台湾鉄路紀行 第二日前半(台北~新竹)
第二日 (台北~台中)
台北駅
台湾にやってきて最初の朝を迎えた。ホテルは狭いながらも快適で、よく睡眠をとることが出来た。バイキング形式の朝食で私は野菜を多めに摂り、月曜の朝の喧騒に包まれる台北(タイペイ)の街へ向けてホテルを出た。
南京西路(ナンチンシールー)の交差点はスクーターが連なり、歩道を行き交う人々も朝の顔で街を歩いていく。キャリーケースを引きずり暢気な顔で歩いているのは私くらいであった。
台北MRT(地下鉄)の中山(ジョンシャン)駅は通勤客で賑わっていた。悠遊卡(ヨウヨウカー)を自動改札機にかざして入場する。購入時200元がチャージされていたが、160元は桃園(タオユェン)MRTで台北市内に向かう行程で使ってしまった。残額が心許(こころもと)ないので、昨夜中山駅へ向かう途中に乗り換えた地下鉄の北門(ベイメン)駅で200元チャージしている。
私はこれから台北駅に向かう。中山駅から台北駅まではMRT淡水信義線(タンシュイシンイーシェン)で一駅なので初乗り運賃20元である。
電車は8時07分に中山駅を出た。車内の混雑はそれほどでもないが、席はすべて塞がり、立客があちこちにいる程度には混んでいる。台北MRTの駅ホームはホームドアが完備されている。最初の路線が開業したのが1996年だから駅構内の設備が新しめである。
車両は下に向かうほどに幅が広がっていく形をしているので、どこかユーモラスな顔つきの電車で、ドアも日本の地下鉄車両と比べて幅が広い。ICカードではなく現金で乗車した際は切符ではなくトークンを自動改札機にかざして乗車する仕組みであったり、座席はプラスチック製であるなど、色々と日本の地下鉄とは違う仕様である。電車の走る向きも日本とは異なり右側通行だが、これは自動車に倣ったものだろうか。台湾の道路は右側通行である。
車内放送も多言語対応で、台湾国語、英語、台湾語、客家(ハッカ)語で次の駅名をアナウンスした放送が流れる。そして、主要駅では日本語のアナウンスも流れている。
「次はタイペイ駅です」
中山から3分で台北車站(タイペイチャージャン)に到着した。車站とは駅のことで、MRTに対して台鉄や高鉄(新幹線)の駅があることを示している事はすでに触れた。ちなみに、鉄道駅は火車站(ホーチャージャン)と呼ぶ。
人の流れに乗りながら改札を抜けて出口に向かっていくと、案内看板に「台鐵」の文字と台湾鉄路管理局のマークが見えた。デフォルメした「台」の文字の中央にレールの断面を描いた青いマークで、この先も随所でこのマークを頼りに歩く機会が幾度となくあることだろう。
乗る予定の台鉄の列車の時刻までは30分以上ある。台鉄の切符売場に辿りついた私は、まず指定券を買うことにした。台鉄の列車で指定席制を採用している列車には名称に号の文字が付してある。列車名は日本のように方面を区別するための愛称ではなく、種別を意味するための名称となっている訳だ。
これから私が乗ろうとしている列車は特急に相当する「自強号(ツーチャンハオ)」という列車であり、新幹線を除いた在来線では、この自強号がもっとも高い料金を乗車時に必要とする列車である。その特急の指定券を今から買うことにする。
台鉄の指定券の駅での購入法は二通りあり、ひとつは窓口で駅員から買うことである。これは言葉が頼りない私のような者にはハードルが高いが、幸い台湾は漢字圏であるから筆談でどうにかなるだろう。そして、もうひとつは指定券用の自動券売機での購入である。今回はこちらを利用してみることにした。
指定券の自動券売機はタッチパネル式になっている。操作順を示すと以下のとおりとなる。
・画面上の三つの項目の中から「購買當日票」をタッチする。これは当日の切符を購入するという意味である。
・画面が駅名一覧に切り替わる。画面の上に地域別の選択タブがあるが、これから私が向かうのは中部なので「中部」をタッチする。そうすると中部の駅一覧が表示される。そこから降車駅をタッチする訳だ。私は彰化(チャンファ)をタッチした。
