寄りかかりきった椅子の上では、居心地が悪いみたいに

背もたれがある椅子に座るとき、腰を少し前に出して背中の上の方だけもたれかかる体勢に落ち着く。背中をすべてもたれると結局上半身をまるごと腰で支えることになる気がするし、体に触れている面積が広いと特に夏は息苦しくなってくる。背もたれが直角ではない椅子でも同じような体勢に落ち着くから、苦しいのは腰にかかる重さよりも背中を包む熱のほうだとわかる。

同じことは寝転んでいるときも感じる。布団の上で大の字に体を広げていると、だんだん背中や腰に熱がたまってくる。それを逃がそうと、横を向いて側面で体を支える体勢に落ち着く。

だがそうやって体となにかが広い面積で接する暑苦しさを、体を支える面積を小さくすることで逃がそうとすると、その小さい面積に大きな圧力がかかることになる。座っているとき背中のうちの力がかかる部分を少しずつずらしながら過ごすことになり、横向きになって寝続けていると腕がしびれてきたりする。もちろん、なるべくどこにも触れさせないために、ずっと立ちっぱなしでいるわけにもいかない。息苦しさや暑苦しさから逃げることは、痛みや疲れを伴う。自由であることを求めると、体を支える辛さを味わうことになる。

暑い夏を過ごしていると特に、何も背負わず快適でいることは難しいと痛感する。涼しい部屋にいたとしても、それは燃料を消費しているし、そもそも熱を部屋の外のどこかに逃がしているにすぎない。背もたれも、布団も力をかけ続けるうちにどこかに疲労はたまっていく。そうやって、何かに支えられないと、人は生きていけない。

ならばどうやって支えられるか、いちばん心地がいい方法を選びたい。けれど、苦しくない方法なんてないんだと、椅子やら布団やらから感じる居心地の悪さから学ばされる。多くのものに支えられているとき、身を預けて安心して過ごせる代わりに、何かに囲われている不自由さを負わなくてはいけない。逆に、自由でいるとき自らの命を一点で支える辛さを味わうことになる。その点にたまる疲労をどうにかするために「寝返り」をうつように、別の場所に体重を移そうにも、そこが居心地の良い居場所であるとは限らない。

どの支え方だって、何らかの苦しさを伴うのならば、それらを自由に選べる幸せくらいはほしい。"どれか一つを選べる"自由じゃなくて、"いつでもどれも選べる"のが良い。みんなが、広い布団の上に居て、その上でだったら何度だって寝返りを打てて、座ったって立ったっていい。そういう場所に、ここがなったらいいのに。


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