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2022 ベトナム・タイの旅⑦ ~バンコクとナコーンパトム~

鉄路との遭遇 ~2022年8月7日 バンコクとナコーンパトム~

   ナコーンパトム

 昨夜から鼻水が止まらなくなっている。もしや感染症にかかったのかと、深夜起き抜けの頭でネット検索をした。水っぽい場合はアレルギー性である可能性が高いそうだ。一安心する。この部屋にはアメニティが足りていないので、ずっとトイレットペーパーで鼻を噛んでいる。
 どうしてそうなったのかは原因は見当がつかないまま朝を迎え、アメニティが足りていない部屋には歯ブラシがなかったので、ホテルの近くの交差点にあるセブンイレブンに向かった。昨日ビールなどを買った店とは違う店だ。バンコク一泊目のフアイクァンもそうだったが、セブンイレブンがあちこちにある。
 45バーツという歯ブラシが高いのかどうかは判断が難しいが、想像以上に質のいい商品で満足した。今夜泊まるのは安宿だから、そこでも活躍しそうである。
 冷蔵庫から昨夜買っておいた朝食を取り出した。野菜ジュースと日本のランチパックのようなパンにクロワッサン風のミルククリームパンだ。ランチパックはパッケージにツナマヨネーズと英語表記がある。
 タイに来てからテレビを点けていなかった。元々あまりテレビを視る方ではないが、異国のテレビ番組を視てみたい。電源を入れるとニュース番組が流れてきた。ぼんゃりと眺めていると画面は突然草原などで歌を歌う民衆の映像に変わった。タイ王国の国歌だ。午前8時だったのだ。私は手を止め、まっすぐに画面と向き合い歌を聴き続けた。いろんな場所で国歌を歌う人たちの姿が映し出され、軍隊の映像やサッカースタジアムの観客席に広げられた巨大なタイ国旗の映像となっていく。今頃は駅などでも国歌が流れている筈だ。午前8時と午後6時に流れている。
 フアランポーンに泊まったのは、翌朝タイ国鉄に乗ってどこかに行こうと考えていたためで、行先は天気などを考慮して当日に決めようと思っていた。候補は三つある。
 北に向かってアユタヤに行き、レンタサイクルを借りてアユタヤ遺跡を巡る。
 西に向かってナコーンパトムに行く。世界一高い仏塔を見に行く。
 東に向かってチャチュンサオに行く。ピンクのガネーシャのあるワット・サマーン・ラッタナーラームと百年市場に行く。
 いずれも片道一時間半程度で最寄り駅に着ける距離だ。この中で、アユタヤは自転車で走るので暑い日は避けたかった。今日は窓から眺めたかぎり晴れでいる。チャチュンサオは時間をかけて回ることになりそうだから体力が必要だった。体調は悪くないが、先述したとおり鼻水が止まらないのが気になっている。そういう訳で三案の中で一番無理のない行程で行けそうなナコーンパトムを選択した。
 ホテルをチェックアウトした。エレベーターを降りると新館のフロントがある。自分が泊まった旧館のフロントに向かいかけると、新館のフロントマンから声がかかった。鍵を手にしてリュックサックを背負っている私に「チェックアウト?」と確認し、事はここで済んだ。どういう運営になっているのかはわからないが、これで大丈夫らしい。時代がかった旧館のフロントとロビーをもう一度見ておきたかった気分はある。
 乗車時間は長くないが鈍行列車の旅をするということで、昨夜立ち寄った駅の並びのセブンイレブンに行ってビールを確認した。確か朝は買えなかった筈だが、売っているのなら欲しい。だが、酒類の所にはシートが掛けられてあった。法律で11時から14時。17時から24時が販売時間となっているのだった。駅に向かう。
 国鉄フアランポーン駅は中長距離列車が発着する鉄道駅で都市電車は走っていないから、朝のラッシュといえるような混雑はないようで、今日もターミナル駅らしい悠々とした姿で構えている。ホーム入口の左側に窓口が並んでいる。そこに向かい切符を買う。今から乗る列車は3等車しか連結していない普通列車だから行先を告げるだけでよい。
 係員は慣れた感じの男性駅員だった。私の「ナコンパトム。チケットワン」という拙い尋ね方に「ナコーンパトム」と大きく返し、手際よく発券してくれた。切符はコンビニのレシートより少し大きく、コンビニのレシートより少し硬い紙で、小さくQRコードも印字されている。フアランポーンからナコーンパトムまでの3等車運賃は14バーツ(約五十三円)。国鉄は地下鉄に比べてかなり安い。乗車時間は一時間半、距離64・2キロ。ちなみに、東海道本線の東京から平塚が63・8キロだから、同じくらいの距離だ。一応書いておくと、東京から平塚の運賃はICカード使用で千百六十六円となる。
 ホームに出ると、私が乗る列車はもう7番線に入線していた。ホームは頭端式で線路は行き止まりとなっていて、そこに櫛形に並べられた各ホームの入口に発車案内の大きな液晶モニタが設置されているのでわかりやすい。表記はタイ語と英語だ。列車の行先は「Hua Hin」。乗り場は「7」。列車番号は「261」。列車種別は「Ordinary」。遅れは「00」。発車時刻は「9;20」。このような情報が表示されている。
 フアヒンというのは国鉄の南本線の駅で、バンコクの南方から突き出した長いマレー半島の入口にあたる位置にある港町だ。行ってみたい町だと思う。南本線はマレー半島を南下し、タイ南部最大の都市で「リトルバンコク」の異名を持つハジャイを経て、国境のパダンブサールでマレーシアのマレー鉄道と接続してマレーシア方面に鉄道で行くことができる。マレー鉄道を更に南下していくとジョホール海峡を渡り、シンガポールの入口にあるウッドランズという駅が終点となる。つまり南本線からマレー鉄道を乗り継いでいくとタイ、マレーシア、シンガポールと鉄道だけで移動する旅が可能なのだ。
 停車しているフアヒン行き列車は旧型客車を繋いだ編成で、昨日の夕方フアランポーン駅を訪れた際に見てきた各方面の普通列車がそうだったように、いくつかの形式の客車を混在させた編成だった。最後部の客車は貫通路の部分に布が掛けられて一応転落防止の対策が取られている。その最後部からゆっくりと客車を見ていく。
 最後部の客車はクリーム色に上下紫に黄色のラインが入った客車だったが、そこから四両は白と緑の客車になった。古さはこちらの方が上で、外板は少し色褪せていて窓も埃っぽい。ただ、こちらは両開きのドアが付いていて自動式なのかはわからないが今は閉まっている。対して再び現れた紫の客車の方はドアは左右ともに開いたままだ。私は前まで歩いてその紫色の客車に乗った。
 車内は軽く蒸していた。全ての窓が開け放たれている。茶色い座席に視線を向けると、それは木製で、細板を組んだ座席に茶色い塗料を塗って色付けしたものだった。つまりクッションはない。別の車両にしようかと思ったが、この野趣に富んだ客車が気に入って腰を下ろす。
 定刻9時20分、列車はゆっくりとフアランポーン駅を出発した。機関車が牽く客車列車というのは、自走ができない車両を牽いて走る形態なので、日本の客車列車の場合でいうと発車の際に機関車が動き出すと連結器を伝って各車両に強く引っ張られる衝撃がある。だが、タイ国鉄の客車列車にはそれがない。連結器に衝撃を和らげる部品を取り付けているという。
 長いホームが窓の向こうに過ぎていき、引き込み線が何本も並ぶ広い構内に出た。引き込み線には朝フアランポーンに到着したらしき客車が並んでいる。銀色の車体を紫で彩った客車は寝台車だ。どこから来た列車だろうか。寝台車はそこまで古い車両ではないが、そばには色褪せた側面を見せる3等客車の姿もある。長い距離を走ってきて休憩に入っている客車たちには貫禄がみなぎっている。熱帯を駈けてきた実績がそう見せているのだろうか。
 線路は街中に延びている。遠くには都心のビルも見えるが、沿線は傾いた小さな家が並び、中には壁にブルーシートが掛けられた家もある。踏切でもない場所を国鉄職員ではなさそうな人が歩行し、線路と線路が少し広がった場所にはテーブルや椅子が置かれて人がくつろいでいた。そんな光景が続いていく。
 街中を走っているから駅間距離が短い。走り始めて数分で次の駅に着く。駅に着く度に物売りの人が小さな籠を持って乗り込んでくる。現れる駅はいずれも、小さな駅舎の脇に通路のように細く低いプラットホームがあるだけの簡素なものだ。停車しているから駅だとわかるが、沿線を歩いているだけだったら気づかないで通り過ぎてしまいそうだ。そんな車窓がしばし繰り返される。列車の速度は非常に遅い。速度を上げられないのは理解できる。
 線路の周辺に貧しい人々が集まってくる理由を考えている。答えは出ない。そこしかなかった。そういうことなのだろうか。そんなことを思いながら景色を眺めていると、突然大きな踏切が現れ、大きな道路を渡っていく。バイクや車が多数停止し、その背景に昨日見てきたバンコクの都市風景がある。