・次に画面が列車の選択に変わるので乗りたい列車を選んでタッチすると、往復か片道かの選択画面に変わる。片道なので「購買單程票」をタッチする。
・購入枚数の画面になるので成人の1を押す。会員がどうかを聞いてくる。非会員なので「非會員購票」をタッチする。
・座席を選択する画面になる。機械まかせにする場合は「電腦劃位」、自分で席を選びたい場合は「自己選擇」をタッチする。私は窓際に座りたかったので後者を選んだ。そうすると機械が空いている座席を示してくれる。「窗邊」は窓側、「走道」は通路側であるのは表示でそれとなく理解できるが、席の番号の表記が独特だ。数字の後に付く字の、車は号車、號は座席番号を意味する。
そこまで完了すれば、あとは確認画面と支払画面だけである。支払は現金とクレジットカードが選択できる。台北から彰化までの自強号の料金は415元であった。日本円で1500円弱。乗車時間は二時間半ほどだからとても安く感じる。
ホームにすぐ向かいたい気もしたが、これから六日間の台鉄による旅の開幕であり、私は台鉄で台湾を一周しようと考えている。その開幕の場として台湾一のターミナル駅である台北駅の駅舎を眺めずに素通りする訳にはいかない。私は指定券をポケットに入れて地上に出た。
私が出たのは南口であった。昨夜宿泊した中山のホテルの位置は台北駅より北にある。南口は店が建ち並び、なかなか面白そうな所に思える。私は振り返って駅舎を仰ぎ見た。地上六階建ての堂々たる駅舎で、巨大な石造寺院の如く、青空に向かってそびえて立っている。今日は快晴である。駅舎を広角で眺めようと駅前広場の方に向かって後退すると初夏を思わせる日差しが私を照らした。
駅舎の中央部は吹き抜け天井となっている。それを見てみたかった私は一旦一階通路を抜けて北口に出たあと、中央部に向かった。そこは地面も頭上も広々とした空間であり、柱にはデジタルサイネージが取り付けられて広告が流れている。このスケール感はホテルやホールでは出せない広さであり、ターミナル駅ならではの異空間という他ない。
自強号
台北(タイペイ)駅は台鉄と高鉄(新幹線)で二つずつのプラットホームを持っている。台鉄は国営で高鉄は民間運営なので切符売場も改札口も異なっているが、プラットホームは身を寄せ合うようにして位置している。
台湾ではプラットホームを月台(ユエタイ)と呼ぶ。日本では線路ごとに数字を振って何番線と呼んでいるが、台湾の場合はホームごとに数字が振られ、そこに線路ごとにアルファベットを振っている。私が乗る列車の到着するホームは3B月台であった。
隣の3A月台に各駅停車である区間車(チュージェンチャー)という列車が到着して乗客を降ろしていく。サラリーマンやOLよりも大学生風な人が多い。私の買った指定券は6号車の38番となっているので、6号車の乗車位置まで移動して列車を待つ。待つ間に自販機があったので、紙パックの桃ジュースを購入した。13元。日本円で50円もしないのだからとても安い。台湾は交通機関や飲食物の相場が日本と比べて安いというのが、ここまでの印象だ。
8時59分発、列車番号115次の自強号(ツーチャンハオ)が入線してきた。前後に機関車を連結して、その間に動力源を持たない客車を挟んだ「プッシュプルトレイン」というタイプの編成がやってきた。これは日本では採用例が非常に少ない方式であるので興味深く眺める。
正面が流線型となっている電気機関車に牽引されている中間客車は、グレー地に窓枠がオレンジで下部に赤いラインが二本引かれている。乗車率はなかなかよく、七割ほどの座席が埋まっている。この列車は台北の北東にある基(キー)隆(ルン)からやってきた列車で、台湾南部の屏東(ピントン)までの約400キロを走る長距離列車である。高鉄が開通した今は長距離輸送の需要は高鉄に移行したであろうが、短中距離の地域内輸送では自強号はまだまだ主役であるようだ。
さて、私の指定券は窓際の38番である。JRの特急だと数字とアルファベットで座席を表すのが通例だが、台鉄は数字なのである。37という数字の所に辿り着いた。通路側には先客がいた。列車が動き出す前に着席しようと、手持ちの小型キャリーケースを頭上の棚に置いて席に着く。
