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岩崎美ゆき個展「折りたためる海」

この記事は岩崎美ゆき個展「折りたためる海」 のために事前に行われた、岩崎美ゆきと篠田優によるインタビュー記事です。

展覧会の詳細は下記でご覧いただけます。
https://altmedium.jp/post/660013828423188480/

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【作家】岩崎美ゆき
【聞き手】篠田優(写真家・Alt_Medium)

〔作家プロフィール〕
岩崎美ゆき / Miyuki IWASAKI
看護師として勤務しながら、武蔵野美術大学映像学科入学。在学中に写真を始める。

〔個展〕
2020 「My Garden(2015-2020)」(Alt_Medium / 東京)
2019 「この海は、泳ぐためではありません」(Alt_Medium / 東京)

〔グループ展〕
2018「平成29年度卒業制作・修了制作優秀作品展」(武蔵野美術大学 / 東京)
2017「町田市立国際版画美術館インプリントまちだ展2017」
  (映像と写真による参加)

〔受賞歴〕
2018 武蔵野美術大学卒業制作優秀賞受賞
2017 第17 回写真1_WALL 審査員奨励賞(増田玲選)

〔ポートフォリオサイト〕
https://mi-iwasaki.tumblr.com/

〔instagram〕
https://www.instagram.com/miyuki_iwasaki_w/

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1.「海」と写真

篠田(以下S):岩崎さんは2019年から毎年個展を開催し、今回で3回目の展覧会になりますね。2019年に開催された自身初の個展「この海は泳ぐためではありません」と、今回開催される3回目の個展「折りたためる海」。どちらのタイトルも言葉として非常に印象的ですが、共通して「海」という言葉がはいっています。しかし、実際の作品を見ると海を主な被写体としているわけではなさそうです。
いきなりですが、岩崎さんにとって「海」とは一体なんでしょうか。

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岩崎(以下I):海は泳いでも楽しいし、撮るだけでも楽しいし、行きたくなければ行かなきゃいい。そういう自由な場所だと思います。だけど海は優しいだけじゃなくて荒れることもあるし、ちゃんと場所や地形を考えて入っていかないとうっかり深みにハマって、そのままさようなら〜って向こう岸まで連れていかれちゃう。海はそんな自由さもありつつ、しっかりルールを守らないとうっかり死んでしまうみたいな、ちょっとした責任も混ざっている場所でもあると思います。自分に知識だったり、自制心だったり、意志を持って入っていかないとその自由さだけにどっぷりつかることもできない。そういう自由さのみじゃない「海」という場所が好きなんです。

S:それなりの手続きを踏んだり、態度で臨んだりしないと、そこにある自由みたいなものも正直に楽しめないし受け取ることができない場所という認識なんですね。そんなふうに、簡単に“海=自由・開放感”と繋げずに、ある種のルールのもとに海を解釈している人にははじめて会いました。面白いですね。その上で今回の展覧会タイトルを「折りたためる海」としたことについて、もう少し聞かせてください。

I:これは今回の個展の内容にも関わる話なんですが、コロナウイルスが蔓延する前から現在まで写真を撮っていて、それを通して見た時に、もちろん変化があったのかもしれないけれど、私の周りでは特別に変化を感じなかったんです。でも社会はすごく変わっていってしまっていて。私自身も看護師という職業柄気をつけないといけない場面も多く、そのストレスを感じることもありました。
しかし、撮ったものに関していえばやはり変化を感じない。でもそれは私がそうした社会の流れを気にしていないわけでも、変わっていないと思いたかっただけというわけではなくて、「なんとか抵抗している」状態なのではないかと私自身を分析していました。写真を撮ることで、自分の変わりない、変わらないで済む部分をなんとか保とうとしたんだと思います。例えば指輪やネックレスでもいいですが、お守りってありますよね。私にとっては多分「海」がそのお守りなんだと思ったんです。あの場所は私の絶対がある場所なんだって。それを小さく折りたたんでポッケに入れている、それが写真をやることなんじゃないかって。
この時期、写真の話をする時にコロナの名前を出すのも腹が立ちますが、写真は社会と繋がりが深いジャンルなのでやっぱりこの話題は避けては通れない。でも、私はポッケには"折りたたまれた海"が入ってるからという気持ちを持って、このタイトルとしました。

S:確かに、人がコロナウイルスについて話すときは、「私が変わった」、「社会が変わった」といったように、変化について語ることが多いように思います。しかし岩崎さんは、自身を保つために必要なものとして海があって、かつその「海」という存在は写真と結びついているんですね。

