藝大卒展で名刺を置かない人の作品のほうが心に残ったみたいに

東京藝術大学の卒業・修了展を見に行った。空飛ぶこたつがネットでバズってなかったら存在さえ知らなかった程度の興味だったが、暇だったしひょっとしたら仲間が見つかるかもしれないと思って上野公園まで足を運んだ。あの辺は足を踏み入れるだけで意味のある一日になった気がして良い。

彼らにとってそこは学生生活の集大成を披露する場でもあり、学友みんなで作る催しでもあるが、やはりひとつの「市場」なのだなという感想を初めの方から持った。作品の横には、SNSにつながるQRやら名刺やらが(たまに「お仕事はこちらへ」というメッセージも)添えられていて、しかもその大抵が捌けきっている状態だったのをみてより実感できた。自分も何に使うかわからないけどもいつかのためにと気になったのはメモしたり配布物を手にしたりして回っていた。だけど不思議なことに、「この人のこともっと知りたい」と思った人に限って、リンクを開示してくれていない。彼らは別に作家として人生を歩み始めるわけではないのだとしたら、少し残念である。でも、そうやって"外向き"でないからこそ良いものが作れることもあるのでは。自分の好みがそういった"内向き"のものなだけだと思うが、自分を見せるのが上手い人に引け目を感じたり、そこからくるルサンチマンから表現を志したのだとしたらとても共感できる。「お前ら有名になりたいだけで大した内面持ってないだろ」と名刺を配りまくってるやつに思っていてほしい。そういう人のほうが成功するしエラいことも重々承知のうえで悪態をついていてほしい。

ひと目見て「はいはいそういうこと考えてるのね。イマドキでエライね」と突き放したくなるような、表現してしまったせいで人間の薄さを曝け出してしまったような作品も多くあった。普段美術展に行ってもよくわからず「どれもすごいなー」と思って会場を出るのだが、それは単純に"どれもすごい"のだなと、これからの人たちの作品をみて相対的に判断できた。
 だけどやっぱり同じ時代を生きてきたからこそコンセプトが読み取れるとかそういうときめきのために行ってよかった(「アイドルオタクは、そうでない人にとっての普通の景色が"聖地"に見えている」というアイデアなんか、全部読まないですっと入ってきた)。美術をしているから当たり前なのだが、このサイバー時代に"物質"に執着する人が世の中にたくさんいるのは嬉しい。
 美大にも、自分をひけらかすのが億劫な人がいて、その人たちが心動かすものを作っていて良かった。別に自分が何か追いかけているわけでもないが、"安心"を持って帰ってきた気がする。彼らがこれを読むことなんてないと思うが、これを読んだらこうやって共感してくれる人もいるのだと安心してほしい。

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