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横澤進一個展「クサビノ」【後編】

この記事は横澤進一 個展「クサビノ」のために事前に行われた、横澤進一と篠田優によるインタビュー記事【後編】です。

【作家】横澤進一
【聞き手】篠田優(写真家・Alt_Medium)

【前編】はこちら→

このインタビューは本来2020年4月2日(木)〜14日(火)に開催を予定していた横澤進一「クサビノ」展会場での配布を目的として収録されたものです。新型コロナウイルス感染拡大に伴う非常事態宣言の発令をうけて同展覧会は開催を延期していましたが、この度改めて開催する運びとなりましたので、会場での配布とあわせて、オンラインでも公開いたします。

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フレームと色

S:内原さんのインタビューに掲載されている写真や、ニコンサロンで行われた展覧会「煙野」のインスタレーションビュー(*2)を見ると写真が全部横位置ですね。しかしその後の写真集『Ar』では判型も縦長ですが、写真も縦位置が増えているように思えます。画面の構成も「煙野」のときのように広大な風景を撮ると言うよりは、フレーム内で様々な要素を構成しているように見えます。どうしてこのような画面構成に変化したのでしょうか?

Y:その頃は同時代の様々な作家が撮った縦位置の写真をたくさん見て、縦位置でカラーで撮るのはいいなと思っていたので、そうした写真からの影響もあったかもしれない。今はあんまり分け隔てなく割とどっちも撮っているかなと思うんですけどね。

S:写真集『Ar』に収録されているイメージについていえば、上からものを見る俯瞰の視線が多いですね。要素を減らすためではなく、いろんな要素が一まとめにしていくようで面白い。色についてはなにか意識していますか?

Y:そうですね、よほど形が変わったものがあれば単体で撮ることもあるんですけど、そうでなければ割と単純に、変な色や、綺麗な色に反応している気がします。僕の撮ってる場所ってそんな大自然でもなければ、都会でもない中途半端なところなんですよね。どっちつかずというか。だから特定のものを一枚のフレームの中で構成するより、様々な色や、自然物とも、人工物ともつかないものが合わさっている状態で枠取りをしているかもしれないです。昔はそうしたごちゃっとしている、なんというか複雑に絡み合ったような場所を探しすぎていた頃もありました。単にそういう場所を撮ったら面白かったから。でも最近はそうした状況のものを撮ったら面白くなるなという予測がつくようになってしまった。それからはもっとそうじゃない場所を探すようになりましたね。

写真を選ぶ

S:写真に意味やメッセージを込めるってことはありますか?

Y:考えたことないですね。

S:それこそ抽象的なイメージではなく、ある種、どこかの景観として見えるものでも構わないのでしょうか?一枚一枚の写真で意味を考えないとおっしゃっていましたが、展覧会の構成をするときはどうでしょうか?

Y:今回Alt_Mediumでの展示構成を考えていた時に、前回の個展からは大分期間があいてしまったので、今までの写真を見返して、自分がどういうものに反応しているのか考えるためにそれぞれをカテゴリーで分けてみました。さっき篠田さんが言ったように、上から撮っているものや、どうしても昔からぬぐいきれない変な画面構成みたいなもの、奇妙な看板や木の形。そういう気になるものを、“空”、“石”、“道”、“木”のようにいくつかのグループに分け、それぞれ30枚とか50枚の束にしました。そこから一個ずつをピックアップしてから行きで撮った写真と、帰り道で撮った写真を二列展示しようかなと考えています。これはちょっとダサいかなとも思ったけど、まぁいいや。(笑)

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S:いやいや(笑)。写真家が今まで撮ってきた写真について反省というか自己分析をする際は、感覚的というかその写真が呼び起こす感情の部分に着目することもあると思うんですけど、横澤さんはそうした感覚的な部分ではなく、まさに写ってるものを言葉でカテゴライズしたんですね。それは写真集でもそうですか?