I:そうですね、写真をやることで私の中の「海」が保てると思っています。またその自由さと責任が混ざっている海という場所は、私が正気に返れる場所だと思います。もっといえば社会を見ている私と、今、私がどのように思っているのかを冷静に考えて、正気に戻れる場所です。コロナウイルスのように、感染症と人間の戦いは長い地球史の中で、今までもこれからも続く淘汰の一つなので抗えません。でも抗えないものに抗って、必要のない混乱が起きていることがストレスでした。こうしたことはいつでもあるべき事態であるのに、今の世の中はものをわかりすぎてしまっているというか、わからなきゃ嫌だという空気も感じます。またわからないものを恐れすぎたり、わかろうとしすぎたり、コントロールしようとしている気もしました。例えばコロナ渦でみんなが励まされたであろう映像作品群や、自宅の画面で楽しめる、即物的というか、インスタントで、わかりやすくて、早くて、どんどん消費できてしまうそういう時代で、私はそうじゃない作品を発表したいと思ったんです。

S:変わらないものや、あえて時間をかけて見ることが重要だったのでしょうか?

I:そういうことなんでしょうね。不安を取り除くための作品ではなくて、何かを考えたり、考えるきっかけになったり、見たものや、考えたことについて話す時間ってとても贅沢だと思うんです。そういう時間が少なくなってしまったことが嫌だなぁって。でも実際は「わかる」ことと、「わからない」ことはどちらもあって、その両方を適切に自分の中で保持しておく方がよっぽど健全であると思っています。これは私が医療現場にいるからこそ思うんですが、医療現場では全部わかることはまずないんです。症状があって、検査をすれば数値が出ます。でもこの部分については、どうしてこうなるのかわからない。どうしてかわからないけど具合が悪いってことはよくあります。そういうどうしてかわからないってことはいつだってあるはずなのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうと思う出来事がコロナ渦ではよくありました。

S:今回の展覧会に寄せられた岩崎さんのテキストから感じるある種の息苦しさみたいなものはそうした出来事に由来したんですね。

I:そうですね、だってこの作品展を見て、この写真群がそれでいつ撮影されたものかなんて見てわからないでしょう?
っていう。

2.庭と島

S:岩崎さんは武蔵野美術大学で写真を学んだわけですが、その前に看護師資格を取得し、看護師として勤務してから同大学に入学されていますね。写真家にも様々な経歴を持って活動している人は多いですが、写真に関心を持ったきっかけを教えてください。

I:おおもとはアニメや漫画が好きだったんです。でもそれをやるためにストレートにその道に進学するかっていうと当時まだそういう気持ちはなくて、何がやりたいとかも決まってないし、生きてく上でお金は必要だし。その時「資格を取ってからにしたら」と親に言われて、それもありかなと。表現をするのに一度社会に出てどこかで働くなり回り道しても、デメリットはなさそうだなと思ったんです。それで働いてみたあと、やっぱりこれから何がしたいのか決まってないけどやってみようと思って武蔵野美術大学に入学しました。写真を撮り始めたのは、入学当初は動画制作をやろうと思っていたのに椅子にずっと座っているのが辛いからでした。しかし、学んでいくうちに社会や、世界に繋がりをもてる写真というジャンルに惹かれていきました。また、授業を担当していた飯田鉄先生と森田衣起先生の古い形式にはめない教えで、作業の楽しさとともに撮ることの楽しさも学べた気がします。
ただ、回り道をした経験があれば表現が豊かになるかなと思いきや、今のところ何もつながりは感じません(笑)。

S:確かに、岩崎さんの作品からは撮影されているものと岩崎さん本人とのあいだにあるつながりを見出すことが少々難しく感じます。たとえば2019年のここ(Alt_Medium)での初めての展覧会「この海は泳ぐためのものではありません」の撮影地は式根島でしたが、岩崎さんにとってはとくには縁のない場所でしたよね。2020年に開催した「My Garden(2015-2020)」の舞台は岩崎さんのお母様方の実家の庭でしたが、岩崎さんはそこにずっと住んでいるわけでもなく、その画面構成も人と土地をあえて結びつけているようには見えませんでした。

I:撮影の時はいつもそうなのですが、撮るぞと決めて出かけたり、予め被写体を決めて撮影することはないんです。式根島も撮影のために行ったのではなく、人生の行き詰まりを感じてちょっと遠くに行きたいというよくある理由で訪れたのが始まりです。写真を学んだ後だったので、一応カメラを持ってはいましたが、撮影をするために選んだ場所でも、旅行でもありませんでした。そんなふうに撮ることを意識せずに撮影したものを自宅に持ち帰って眺め、あぁまた行こうかなと思う時に出かけ、そのたびに撮影をしていました。多分私の作品としての興味は人が手を加えている部分と、手が及ばないで自然にしたがっている部分なんだと思います。そう思うと式根島は観光地でありつつも、わかりやすく観光地化していないので、そのバランスが私の興味に合致していたのかなと思いますね。

