恵方巻を口いっぱいに願い事をするみたいに

美術展の予約時間が迫っていたので急いで向かったので、起きてからまともにご飯が食べられないまま夕方になってしまった。美味しそうなごはん屋さんの横を通るたび今度行くリストに追加しながら家までの道を歩く。今日は恵方巻にかぶりつくのを楽しみにしていたからなんとしても寄り道してはいけない。最寄りのスーパーで高すぎず安すぎずのもの(海老とか穴子とか卵焼きとか)を選び、腹ペコで帰宅。食欲がMAXを迎えハァハァしながらカバンを下ろし、即がぶり……と行きたいところだがちゃんと石鹸で手を洗う。焦らしに焦らされやっとたどり着いたひと口、天にも昇る旨さ。恵方巻は美味しい上にいろいろ入ってて嬉しいのもさることながら、頬張れるのが良い。お腹いっぱいも気持ちいいけど、お口いっぱいも気持ちいい。ために溜めた欲望を一気に満たしたことでトぶような感覚。

だが一つ疑問。本当にこれを食べて願い事が叶う? 美味しい食べ物を頬張り煩悩の限りを尽くしてる瞬間にさらに満たされようなんてこと、神様は許してくれる? 「喋らずに食べきる」という制約を課しているようで、普通に口に食べ物がパンパンで話そうという気にならない。

お坊さんも神父さん牧師さんもあんなに自分に厳しくして神さま仏さまに尽くしているのに、市井を生きる我々がこんなに欲望を満たしながらさらに願いを聞いてもらうなんて甘えすぎでは?

逆に神様を怒らせて、初詣が無駄になるだけだと思うから、次からはただ食べるだけにしましょう。来年も、美味しい恵方巻きが食べられますように。

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