自強号は定刻8時59分に発車した。台北駅周辺は地下となっており、しばらくは車窓は黒い視界が続く。10分ほどで到着した板橋(バンチャオ)を出ると地上に出て高架を走り始める。窓外はビルやマンションが林立し、その景観に相応するように、樹林(シューリン)、桃園(タオユェン)と細かく停車していくうちに車内はほぼ満席となった。台北を出て30分ほど、特急に相応しくないほどの停車駅の数だが、それだけの需要があるのだ。
桃園市内に入ると畑が目立ち始め、ようやく都市近郊の風景となっていく。それに呼応するかのように自強号も速度を上げ始め、特急の名に恥じない走りっぷりへ変貌した。
台北駅のホーム自販機で買った桃ジュースはほどよい甘さで美味しい。台湾の茶は甘いと聞いているが、ジュースに関しては日本とさして変わらないのかもしれない。
乗る人ばかりだった車内は、10時11分着の新竹(シンジュー)で少し入れ替えがあった。切符を手にした青年が私に声を掛けてきた。どうやら座っている席を間違えているらしい。私の切符は6号車の38番で間違いない。だが、改めて窓の上の座席番号を確認すると、そこは37番と39番とある。慌てて荷物を持って通路側に出て通路を挟んだ隣の座席を確認すると、そこが38番と40番となっていた。
台北駅で乗り込んだ際、37という数字が見えたので、先入観で39を38と見間違えたのであった。台湾の列車の座席番号は通路を挟んで奇数と偶数で分けられており、この自強号の場合は進行方向左が奇数番号、右が偶数番号となっていた。初めて乗った台鉄列車に浮き足立っていたとはいえ、冷静さを欠く己の行動に呆れ、以後気を付けるべしと自身を諌めた。
この新竹駅からは内湾線(ネイワンシェン)というローカル線が出ているが、これは後で乗る予定である。私はこのまま自強号で南下する。
新竹市の辺りまで来ると線路も地平を走り、車窓にも田畑が広がっているが、新竹駅のような優等列車停車駅は駅周辺にマンションも目立ち、それなりに都市としての景観が広がっている。どうやらマンションが目立ち始めてくると、それが主要駅が近づいてきた印らしい。
今乗っている自強号が走っている路線は西部幹線という路線である。この西部幹線というのは複数の路線の総称であり、ここまで乗ってきた区間の路線名は縦貫線(ゾングワンシェン)(北段)となり、新竹の先19キロにある竹南(ジューナン)からは西部幹線は二方向に分岐する。ひとつは通称を海線(ハイシェン)(海岸線)と呼び、もうひとつの通称は山線(シャンシェン)(台中線)と呼ばれている。山線は内陸側を走る路線で、沿線に台湾第三の都市台中(タイジョン)があるため多くの優等列車は山線を経由する。この自強号も山線経由である。
山線という名が示すとおり、竹南からは低い山間の景色となり、構内に旧型客車が留置されていた苗栗(ミャオリー)を過ぎると山が迫ってきた。苗栗の南にある三義(サンイー)から豊原(フォンユエン)の北までの区間に旧山線という区間がる。その名の通り、山線の旧区間で、沿線には日本統治時代に造られた煉瓦のアーチ橋梁が立つなど見所のある区間であったという。1998年の新線切り替えによる廃線後の2010年に観光鉄道として一度復活した実績があるのだが、現在は休業中である。
自強号は少し山深くなってきたこの区間をトンネルと橋梁で快走していく。私の座る席は進行方向右側なので、左側にある旧山線の分岐や遺構は確認できなかったが、2024年を目標に観光鉄道として復活させる計画もあり、復活した暁にはぜひとも乗車してみたいと思う。列車は山を抜けると台中市に入った。
沿線にマンションが目立ち始めた頃合いに線路は高架となり、真新しい駅を続けざまに通過していく。11時18分、自強号は巨大なアーチ状の屋根に包まれた台中駅に到着した。ここで多くの下車があり、車内は幾分か空いてきた。次が降車駅である彰化である。
海線