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S:確かに式根島を撮った写真は一見すると自然の分量が多く見えますが、芝生があったり、砂浜には人がいたり、人間のための風景やそうした写真が選ばれているように見えます。

I:式根島は、知っている人は毎年行く夏の観光スポットみたいなところなんです。また、「My Garden(2015-2020)」のように庭という場所も人の手が入っている部分と、入っていない自然が混ざり合う曖昧なところがあると思うんです。昔からそうした場所は自分でも関心があり撮影もしていたのですが、それがまさに自分の実家にも存在していたので撮影しました。でも記録のために撮っていたわけでも、作品にするために撮っていたわけでもなかったんです。

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S:偶発的に思ってもみなかったものが撮れることで、今後の自分の新しい出口を見つけていったんですね。

I:私が武蔵野美術大学に通っていた時は、もう山崎博先生の授業はそんなに受けられませんでしたが、その中で"多少の計画性があってそれが偶然性と結びつけば面白いものが得られるかもしれない"みたいなことを仰っていたんです。今ではそれがちょっと頭の隅っこにありながら制作している気がします。自分には夫もいるので、そうした自分の意志と種類が違う意志を持った人と移動することで得られることもあります。だからあまり強く決めすぎないでいこうかなと思っています。

S:方法論と写真がすごく結びついているんですね。そうした興味は写真を始めてから持ったのでしょうか?

I:そうでもないです。みんな試行錯誤する時期があるじゃないですか。だから最初は何でも撮影していました。いろいろな場所で働いていたので、そうした職場も撮影しましたし、当時働いていたクリニックを撮影したこともあります。そこからだんだん勉強して、いろんな作品を見て、楽しかったことを後になって思い返しながら、それまで撮った写真を見た時に自分の興味を見つけていった気がします。

S:岩崎さんの写真からは、例えば「母方の実家の庭」や、「行き詰まりを感じて出かけた遠くの島」を撮影した時に漂わせがちな感情的な部分をあえて排しているようにも思えます。

I:そうですね。でもそれはなぜかって考えてはみたんですが、今のところはっきりした答えがあるわけではありません。自分がそうした感情的な写真を撮らない分、家族写真やそのほか感情が込められているであろう作品はとても興味深く見ています。だからそうした作品を否定したい気持ちはなくて、見れば「すごい、そうなんだ」と思いはするんです。ただ同時にその作者の気持ちに寄り添えず「わかりました」とただ受け取るだけで終わってしまう気持ちもあります。好みの話にはなるんですが自分は感じる自由さがないと嫌なので、作品を見た時に「これが、私の言いたいことでこれが私の写真だ!(ドンっ!)」って雰囲気を感じると、自分の考えがこの作品には及ばないんだなと思えてしまって、見ていると苦しく感じるんです。
自分は作者の意図じゃない別のことを鑑賞者が感じたり考えても大丈夫だよと思える写真が好きだから、見て、わからないと思われてもいいかなって。それから、ヒントがありすぎる写真も好きじゃないんですね。でも、わからなさすぎると鑑賞するものとして成立しないとも思うんです。だからそのために展示をして、みんなから感想を聞きながらさらにその塩梅を探っています。その試行錯誤自体が展示物のひとつというか、制作のひとつだと思っているので、まぁなるべく感想とか、感じたことを言ってくれる人の話が聞きたいなと思っています。

S:そもそも世界がわかるのかと聞かれたら、「わからないことの方が多い」、もしくは「わからない」としか言いようがないですからね。素直に撮っているとわからない「謎」の部分が必ず残って見えてくる気がします。

I:その謎をあぁでもない、こうでもない、こんなこともあるよね、あんなこともあるよねって話したり、考えたり、自分の中でずっと持っていられることが写真をやっていて楽しいところなんだと思います。画面上で写っているものが割とごちゃごちゃしているように見えますが、そうした中に何か余白を感じることができる写真をセレクトして、作品として展示しています。

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〔インタビュー後記〕
気も衒いもなく直截に撮影された光景は、一見すると取り付く島もないようですが、身を預けるようにしてしばらく眺めているうちに、ある種の開放感を感じさせてくれます。
そのような写真の在り方を岩崎さんは「海」と喩えていますが、それは卓抜な言葉の選択というべきでしょう。
どこまでも自由でありながら、しかしそこには一種のルールが秘められている。岩崎さんの写真から感じる清澄な距離感は、倫理と呼ぶことも可能な、写真への態度が生み出しているようにも感じました。

聞き手:篠田優(写真家・Alt_Medium )

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〔ギャラリー詳細〕
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