見出し画像

台湾鉄路紀行 第二日後半(新竹~台中)

   内湾線

 新竹(シンジュー)駅の改札は自動改札であった。出口に立っていた係員にスマートフォンの画面を見せて「要帶走(ヤオダイゾウ)」と告げると、そのまま切符を自動改札機に入れなさいという仕草をした。はたして切符はそのまま機械から出てきた。高鉄(台湾新幹線)の自動改札機は試用済み切符が回収されずに出てくる仕組みだというから、やはり台鉄の自動改札機も同様なのかもしれない。何はともあれ、莒光号(ジュークアンハオ)の切符は無事に手元に残った。
 新竹駅の駅舎は台鉄の中で現存する最古の駅舎だという。日本統治時代に造られた洋風の駅舎なのだが、ゆっくりと見学している時間はない。莒光号が遅れてしまったために内湾線(ネイワンシェン)との乗り換え時間は10分しかない。私は急いで窓口へ向かった。
 窓口は幸いにも空いていた。
「ネイワンシェン、フリーパス」
 そう告げて100元札を出した私に中年の駅員は一瞬、間(ま)を置いて、こう言い直して準備を始めた。
「ネイワンシェン、ワンデーチケット。オーケー」
 よくよく考えてみれば、フリーパスとは日本の鉄道じみた呼び方かもしれない。鉄道の自由乗車切符であるのならフリーチケットの方が適切だろうし、ワンデーチケットと呼んだ方がより中身を理解しやすい。そんなことを思いながら「内湾線・六家線 1DAY TICKET」を手に入れた。値段は95元(約340円)。二つの路線が乗れるのだからお得である。表面には列車や風景の写真がカラープリントされ、裏に路線図が書かれてあった。
 さっそく、一日乗車券を手に改札に向かうと、例によって黄色のジャンバーを着た係員がいる。新竹駅の入口担当者は女性であった。私の切符は自動改札機は通らない。切符の日付を確認した係員は自動改札機の横にある仕切り戸を開け手招きをした。そして、内湾は竹中(ジュージョン)で乗換だということを日本語を交えて教えてくれた。知っている情報ではあるけれど、彰化駅の改札と窓口にやや気圧(けお)されていた私には、そんなささやかな親切でも有り難く思える。
 内湾線の乗り場は一番端のホームであった。ステンレスの車体に、正面は青地に白いラインが入っている。車内はロングシートの通勤型電車で、意外にも結構席が塞がっている。14時29分、列車番号1744次の列車はゆっくりと新竹駅を離れていった。
 隣の北新竹(ベイシンジュー)までは縦貫線と並走した列車は、縦貫線と分かれると右にカーブしながら河岸段丘のような所に出て、やがて高架線となった。新竹の町の中心部からは離れ、車窓はすでに郊外の田園地帯の眺めである。しかし、徐々に沿線に建物が密集し始めると、14時42分に竹中(ジュージョン)に着いた。中層のマンションもあり、郊外の少し開けた町といった印象の高架駅である。新竹駅の係員が言っていたように、列車はここから六家線(リウジャーシェン)に入って六家に向かうので下車する。
 竹中は二面三線のホーム構造で、六家行きのホームから階段を下りて隣のホームに内湾(ネイワン)行きの気動車(ディーゼルカー)が停車している。気動車は二両編成で、一両は黄色地にオレンジのラインの入ったステンレス車体だが、もう一両はラッピングが施されている。どうせ乗るのならばと、私はこのラッピング仕様の車両に乗り込んだ。
 青とグレーの木板をイメージしたような外装を施されたこの車両は「山歌列車」と命名されたラッピング車両である。窓には漢文詩が貼られ、車内の壁も同様な内装となっていた。
 調べてみると、客家(ハッカ)歌手の黃連煜の「山歌一條路」の歌詞であることがわかった。内湾線の沿線には客家の人たちが多く住んでいるという話は知っていた。客家はかつて中国大陸の中原あたりに住み、戦乱から逃れるように南へ移民してきた人たちである。その中から台湾へやってきた客家の人たちもいた。住みやすい平地には、既に大陸の福建から移ってきた人たちが住みついていた。客家の人たちは山地に住みついたのである。
