真夜中「水曜日のダウンタウン」を笑いをこらえながら見るみたいに

毎週楽しみに見ている「水曜日のダウンタウン」だが、今週は夜にシフトが入っていて見られなかったため、情報を遮断して家に帰った。ダウンタウンが涙を流す予告映像を見て、その理由は知らずに見た方が楽しめるだろうと思ったから。そうでなくてもこの番組は予告には流れない見どころが毎回あるので、リアタイ視聴できない日はそうすることが多い。

帰ってからいろいろこなしていたら、見逃し配信を再生し始めたころには1時を過ぎていた。100万円争奪金網デスマッチの行方を固唾をのんで見守っていると、苦しい瞬間が訪れた。それは、チャンス大城が他の三人の両手が食事中でふさがっているタイミングを見計らい、アイテムで停電を起こして100万円を奪い取ろうと仕掛けたとき。明転した瞬間彼がうどんをすすって現れたのをみて、笑い声が爆発しそうになった。だがここは深夜の住宅街。隣の部屋の住人もきっと眠りの中だろうからと、普段から深夜は音をたてないように気をつけて過ごしている。その感覚が身体に沁みついていたせいで、今年一番くらいに面白かったシーンを、声を殺してニコニコすることしかできなかったのが悔しかった。近所迷惑にならずに済んだのは良かったが、何も悪くないのになぜこんな仕打ちを受けなければいけないのかとやりきれない気持ちになった。

みんなが休む時間に、その休みを支えるために働いて帰ったのに、なぜ私はチャンス大城のうどん強奪をみて笑いをこらえなければならないのか。みんなと同じように働いているのだから、帰ってからはストレスを発散させてくれてもよいではないか。朝早く起きて夜も早く寝る人と、夜遅く寝て朝遅く起きる人で、人の睡眠を邪魔してしまう可能性とともに活動する時間は変わらないはずだ。だが、わたしが寝ている朝はだれもそんなこと気にしてくれない。他の人と昼と夜が入れ替わった「裏側」で過ごしているだけで、同じ地球で生きている。だから太陽の光が当たっていない私みたいな人間も、蛍光灯に照らされて声を出したくて生きているのだと、忘れられないでいたい。集めても小さな声だけど、私たちがこらえた笑い声がいつかみんなの耳に届いて、見えないところにある幸せな生活の気配を感じてもらえるといい。

次の日の夜に小腹が空いて訪れた閉店間際のスーパーは、「地球の裏側」みたいな場所だ。そこでは、夕飯前に家族のために買い物をしにくる人がほとんどの物を買い尽くしてあまりものしかない商品棚を前に、選択肢の少ない買い物を急いで済ませる人が集まっている。総菜や生鮮食品に貼られた割引シールを見ると、「ずれた」生活をしていることも悪いことばかりではないと思う。積まれた菓子パンに貼られた半額シールは、せまる閉店時間のせいではなくただ人気がないせいだろうなと、パンに合うのか疑わしい「塩レモン」のシールをみて思う。だけどあまりにあからさまに売れ残ったパンに憐憫の情がわき、フードロス撲滅の手助けになればと、二つ手に取ってレジに向かった。

帰ってトースターで温めて食べてみると、パッケージからはわからなかったクリームの存在感があって、それがパンとレモンに手をつながせていた。楽しみにしていた「水曜日のダウンタウン」を、胸になにかをつっかえさせながら見る必要がある反面、昼間のスーパーでみんなに気づかれなかった汐レモンデニッシュのおいしさを知ることができる。私は太陽の光ではなく、自分の灯りで目の前のものを照らしながら生きていくことを選ぶ。

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