11時34分、彰化(チャンファ)に到着した。竹南(ジューナン)で山線と分かれた海線とはここで合流する。彰化駅は地平駅であり、駅舎も1958年製とそれなりに古いものである。だが、駅舎をのんびりと見学している余裕はない。使用済み切符を頂き、この後に乗る列車の指定券を購入する必要があるのだ。ホームに降り立った私は改札へ向かった。ホームと改札は地続きで階段の昇降はない。だが、黄色のジャンバーを着た係員は「向こうへ行け」と手で示した。
駅の改札は入口と出口が分かれていた。これは台湾の駅ではよくある仕様だと知るのはこの先の話であり、それをまだ知らなかった私は係員の中年男性が指し示した方向に向かって半信半疑で歩いていく。やがて黄色い案内看板と共に出口が現れた。
私は今回の旅で買った切符は乗車記念として、すべて貰いたいと考えている。どうやって切符を貰えばいいのか? 台湾では改札付近に置いてある証明印を切符に捺すことで、切符を駅員に渡さずに下車できるという事は知識として知っていた。切符を領収証として持ち帰る人がいるからというのが理由である。だが、彰化駅の出口に証明印らしきものは見当たらなかった。そのような事態を想定して、証明印がなかった場合についても調べてある。私はその事例が記載された情報サイトの画面をスクリーンショットして保存してあった。
出口にも黄色のジャンバーを着た係員がいる。私はスマートフォンの画面を見せ、切符を指差した。画面には要帶走(ヤオダイゾウ)とある。「持って行きたい」というような意味である。係員は画面を見ると改札を指差した。改札は自動改札機となっている。そこに入れろということらしい。確か、高鉄の駅にある自動改札機は投入した切符が出てくると何かで読んだ記憶がある。台鉄も同じ仕様なのかもしれない。恐る恐る投入すると、やはり切符は取り出し口から出てきたのであった。
次は指定券の購入である。彰化駅には台北駅にあったような指定券券売機はなかった。つまり指定券は窓口で買わなくてはいけない。このような時のために用意をしてあった。持参の台湾時刻表に付いていた筆談購入用の申し込みフォーマットだ。これをコピーして持ってきていた。そこに次に乗る列車の情報を書き込む。日付、列車種別、乗車駅と降車駅、列車番号も添えたが念の為に彰化駅の発車時刻も併記した。
窓口の駅員は若い女性だった。私の書いた持参申し込み用紙を少し凝視すると無言で端末のキーを叩き、発行された切符を示して「183元」であることを教えてくれた。私は財布から100元札をとりあえず二枚出し、釣り銭が切りのいい額になるよう小銭を用意しようとしたが、まだ台湾の硬貨の形が完全に頭に入っていないからまごついた。
駅員は私の手元に散らばった小銭を一旦すべて引き寄せると、そこから必要な硬貨だけ残して私の手元に戻してくれた。
鉄道に揺られているだけならば、言葉が通じなくても自分の世界に籠もっていられるから問題はない。だが、何かを購入しようとすれば、そこに言語によるコミュニケーションが発生する。今はちょうど昼時であった。彰化は二つの路線が交わる駅だけあって駅前はそれなりに賑やかで、商店も揃っているように思われた。だが、昼食を買いに出かけるだけの積極的な気持ちは萎縮していた。駅弁でも売っていれば欲しかったのだが、あいにくそれらしきものは売っていない。駅構内で売店として営業しているファミリーマートに私は足を運んだ。買ったのはペットボトルのお茶とおにぎり二つ。合計で74元である。桃園空港の地下鉄駅で買ったICカード悠遊卡(ヨウヨウカー)で支払が出来るのだが、金銭のやりとりに慣れるために現金で払うことにした。今回の旅はそうしようと思う。
私は小銭入れを工夫することにした。荷物を繋いで鍵を掛ける小型チェーンを携行しているのだが、このチェーンの鍵を入れている小物入れを50元硬貨と10元硬貨を入れる袋として、小銭入れを5元硬貨と1元硬貨を入れる袋にした。これで計算がしやすくなり、支払も手早くできるようになるだろう。
