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駄文、此処に至る

御機嫌よう。果敢無 四季です。

まず、前回のリンクを付けておきます。まずはこちらからお読みください。


駄文、此処に綴る|altmind @AMPROJECT2 #note https://note.com/alt_mind/n/n40fb25884909

さて、前回はコミュニケーションというものが創作に於いてどれだけの価値を生み出すかを解説した。今回は、別の側面から駄文を解剖していこうと思う。


今回私が取り上げるものは、客観的視点というものだ。


往々にして駄文は主観に基づく独りよがりで自慰的な作品だ。当然、それ以外にも視点はいいが言い回しが拙い、正しく認識しきれず出来事が=で繋がらないなど、様々な要因が重なって駄文が生み出されることは百も承知だが、やはり私としては多種多様な要素の絡む創作に於いて何よりいただけないものは、自慰的な部分だろうと考える。


自慰的とは言ったものの、認められる部分はある。それは自分が表現したいところと読み手が見たいところが一致した時だ。だが、それは世間の流れを見て、何処に何を求めているかを考える力が必要で、それは即ち流行を知ること、自分の創造する作品が世間にどう映るかを正確に認知することだ。


要は、客観的視点ということだ。


上記を想像しやすいよう少し義務教育で習うことについて解説する。



話す内容は経済についてだ。需要と供給、というものだ。これで想像できたならしばらく飛ばしていただいて構わない。


世の中にあるものは全て需要と供給によって成り立っていると言っても過言ではない。これが欲しいという人間にそれを提供し、対価として何かを貰う。


可愛らしく表現すれば、マシュマロが欲しい子供にマシュマロを提供する代わりにお金をいただく、そういう事だ。


まぁ、解説とはいえしっかりとしたものではなく、ここまで簡潔にしたもので構わない。あとはここから私たちの世界にこのルールを落とし込んでいくだけだ。




では、本題の解説だ。


例えば、異世界転生ものが流行りだした頃、恐ろしい速度で異世界ものが作られ始めた。タイトルもライトノベル調のものが多い。ここも、考察する要素が多いところだろう。


異世界転生もののターゲット層は推測だが10代から20代前半、と思われがちだが、40代付近の人間がよく見ているというデータがあった。そこから、表面上のターゲット層と本質的なターゲット層が別に存在することが見て取れる。


なぜ、表面上のターゲット層と本質的なターゲット層に乖離が見られるのか。それは推測だが、タイトルと作品本来の読者層の齟齬だろう。


最近のタイトルはやけに長ったらしく、それでいて似たりよったりなものが多い。トレンドがこうなっているのは間違いなく理由がある。


どれがきっかけでそれが増え始めたのかは分からない。恥ずかしい話、あまりライトノベルに詳しくないのだ。有名どころをかじった程度だが、その有名どころですら偏りが見られる。





異世界転生ものは先に述べた通り、40代付近の読者層が比較的多い。それは何故か、これも推測だが人生半ばで自由の効かなくなった年代の、邯鄲の枕のような扱いなのだろうと私は考える。


あれほど短くは無いかもしれないが、もし異なる世界に転生したら、今のような同じ事を繰り返す惨めな人生を送ってはいないはずだ。こんな所なのかもしれない。


これがもしも正しいのなら、なんともまぁ皮肉ったらしいものだとは思うが、読者層に40代付近の人間がいることの説明にはなるだろう。


似たような理由でスクールカーストによって虐げられている学生ももしかするとここに夢や希望を見出したのかもしれない。


まぁ、そんなところで異世界転生ものは40代付近の人間が魅力的に思う何かがあるという事だ。


本質的なターゲット層にそれらが含まれることをしっかり理解して作品を練るなら、主人公は虐げられている学生、又はせっせと社会の歯車として働く社会人が好ましい。言い方を変えれば、あまり社会的地位や権力の持たない人間が異世界に転生することが良い、という事だ。