 10分の乗り換え時間で内湾線1822次は竹中を発車した。列車は竹中を出ると高架から地上になり、畑の中を走り始める。新竹漁港へ流れ注いでいる頭前渓という川が左窓に現れ、山並みが近づいてきた。車内はロングシートなので旅情は乏しいが、窓に書かれた漢文詩が山の風景と重なり、のどかな情景を作り出している。
 沿線で一番大きな町である竹東(ジュードン)はセメント工場の町であった。内湾線は石灰石輸送のために建設された路線である。竹東を出ると左に見えていた山並みは更に迫り、にわかに車窓はローカル線の様相を増してきた。横山(ホンシャン)を出て頭前渓を鉄橋で渡ると、低い山麓を走る風景となる。
 かつて石灰石を運ぶための貨物線が分岐していたという合興(ホーシン)のホーム脇には青い旧型客車が留置されていた。カフェとして利用されているそうである。脇に立つ駅舎も瓦屋根の古いもので趣きがある。何人かの観光客が下車していく。利用者の減少で廃止が検討されたこの駅は、有志による運動によって廃止を免れ、こうして観光駅として存続しているのだった。
 合興からは渓谷の斜面に沿うように列車は走り始める。トンネルを抜けると、そこは終点の内湾(ネイワン)であった。内湾駅は小さな駅前広場より二段ほど高い所に駅舎を構えていた。川に寄り沿って山が両側から迫り平地を狭くしている場所に、ささやかな集落が形成されている。
 15時33分に到着した列車から下車した私は、駅前から横に延びる細い通りを歩き始めた。まずは右に向かう。
 通りはコンクリートの古い建物が並んでいる。土産物屋が茶葉を売っていたりする景色の中に郵便局もあり、山の村の集落の日常が観光地の眺めと調和している。日本の温泉地を思い出す。そんな風景である。
 内湾戯院という名の、映画の宣伝看板を掲げた古い建物がある。映画館を改装したレストランで、客家料理も味わえるのだと後で知った。
 駅前はアイスクリームを売る店などもあり、観光地の色が漂う景色であったが、歩いていくほどに餅を売る店や小物を売る店も現れる。建物の二階部に掲げられた各店の看板は黄色やピンクや赤と彩色が使われ、古びた町並みを明るく演出している。店先に風呂敷を担いだ男のオブジェが立っている。何を意味しているのかはわからない。店の看板に「客家美食」とあるから客家料理の食堂のようだ。
 色の落ちたごげ茶色の板戸の玄関を持つ店もある。曇りガラスなので中は覗(うかが)えない。店先で犬が横になっている店もある。流れる時間がのどかに思えてくる。ローカル線の終着駅にふさわしいとも思える。
 やがて通りは尽き、小さな川を渡ると内湾線の線路が道より高い所に通っていて、そこを折り返し列車が走り過ぎていった。
 通りを戻って駅前を過ぎ、今度は左側の通りを歩いてみる。右の道と同じように土産物屋が並び、食堂もある。昨夜の寧夏夜市(ニンシャーイエシー)で嗅いだ臭豆腐(チョウドウフ)の匂いが風に乗って漂ってくる。道の先に屋台が並んでいる。その向こうに山並みがそびえる。道はゆるやかな上りとなった。
 通りの先にある広い交差点に出ると、その先に川に架かる大きな橋があった。橋からは吊り橋が見える。交差点にはセブンイレブンも立ち、観光客で賑わう一角であった。川を眺めた私は通りを戻り、屋台で何かを食べてみようと考えた。大きなソーセージを串に刺して焼いている屋台があった。彫の深い顔立ちの女性が手持ち無沙汰に立っている。一本35元のその串を買った私は、それを持って内湾駅の駅前広場のベンチに座って食べた。やや甘い味付けが施された歯応えのあるソーセージであった。