空は少し曇っているが気温は高く、駅前広場に一歩足を運んだだけで暑さで歩く気は失せた。駅舎を眺め、写真を撮り、私はホームに向かった。これから乗る列車は海線の列車である。つまり、台北方向に向かって戻ることになる。次の下車駅は先ほど自強号(ツーチャンハオ)で通ってきた新竹(シンジュー)だ。発車時刻は12時23分。切符を貰うのに手間どったり、昼食を買ったりしているうちに、時計はすでに12時を回っていた。
私が乗る海線の列車は莒光号(ジュークアンハオ)という自強号の下に位置する列車で、急行に相当するものである。急行とはいうものの、車内設備はリクライニングシートであるし、停車駅が少し多いということで速度は落ちるものの快適そうな列車である。
台鉄の運賃制度は日本と異なっている。日本は距離に応じた運賃が基となっていて、特急に乗る場合は運賃に加えて特急券が必要となる仕組みだ。それに対して台鉄では列車種別ごとに運賃が定められ、駅の切符売場の案内にも各駅の切符代の表記は各種別の金額が併記されている。つまり、自強号と莒光号ではそれぞれの専用の切符を買う必要がある。
今、私が手にしているのはもちろん莒光号用の切符で、これ一枚で乗ることが出来るのだ。日本で特急に乗る場合は運賃の切符と特急券の二枚の切符が必要となるが、台鉄は一枚で済む訳だ。鉄道に疎い人にとってはこの方がわかりやすいのではないかと思うが、これは台湾は日本よりも鉄道網が単純で駅数も少ないから出来る方法なのだろう。ちなみに、台湾は九州と同じくらいの面積の島である。
駅の案内板は充実している。町の雰囲気も駅の造りも、どこか地方都市めいている彰化だが、列車の発着案内板はホーム上と跨線橋の両方に備えられ、しかもLED表示で次の列車の時刻と行先に列車番号まで表示している。
ということで案内板に従いホームにやってきたのだが、どうにもおかしいことになっている。私が乗る12時23分発の莒光号よりも後に彰化を発車する列車が上に表示されているのだ。どうやら莒光号は遅れているらしい。
山線に向かう自強号が発車していった。この列車に乗った方がこれから向かう新竹には早く到着するのだが、私は台鉄の全路線に乗るという目的に沿って乗車列車を選択しているので所要時間は問題ではない。問題であるのは、その乗るべき列車が遅れていることだ。
ようやく海線経由の莒光号が発着列車案内板の上部に表示された。表示は12時23分発となっているが、既に12時30分を回っている。やがて、青い車体色の機関車がやってくるのが見えた。莒光号は機関車が無動力の客車を引っ張って走る客車列車だ。日本では客車列車は観光列車の一部に残るのみとなり、こうして日常的に普段着感覚で走っている列車は無くなった。ゆえに、日本人旅行者からすればノスタルジーを感じる列車であり、台鉄の旅を味わいのあるものとしてくれる存在だとも感じている。もっとも、クリーム地に赤を基調とした車体色に、開かない窓とリクライニングシートの内装は自強号と似ているから、鉄道に興味のない人からすれば、ちょっと古い特急列車が来たような気分なのであろうか。
12時35分、12分遅れで列車番号510次の莒光号は彰化を発車した。車内はガラ空きだ。指定券に従い4号車に乗車したが、小銭を手元に手繰り寄せて指定券の支払いを済ませてくれた彰化駅の女性駅員が発行してくれた指定券は通路側の44番であった。空いているのだからと席を移動して海の方向の窓側に座った。
実は台鉄の優等列車(自強号や莒光号など)の切符は二種類ある。私が自動券売機や窓口で購入した座席指定された文字通りの指定券と、座席の指定を受けていない切符だ。後者は日本流に言うと自由席特急券となるが、台湾では自願無座と呼ばれている。無座とはいうものの、空いている席があれば座ってよい。そして、そこの席の指定券を持っている人が現れたら速やかに席を移動する。そういう仕組みとなっていて、先ほど乗っていた自強号でも、そういう感じで席を移っている人を何人か見かけた。思えば、座席番号を間違えて座っていた私も、その席の指定券を持って現れた青年からしてみれば、自願無座の乗客として映っていたのだろう。
指定券の自動券売機のない駅の窓口で指定券を買えば、このように空いている列車なのに通路側の席をあてがわれることもある。今後は空いていそうな列車に乗る場合は自願無座にして乗ろうと思う。