そして、10代から20代のターゲット層を釣る為には時点で先程先延ばしにした表面上のターゲット層を解剖していかなければならない。


過去のライトノベルはどちらかと言うと漢字表記にカタカナで外国語風の読みを入れるタイトルが多かったが、近頃はそうじゃない。


凡そ見当はつくが、オンライン小説などのネットで公開できるようになり始めた事で小説の頭数が増え、タイトルとあらすじのうち、あらすじを見てもらえない事態が急増したのではないか、その結果としてタイトルで興味を引けるようタイトルとあらすじを組み合わせたのだろう。


それらの仮説が正解だとするなら、まず表面上のターゲット層である若者に見てもらい、そこで話題性を得て、さらに年配層に読んでもらう。次に気になるのは、何故年配層を狙うのかだ。


これは単に年配層の需要を狙いにいったのだろう。


若者と比較して年配層はライトノベルに親しみがなく、どちらかと言えばまだ普通の大衆小説の方を読む人が多い。その大衆小説を読む人達をライトノベル側に引き込みたかったと私は考える。


ここに、需要と供給が出てくる。年配層を引き込みたいなら、年配層が本当はどんなものを求めているのかを理解しなければならない。その需要を満たす為には客観的視点で物事を考える事が必要不可欠なのだ。







率直に、自慰的な創作物とはこれらの要素を満たすものだ。


・自分の欲しい理想の作品

・自分の叶わない願望、未練

・願望、未練が世間に好まれないもの


だいたいこの3つだろう。特に最後は酷い、これだけは本当にあってはならない。正直に言えば、上2つに関しては含まれていても問題がない場合が多い。


願望や未練が世間に好まれない、つまりそれらは需要がないという事だ。


叶わない願望でハーレムやいじめっ子に復讐などを含めても、それらは別にいい。そんな欲を叶えたい、トラウマを空想の中で払拭したいという人間はザラにいる。私は好きじゃないが、好きな人間もいるという事だ。


だが、考えて欲しい。主人公がハーレムをもつ、これはまだ数々の実績があるから良いとして、いじめっ子に対する復讐なんていうチンケなものに囚われる主人公が果たして魅力的だろうか?


売れないとは言わないが、よっぽど書き手が上手くない限り成功しないだろう。


同じような系列でいくなら虐められたけど、それでも転生した異世界では前を向いて進もうと頑張り、同じような境遇の人を元気づけるような主人公の方が私は魅力的だと感じる。


ハーレムだって、登場する女性キャラ以外に様々な人間がこの人は凄い、羨ましい、こんな人になりたい、そう思わせるような魅力があるから出来上がる構図だ。なんの魅力もない人間には異性はおろか同性すら寄り付かない。




わかってきただろうか、駄文、又は愚作とも言うか、それらのものを製作する人間の本質的な部分が。


前回、コミュニケーション能力が大事と言った、客観的視点が大事だと今回言った。


この人は何をどんな風に考えるのだろうか?普段からこれをしっかり考えられる人間は、恐らくだが、様々な人と最低限必要なコミュニケーションが取れるだろう。


客観的視点が出来るということは、コミュニケーションに於いても多少有利に働くということだ。


コミュニケーションも取れず、自分にばかり目を向ける人間が創作をしたら、小説を書いたら間違いなく駄文に成り下がる。




さぁ、殴り書きもここで終わりだ。最後に軽く纏めて次に渡そう。



客観的視点を持って、創作物の中身をしっかりと観察する。


小説なら、キャラの言動や相関図、話の展開、これ以外にも様々なものを吟味する必要がある。


また、売れている創作物はどこに魅力があるのか、そこから転じて現在のトレンドは何なのか、そこら辺まで考察できるなら大丈夫だ。次は、ならこの先に流行りそうなものは何かまで分かると重畳だろう。


言いたいのはそんなところだ。要はちゃんと客観的視点というものに基づいて論理的に思考してみよう、という事だ。


以上で今回の駄文を終了とする。




ここまで読んでくれた誰かが、この世に素晴らしい作品を生み出してくれることを心の底から期待しています。私のこんな拙い殴り書きが誰かのためになった時が、駄文の報われるタイミングだと思っているから。

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