 16時47分発の列車番号1827次は二両とも山歌列車仕様となっていた。帰路に就くにはまだ早い時間だからか、車内に観光客の姿は少なく空いている。行きに乗った列車と異なり、この列車は新竹まで直通する便利な列車だが、私は新竹まで行かずに先ほど乗り換えで降りた竹中(ジュージョン)で下車する。
 17時28分、竹中は夕方の空となっていた。曇っていた空は途中の竹東から明るくなっている。明日もいい天気かもしれないと思う。
 先ほど内湾行きに乗り換えた時には気が付かなかったが、ホームに黒いクマのようなキャラクターのオブジェが鎮座していた。どうやらこの駅のマスコットキャラクターらしい。こういう演出は楽しいもので、観光路線として活用されている内湾線ならではといえる。

   六家線

 階段を昇降して隣のホームに出て六家(リウジャー)行きを待つ。竹中(ジュージョン)から六家までの六家線(リウジャーシェン)という全長3・1キロの短い路線に乗るためである。
 六家線は2011年11月11日に開業した新しい線で、台鉄(タイティエ)の新竹(シンジュー)駅と高鉄(カオティエ)(新幹線)の新竹駅を結ぶことを目的に造られた路線である。この路線の開業を機に内湾線は竹中まで電化され、新竹と六家の間を気動車ではなく電車が走るようになった。先ほど新竹から竹中まで乗ってきた列車がまさに電車である。
 ホームで列車を待つ人の数は少なかったが、やってきた17時43分発の六家行き1788次の車内はそれなりに乗客がいた。高鉄に乗り継ぐ客というより六家駅周辺の住民、そんな出で立ちの人が多い。
 六家線は途中駅がないから5分で到着する。高架を走る列車から見える風景はニュータウンであり、思いのほかマンションが多い。ホーム一面二線の六家駅の隣に、一段高い高架で高鉄新竹駅が見える。
 高架下の改札へ降りる階段は壁がなく透明の仕切りがあるだけなので、階下の駅前広場が見渡せる開放的な造りとなっていた。改札で一日乗車券を見せて外に出ると、そこには広々とした綺麗な芝生広場がマンション群を背景にして存在していた。通路を歩いて隣の高鉄新竹駅に向かうと、高い天井吹き抜け構造の駅構内へ繋がる。
 高鉄は台湾の新幹線といえる路線で、台北駅の東にある南港(ナンガン)から台北を経て西部台湾の主要都市を結びながら台湾第二の都市高雄(カオション)にある左営(ズゥオイン)までを結んでいる。使用車両は東海道山陽新幹線の700系をベースに開発された700T系という車両である。
 高鉄は12両編成で、そのうち台北寄りの10号車から12号車が自由席となっている。台鉄の指定席列車とは異なり、高鉄には自由席が設定されているのだ。このあたりも新幹線流というべきか。更にいえば、グリーン車にあたる商務車という車両も1両連結している。
 さっそく自動券売機に向かい、これから乗る高鉄の自由席券を買うことにした。買い方は以下のとおりである。
・券売機の上に表示された、機械が対応する支払方法を確認して機械に向かう。支払方法は、信用卡(クレジットカード)、金融卡(キャッシュカード)、現金である。
・画面上の赤い開始ボタンをタッチする。
・券の種類を選択。自由席は一番上。ちなみに指定券はその下である。
・片道なら今日單程票、往復なら今日去回票を選択。
・駅の一覧が出るので乗車駅を選択。続いて降車駅を選択。
・購入枚数を選択する。ここまで完了すると確認画面が出るので間違いがなければ確認をタッチする。
・支払方法を選択して料金を支払う。
 このような流れになっている。私は新竹から台中(タイジョン)までの自由席券を購入した。金額は395元で、日本円に換算すると約1400円。新竹から台中までは93・2キロで、東海道新幹線の東京~熱海間とほぼ同じ距離だからお得感は強い。高鉄の切符は白とオレンジのデザインのプリペイドカードのような形をしている。
 高鉄は最高速度300キロで南港から左営までの350キロ弱の距離を、最速約一時間半で結ぶ。2007年の開業以来、順調に乗客を増やしてきた。台北から台中までの間は混雑しているので自由席だと座れないこともあるという。
 切符を買っている間に17時56分着の列車がやってきた。走れば間に合う感じだが、せっかく訪れた高鉄駅であるから、慌てずに駅を眺めながらホームに向かう。
 高い天井に少し照明を落とした空間が構内に広がり、非常に落ち着いた雰囲気である。高鉄に乗る人は観光客とビジネス客が多いのだろうから、駅構内の雰囲気は在来線である台鉄駅よりも落ち着いた雰囲気を演出しているということだろう。今日の午後に窓口で切符を買った台鉄の新竹駅とはまるで違う世界であった。台鉄駅は大衆の鼓動と呼吸が構内に満ちていた。駅前広場から吹いてくる湿気を少し帯びた風が、扉がない駅舎内に入ってきて構内の待合ベンチに町の薫りを届けてくれた。そのような空間は高鉄駅にはない。あくまで、よそ行きの服を着で胸を張る。そんな気高い駅の姿がそこにある。
 高い天井に向かって伸びていくかのような、開放的で長いエスカレーターに乗ってホームに出ると、空はすっかり夜の色になっていた。ホームにはホームドアはなく、列車を待つ人の数もそれほどいない。白とオレンジの車体色の流線型が少しずつこちらに近づいてきた。18時22分発の列車番号609次の左営行きはゆったりとホームに入り、揺れもほとんどなく滑るようにホームを発車していく。車内は予想に反してさほど混んでおらず、出入口に近い二人掛け座席に腰を下ろした。
 日本の新幹線が基となっているから、車内の内装も雰囲気も日本に居るかのような錯覚をおぼえるが、聞こえてくる案内放送の台湾国語で高鉄に乗っていることを実感する。速度は定かではないが、列車は灯りの少ない土地を快走し、18時45分に台中に到着した。

