進歩の証(持論)

 どうやら“Z世代”はコスパ・タイパを気にするらしい。私もそれを軸になるべく合理的に生きようとしている。
 私がZ世代に含まれるかどうかはさておき、タイパを気にする新人類に疑問を呈する者や非難を浴びせる者も散見する。
 例えば、アニメやドラマを倍速視聴する人に対しては、所謂オタクと呼ばれる者達から非難轟々状態である。
 しかし私は両者も正しいと考える。(まず正不正無いんだけどね。)無論、タイパ重視で、倍速視聴する者達は、その作品を味わっているとは断じて言えない。一方で、アニメやドラマを味わって見ている人たちはどの様な生活を送っているのだろうか。
 彼らはもしかしたら食事の片手間に作品を味わっているのかもしれない。そうであれば、彼らは“食事”のタイパを気にしていて、食を“味わっている”とは言えない。「食を味わう」というのは、シェフからメニューの説明を聞きながら、もしくは1人でじっくりと、淡々とではなく黙々ともぐもぐして料理、具材、調味料まで感じ、一口一口噛み締める事が食事なのである。(そうなのか?)
 タイパが悪とするのならば彼らは忽ち美食家達から非難轟々だろう。つまり、何が言いたいかというと、「タイパを気にして作品を倍速視聴する者達」に対して声を上げる「作品を味わっている者達」もまた何かの時間を削ってその作品を味わっている(可能性が高い)のであって、「タイパを重視する」という事は、見方を変えれば人間誰しも行っていると言える。
 電車で移動する?は?目的地まで歩いてじっくりと街並みや木々を眺め、空を見て、季節を感じて世界を味わえよ。
 となってしまうのである。タイパ重視で作品を”倍速視聴する者達“はテクノロジーから始まり、サービスの進歩によってスマホを使い片手で片手間にしかも倍速で閲覧できるサービスが登場した為、発現したのである。
 つまり、科学の進歩によって様々な手段が提供された事で、我々は一つの「行動」に対して数多の方法でアプローチする事ができる様になったのである。それが電車移動だったり、倍速視聴だったりするだけなのである。選択肢が増えたという事は、一つの行動に対して多様性が生まれるという事でもある。
 その為、コスパ・タイパは多様性と科学の進歩の証だと言える。異論反論は認めるが、やさしくおしえてね。

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