Y:そうですね、でも写真集の場合“道”が続いたら“木”になったり、“空”になったり、“石”になったりしますね。今までの制作方法ではただ一年間かけて撮影したものの中から気に入ったものを収録するようにしていました。これは、だからどうしたって話になってしまうんですけど、惰性で撮影していただけなので、Alt_Mediumで個展すると考えた時にただ最近撮影した“いいもの”を並べるのではなく、写真を一度ちゃんと見直さないと、とは思いました。最初にやった個展と同じといえば、同じだし、変わったといえば変わったと思っているんですけどね。

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クサビ-楔

S:最後に聞いてみたいのですが、前回の写真展が「煙野」で、今回は「クサビノ」ですよね。これは造語ですか?だとすると今回のクサビノとは“楔野”と書くのでしょうか?そうであれば “野”の部分が共通すると思うんですが、それには何か意味がありますか?

 Y:煙野もそうですが、これは造語です(笑)。煙って歩いていると畑から出てくることあるじゃないですか。そういうときに撮影していると臭いな―と思うし、実際に洋服が臭くなる。あれは何なんだろうと思っていたけど、煙に対して“消えてしまう”というイメージを重ねて考え始めてしまうほど、“煙”というものに自分が反応してる気がしました。
楔について考えたのは2014年に湊雅博さんがキュレーションをしていた「リフレクション2014」(*3)で出展した作品が川沿いの境界杭を撮影したものだったからです。境界杭って全然断定的な杭ではなくてすごく曖昧なんですよね。撮影に行くたびに適当なところに杭が刺さっていてるのに、“境界杭”と書いてある。これってなんか意味ないなぁと思って。
でも自分の写真もそんな感じだなとか思ったりもして。

S:煙も境界も曖昧なものではありますね。好き勝手に打たれたように見える杭は法則がわからないし、川が反乱すれば流れてしまう。
煙もまた決まった形が感じられないですよね。見る側が勝手になにか形や法則めいたものを投影しているともいえる。

Y:そう、なんかぼわっとしてる。自分が撮ってるような写真は目新しいものではないと思っています。写真って過去とか今もそうですけど、いろんな人が同じような写真を撮っていると思うんですよ。だけど自分にとっては新しいと思ってるというか、隙間を見つけて“ここ!”みたいな、そういうところに杭を打っているような感じだなと思って。以前、杭についての文章を書いたんですけど、それがちょっと繋がっていて。楔っていう言葉は杭みたいな言葉で他になにかないかなと思って探していたときに見つけたんです。楔って打ち壊すみたいなイメージあるじゃないですか、“楔を打つ”みたいな。それだと違うなと思ったんです。それで改めて楔という言葉を調べてみたら、 “カキンと割ってしまう”という意味とは別に、“楔を入れると関係が強くなる”という反作用的な意味もあると書いてあったんです。それなら自分は歩いている場所を撮ったことで、思い入れではないけど、そこに強く結びついていたような気もしたんです。でも矛盾しているんですけど、とはいってもやっぱり新しい写真を撮りたいなとは思っているので、なんかいつもの場所を叩き割りたいとも思っているんです。

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S:楔という言葉には、あるモノを破壊したり、断ち割ったりするのと同時に、モノ同士を関連づけ、結びつけるという用法があるんですね。写真はある場所から、そのある場所の像のようなものを“切り取ってくる”とよくいいますが、その一方で、そうして撮られた写真それぞれを写真展なり写真集なりで互いに接続していく行為がある。そのように結びつけていくことは、なにかを物語ることや内面化することであるのかもしれないけれど、“関わり”といってもいいのかもしれない。そうした結びつけによって、例えば土地と撮影者との関わりみたいなものが見えてくるというか、形作られていくということがある。そういうことにおいて楔や境界杭といったものは、なにか重要な意味を含んでいる気がします。とても良い時間でした、今日はありがとうございました。

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