   台中

 高鉄の台中(タイジョン)駅は台中の中心部から離れている。新竹(シンジュー)もそうであった。新竹の場合は六家線(リウジャーシェン)という高鉄連絡鉄道を建設して利便性を上げていたが、台中の場合は台鉄西部幹線上に駅を設けて対応している。駅名は新烏日(シンウーリー)という。この駅は午前に自強号(ツーチャンハオ)の車内から見た。周囲は開発途上といった感じで草地ばかりのような駅であった。
 台中駅はさすが高鉄の主要駅だけあって多くの乗客が降り、構内も広い。例によって天井は高く、照明も控えめであるからか、空港ターミナルビルに居るような気分である。構内には売店や飲食店がいくつも並んでいる。
 高鉄の自動改札機は台鉄と同様に使用済の切符が出てくる仕組みなので受け取って改札を出て、店舗群を抜けていくと上に「台鐵」と書かれた案内表記があった。それに従い右に向かうと、その先に大きなLED式列車案内板と、その下に並べられた自動改札機が見えた。新烏日も高鉄台中と同様に照明を少し落とした落ち着いた佇まいの駅であった。
 券売機で台鉄の台中までの切符を買う。15元という日本円に換算すれば54円ほどになるこの切符代の安さも、一日台鉄に揺られているうちに身についてきて、安いという感慨も薄れつつある。買い物に於ける物価の高低を日本円で考えることなく、台湾の感覚で消費していけるようになってきているようだ。
 階段でホームに向かって下りていくと、階段の横に壁がないためかホームが開放的に見えた。夜空の下、うっすらと灯りに照らされた一面のホームが、階段を下りていくごとに夜景として浮かび上がってくる。列車を待つ人の数は意外にも多いようだ。
 やってきた区間車(チュージェンチャー)3218次は19時ちょうどに新烏日を発車した。区間車とは台鉄に於ける普通列車のことで、この列車は通勤型のロングシートであった。車内は座席がほとんど塞がっているので、私はドア前の区画の中央部に立つポールに寄りかかり、窓の外に過ぎていく夜景をぼんやりと眺めた。

 19時10分に台中に到着した。大きなドーム型屋根に覆われた高架駅である。自動改札機の前に女性駅員が立っている。ここでも「要帶走(ヤオダイゾウ)」と表示されたスマートフォンの画面を見せたが、駅員はそのまま通ってくださいという仕草を見せた。明日からは自動改札機では気にすることなくそのまま出札し、出てきた切符を持ち帰ろうと思う。
 今夜の宿は駅から近い。所在する東口は西口と比べて賑わいは落ちるようで、駅前を照らすネオンはさほどでもない。東西連絡通路を使って西口にも出てみたが、やはり西口の方が店は多いようだった。
 台中の駅舎は近年新しいものに切り替わった。駅前広場はまだ工事中で歩きにくいが、西口の駅前広場は随分と広い空間が確保され、そこがバス乗り場などになっているようだ。そして、1917年に開業したという煉瓦造りの二代目駅舎も保存がなされたから、今後は新旧の調和がとれたターミナルとして親しまれていくことだろう。
 ホテルは想像よりずっと綺麗なものであった。チェックインの際、この旅で初めて検温を要求されて耳に体温計を付けて計られた。検温は瞬時に終わり、フロントマンが35・9と表示された体温計を私に見せてくれた。

