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寺崎珠真 個展「Heliotropic Landscape」 【前編】

この記事は寺崎珠真 個展「Heliotropic Landscape」のために事前に行われた、寺崎珠真と篠田優によるインタビュー記事【前編】です。

展覧会の詳細は下記でご覧いただけます。
https://altmedium.jp/post/659483282975653888/

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【作家】寺崎珠真
【聞き手】篠田優(写真家・Alt_Medium)

〔作家プロフィール〕
寺崎 珠真 / TERASAKI Tamami
1991年神奈川県生まれ、神奈川県在住
2013年武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業

〔個展〕
2019 「Heliotropic Landscape」(Kiyoyuki Kuwabara AG / 東京)
2015 「LANDSCAPE PROBE」 (コニカミノルタプラザ / 東京 )
2014 「Rheological Landscapes」 (大阪ニコンサロン / 大阪)
2013 「Rheological Landscapes」 (新宿ニコンサロン / 東京)

〔グループ展〕
2016 「リフレクション写真展2016」 (表参道画廊+MUSEE F / 東京)

〔受賞歴〕
2013 第8回「1_WALL」審査員奨励賞(増田玲選)

〔出版歴〕
2017 『LANDSCAPE PROBE』(蒼穹舎)

〔website〕
http://ttrsk.org

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篠田(以下S):寺崎さんの作品をいろいろと拝見しましたが、どれも画面内にボケが少なく全ての部分に明瞭にピントが合っているように見えます。おそらく順光で撮影されていることがそれに拍車をかけていて、曖昧な部分が少なく、全ての部分が等価値をもつように捉えられているのが特徴だと感じました。寺崎さんは写真を撮るにあたってはどのようなことに気を使い、画面内のどういった部分に着目しているのでしょうか。例えばシャッターを切るときの決め手はありますか?

寺崎(以下T):シャッターを切るときの決め手と言われると難しいですが…。唯一決まり事があるとすれば、晴れた昼間に撮るということでしょうか。昼光の事物をはっきりと映し出す、情緒性が入り込む隙のなさが良いです。写真を始めた頃は曇っていても撮影していましたが、今は晴れた昼間にしか撮影していません。撮影は一年中行っています。過去の作品は夏に撮影した写真も多くあるのですが、今作『Heliotropic Landscape』は山で撮影していることもあり夏場は暑さに加え虫やヒルが多かったり薮が深くなっていて撮影にならないことが多いので、時期によって撮影頻度や枚数は少ないことはあります。

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S:外で撮影しようと思うと、夏場が一番過酷ですよね。
寺崎さんの写真はもし言葉を当てはめるなら大雑把に風景写真であると紹介されることが多いように思います。また、ご自身の名刺にも“風景観察官”と書かれていることからも、風景に対するこだわりを感じます。

T:私は宮沢賢治が好きなんですが、特に「春と修羅(第一集)」の中にある「風景観察官」という詩が好きなんです。この詩に「あの林は あんまり緑青を盛り過ぎたのだ それでも自然ならしかたないが」という部分があります。この一節は画家の視点だと思うのですが、私の場合自分の感情や思考などが入り込んでしまう前に風景に反応したい、シャッターを切りたいという姿勢でいますが、あれが無ければ……とかあの位置から撮れたら……とか結局のところ人間なのでどうしても撮影する時にいろいろな考えが過ってしまうことがあります。ですが、シャッターを切ればそういった考えとは関係なしに写真になっているんですよね。自然なのだからそうであることをそのまま受け入れる。そういう部分がちょっと近しいというか共感しました。
また、この風景観察官というのは宮沢賢治自身でもあると思うのですが、それが「風景の中の敬虔な人間」とあるように第三者の視点から語られており自分も風景(自然)の一部であることが描かれています。風景の観察者である一方で、風景は自分自身も含んでいるんですよね。そのような思想がとても好きですし自分の考え方とも重なりました。

S:宮沢賢治の詩のタイトルだったんですね。たまたまですが宮沢賢治には僕もいま興味を持っていて、ちょうどこの夏に全集を読もうと準備をしていました。先ほど情緒性を失わせたいという言葉が出てきましたが、通例的な意味での風景写真には、画面の中から人の痕跡をあえて徹底的に排除していくような自然写真、もしくはネイチャーフォトというジャンルもありますよね。こうした写真はある種、純粋な自然の姿を求めた結果のようにも思えます。しかし、その場に人間が立ち入って、カメラを用いて撮影をしているということを考えると、人工物の存在しない“自然”という捉え方には違和感を覚えることもあります。

T:ネイチャーフォトの”純粋な自然”という言葉自体も怪しいというか、おかしいと思っているのでそうした自然写真、ネイチャーフォトとは違ったものを目指しています。むしろ、そういったものに抵抗するように、疑問を投げかけたいとは思っています。でも、今回の作品では人の痕跡って見えにくいんじゃないかと思います。低山の登山道となっているところを歩いているので、周辺では林業が営まれていたり、実際には所々に標識などがあり撮影時にはそれらが写り込んでいることもありますが、このような環境で画面内にそうしたものあるとどうしてもそこに視線が集中してしまうので、一見して目立つようなものは今回はセレクトから外していきました。

S:寺崎さんの写真集『LANDSCAPE PROBE』(蒼穹社、2017年)の作品を見ると建物や人工物とともに生きる植物のあり様が多く写されているように感じましたが、確かに今回の作品は植物というか“自然と呼ばれるもの”の方にフォーカスして、その意味においての人工的なものは徹底的といってもいいほど画面内から姿を消していると思いました。これには関心の移り変わりがあったのでしょうか。

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T:もともと植物は好きだったんです。『LANDSCAPE PROBE』を写真集としてまとめる終盤の頃にはだいぶ関心が植物や、地形的にも高低差のある場所に向いていたように思います。人が苦手なこともあり住宅地域で撮影するのも少し辛くなってきてしまっていて、物理的に人が少ない場所に行きたいという気持ちもありました。また、あとから考えると前作では外側から風景に向かうイメージだったのですが、今度は内側から見てみたいというか、取り囲まれた環境の中から風景を探ってみたいという思いもあったかもしれません。それぞれ写真として現れるものは大きく違うように見えますが、自分の写真や風景に対する根本的なスタンスは変わっていないつもりです。

S:確かに今回の新作は森とか山の斜面のような木々が密集しているところに入って撮影したということがよくわかります。また、新作を見ていて気づいたのですが、倒れている木が画面内に多々見受けられます。植物の繁茂する様というか、乱雑ではないけど決まり切ったパターンを持たないものに魅かれているような気がしました。

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T:そう思います。整然と並んでいるものより興味が魅かれるので、そういうものが多くなってしまっているのかもしれませんが。実際山ではよく木は倒れています。でもそれが自然ですよね。やがて土に還っていく。街中の雑木林だと日常的によく整備されているので倒木もすぐに片付けられてしまうのだと思います。一方でプリントやセレクトして写真を見ていく中で、撮影時に気づかなかった人工物が見えてきたり真っ直ぐ並んでいる杉などもやはり気になったりしてしまいます。ですが、前作が一見すると人工物と自然の対比の部分が強く見えてしまうこともあり、そういうところから逃げ出したい気持ちもあるので、それらの扱いをどうしようかなとは考えています。

S:それはそれで面白いですけどね。ただそういう面白さのみに回収されてしまうと、先ほどまで話されてきたような、寺崎さんのまなざしがもつ一種の深みのようなものが消えてしまう気もします。話は少し変わりますが、やはり事物が明瞭に描写されている写真は見ていて気持ちがいいですね。

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