もっとも、今は空いているが途中駅から乗ってくる可能性もある。莒光号は安い料金で乗れる列車だから短距離利用も多いかもしれない。
列車は彰化を出ると左カーブして山線と分かれていく。草が生い茂る広々とした鉄道用地を走っている列車に、今度は右から別の線路が合流してくる。海線における彰化の隣の駅である追分(ジュイフェン)駅と山線側の隣の駅である成功(チェンゴン)駅を結ぶ成追線(チェンジュイシェン)の線路で、この短絡線については明日乗車する予定にしている。
莒光号は海線をひた走る。海線あるいは海岸線と呼ばれるこの区間だが、名前ほどには海は見えない。水田地帯を安定した速度で走る。海線も先ほど乗ってきた山線と同様に西部幹線に組み込まれている、いわば台鉄の本線といえる区間だが、列車本数では山線よりも少なく、それを納得させられるほどに沿線の民家も少ない。それでも、駅の周囲には中規模集落が築かれていたりするし、駅の造りもそれなりに本線の一部としての威厳を保っている。台鉄のプラットホームの屋根は平たい石造のものが多いので重厚に見えるというのも理由かもしれない。
さて、私は明日前述の成追線に乗らなくてはいけない。今日は一気に海線を乗り通すつもりだが、明日は僅か一区間だけの路線である成追線のために海線に深入りするつもりはない。彰化に近いどこかの駅で折り返してくるつもりだ。
候補として考えていたのは清水(チンシュイ)だった。清水には高美湿地(カオメイシーディ)という景勝地がある。大甲渓(ダージャーシー)の河口にある広大な湿地で、インターネットで調べるとバードウォッチの名所であるとも書かれてある。干潟となっている海沿いに三枚羽根の風車が立ち並んでいて、夕陽が映えそうな所でもある。
だが、調べてみると高美湿地は清水駅からやや離れており、バスなりタクシーを使わないと行けない場所のようであった。バスを使って行ってみようかとも思ったのだが、接続がうまくいかない。という事で、折り返し駅は車窓を見て決めることにした。
清水は想像していたよりは町であった。駅もそれなりに大きい。車内は変わらず空いたままである。昼下がりののどかな空気にまどろみそうになってくる。だが、窓外は清水を出たあたりから曇り始めた。
清水の次に停車した大甲(ダージャー)のホーム上には、黄色の飾りを付けた赤い中華提灯のようなものが見える。ホーム上の屋根を支える柱が御影石のようで、さして大きくない駅にしてはなかなか重厚な造りに興味を惹かれた。明日はこの大甲で折り返してみようと思った。
曇り空の下、窓外は完全に農村となった。空いているから、通路側の指定券を無視して海側の窓際に座しているが、私の座る席に指定券を持ってやってくる人は居ない。莒光号はひと駅ふた駅通過しては停車を繰り返し、窓外には相変わらず海は見えない。代わりに、三枚羽根の風車があちこちに立っているのが見える。位置的には海岸に近い所を走っているので、海辺の風車がよく見えるのだろう。桃園(タオユェン)空港に着陸するとき、窓下に風車が見えたが、それらの内のどれかが今見ている風車の中にあるのかもしれない。
空いているからか、外気が下がっているからなのか、冷房が少し寒い。トイレに足を運ぶと、随分と古びた構えのトイレであった。国鉄時代、そんな単語が頭に浮かぶ銀色のドアを開けると中は洋式トイレであり、和式を無理に洋式に改造したような古めかしさが漂っているが、真偽のほどは確かではない。
竹南(ジューナン)で山線と合流した頃、車内灯が灯り始めた。これから乗るローカル線は山間を走る筈だから天気が心配だが、莒光号は出来る範囲で快走している。彰化を出た時は12分遅れだったのを9分遅れまで回復して、新竹(シンジュー)に14時19分に到着した。
ホームに完全に停車した莒光号だが、折り戸式のドアは開かない。ドアの向こうで乗車を待つ人達が一歩列車に近づいた。察した私は折り戸に付けられた取っ手に手を掛けて引いた。ドアは少しの重みを伴って、ゆっくりと開いていった。国鉄時代という単語の似合う莒光号の客車は手動式ドアなのであった。