 部屋に荷物を置き、再び台中駅を訪れて西口に出る。台中は台湾第三の都市であるからか市街地は広く、駅前に多くの商業施設が集約されている訳ではないようだった。色々と見て回ろうとすると時間がかかりそうな規模の市街地であった。台中には台中第二市場という百年以上の歴史を持つ市場があり、大衆食堂も軒を連ねているという。古い建物は好きだし、そういう所で食事をするのは楽しそうではある。行ってみようと思い、インターネット検索をしたのだが、市場という場所柄だろうか、この時間ではもう遅いようで店は閉まり、夕食を食べられそうな施設ではなかった。とりあえず町を歩き始めることにした。
 私は駅前をあてもなく歩いている。市街地の中に緑川という名の小川が流れている。川辺は歩道として整備され、周囲はライトアップされている。川辺から階段をつたって女性が一人上がってきた。手にはごみ袋を持っている。川の清掃をしていたのだろう。こんな夜でも清掃を行い、町の美化に努めているのだ。思えば、ここまで利用した台湾の公衆トイレはいずれも綺麗であった。歩道も駅も綺麗だった。こういう人たちの存在があってこそなのであろう。
 駅前から延びている通りを歩いているうちに、徐々に繁華街らしい眺めとなってきた。並んでいる店の中には日本でもおなじみなチェーン系飲食店も少なくない。歩いているうちに空腹となってきたので、とにかくご飯が食べたいと通りに面した店に入ってみることにした。日本にもあるようなチェーン系ではないが、店構えはファストフード風な、ようするに台湾のチェーン系飲食店なのだろう。
 台湾では飲食物の注文は、注文票に表記された品名にチェックを付けて店員に渡す方法が主流と聞いていた。書かれてある品名は台湾国語だから、それに備えてスマートフォンに翻訳アプリを入れてきた。カメラをかざすと台湾国語が日本語に変換されて画面に表示されるというアプリである。
 だが、この店は違った。注文票ではなく、レジに置かれたメニュー表を見ながら注文する形式である。カメラをかざして…とやっている場合ではない。メニュー表の一番上に表記された品名に牛肉と飯という文字があるので、それを注文することにした。店員の女の子がメニュー表を指して何やら告げた。二度聞きしたが勿論意味は理解できない。どうやらサイドメニューが付いてくるらしい。メニュー表の下に、その品目が写真付きで記載されている。私はサラダのような小皿を選択し、これもまたセットで付いてくるらしい飲み物はコーラを選んだ。喉が渇いているのだがビールは選択肢に表記されていない。アルコール類そのものがない店であった。
 145元を払って席に着き、待つこと数分、運ばれてきたのはカレーライスであり、小皿はごぼうの細切りにドレッシングを和えたものであった。カレーに入っている牛肉は充分すぎるほど煮込んであり美味しかった。
 少し食べ足りない気がする。昼食が小食だったせいだろう。ホテルの先に向かっていくと夜市があるらしいのだが、道は駅から遠ざかるほどに暗いものとなったので折り返した。
 駅とホテルの間にファミリーマートがあった。そこに戻って、私はATMで3000元をキャッシングし、今夜も35元の台湾ビールを買い、そして49元のクッキーを買ってホテルに帰った。
 ホテルの部屋は狭く、狭いゆえにベッドは頭上に設けられたロフト部にあり、階段で上がっていく造りとなっている。狭いのは部屋だけでなく、風呂も同様で浴槽はなく、要するにシャワールームとなっている。
 風呂上りにテレビを点けてみる。昨夜はテレビを見ていなかったので台湾のテレビ番組を観るのは初めてである。チャンネル数がとても多く、どうやらジャンル別にチャンネルが分かれているようであった。バラエティ番組の作りなど、日本のそれと少し似ている。ニュース番組では日本の番組の映像を流しながら天皇誕生日を報じていた。
 ニュース番組は中文字幕つきである。英単語の部分はアルファベット表記だ。日本におけるカタカナのようなものがないのだから当然だが、この方が英語の発音が自然に身に付きそうに思える。そんなことを思いながらチャンネルを変えていると、やがてアニメが表示され、日本語の歌が聞こえてきた。「ちびまる子ちゃん」であり、番組内は台湾の声優によって吹き替えられている。時計を見ると十時半になっていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?