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アンタッチャブル10年ぶりの復活に、20歳そこそこの僕が感動するのを許してほしい

 昨年の11月29日、たった3分ほどの漫才が日本中のお笑いファン、もしかしたらそうでない人をも驚きと感動の渦に巻き込んだ。

 2004年のM-1グランプリチャンピオン・アンタッチャブルが10年ぶりにコンビで漫才を披露したのである。

 そのバラエティ番組「脱力タイムズ」を僕は習慣的に視聴していたので、その放送も普通に見ていました。お笑いファンになってからアンタッチャブルの漫才をリアルタイムで見たことがなかったので、新鮮さと漫才自体の純粋な面白さで舞い上がったのを覚えています。もちろん普段から個々のトーク番組への出演(特に柴田)の中で語られていた復活の難しさと待望論の多さを知ってはいたので、興奮も感じました。そして番組終了後のネットのニュースや視聴者の反応から、歴史が動いた瞬間に立ち会えたことへの誇らしさと優越感を得ました。1週間前若林の結婚発表が行われたオードリーのANNをその日に限ってスルーしてしまった後悔の穴を埋めてくれただけでした。先述のように、その感情は他の人の語りに触発されて生まれた感情であり、僕自身から湧いてくる感動はそこまで大きくありませんでした。だから次の日の僕に残った感情は「もっと早く生まれてたらより大きな感動を体験できたのに・・・」という寂しさでした。一緒になって喜びを分かち合いたくても「お前は昔を知らねぇだろ」というツッコミを自分自身にしてしまっていました。

 その後その番組だけでは終わらず、THE MANZAIなど年末の大特番に続けて出演し、世の笑いファンに完全復活を印象づけました。そしてそれらのコンビでの出演は、昔のアンタッチャブルを深く知らないから僕だからこそ味わえる感動をもたらしてくれました。

 それは

「初めて触れるザキヤマの人間味」

に対するものでした。

お笑い番組を好んで見るようになったころから、僕にとってのザキヤマは、「ロンドンハーツ」でカンニング竹山をイジりまくり、「アメトーーク」のひな壇で絶妙な角度からヤジを飛ばし、「スクール革命」をはじめとする情報バラエティでいちばんおもしろい大喜利回答をする、芸能界イチのひょうきん者であり、一歩引いてみれば「お笑い偏差値MAXのボケモンスター」でした。先日のロンドンハーツで行われたイメージ調査でも「面白い」、「いつもふざけている」といったところに票が集まっていたことから、僕だけの印象ではないと確信しています。

しかし復活後の柴田との共演でザキヤマが漫才をするときに見せる表情からは自分のボケを最高の相方にツッコんでもらえる喜びがあふれ出ているように感じます。そして本人はボケのつもりで言っているであろう柴田の芸人としてのハイスペックぶりへの言及も、愛と嬉しさに満ち溢れているように見えてしまいます。それは、これまですべての局面でふざけ倒して、能力の高さが故に僕みたいな若い世代の視聴者が感じることのできなかったニンの部分が、売れてない時代を共にしてきた相方によって引き出されたからに他なりません。

 昨今、お笑いタレントは番組を盛り上げる潤滑油としてだけでなく、彼ら自身の人生ドラマを楽しむという商品価値を持ってくるようになりました。しかし、苦楽を共にした相方とともに共演することが長年なかったザキヤマはそういった一面をあまり見せてこなかったのではないでしょうか?去年ロンドンハーツ内でくっきー!(当時・くっきー)と対談していたときに自ら口を開き、見たことのない顔をしていました。思えばそういった方向性の転換はこの復活を示唆していたのかもしれません。

これから先はボケマシーン・ザキヤマとしてだけではなく、アンタッチャブルのボケ・山崎弘也として彼を愛せること、ただでさえ最強だった一人の芸人の第二形態を目の当たりにできること、この時代に生まれた喜びを日々かみしめています。

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