 時間の経過とともに、窓外は都市郊外の風景になってきた。緑が増え、家と家の間が広がり、空が広くなってきた。そんな頃、列車の上を斜めに高架が横切り、空き地の広がる進行方向右手の上に並行し始めた。高架上には架線柱もある。高架の先には巨大なガラス張りの建物が現れた。その建物の横で列車は止まった。国鉄バーンスー駅だ。丸い屋根の下に一面だけの低いホームが延び、そこに数十人の乗客が列車を待っていた。全員がこの列車に乗る訳ではないようだ。なぜここに乗客が多いのか。それは隣にそびえる大きな建物が理由だろうか。そこにあるのは、私がバンコクに着いた夜にダークレッドラインから地下鉄ブルーラインに乗り換えた新しいバーンスー駅があるのだ。
 バンコクの市街をスローに走っていた列車は、郊外に出ると速度を上げた。車両が古いので速度は上げられないのではと想像していたのだが、そういう訳ではないらしい。かなり速度が出ている。70キロは超えている気がする。速度が上がるにつれて沿線から家が減り、代わりに草地や畑ばかりの風景となった。そして、駅間距離も長くなる。ようやくローカル列車めいてきた。
 速度が上がっても列車の揺れはそれほどでもない。遅い時もそうだった。タイ国鉄のレール幅は1000ミリで、これは日本のJR在来線の1067ミリとほぼ同じである。日本のローカル列車と比較して特に乗り心地が悪いという印象は持たなかった。人が何か不満を感じる点があるとすれば、それは冷房がないことと座席が木製で硬いことだろう。
 緑の中を走っていた列車の車窓に少しずつ町が映し出され、10時55分、定刻にナコーンパトムに着いた。手すりに掴まって、開け放たれたドアから低いホームに飛ぶように降りると、少し曇った空の下にそよ風が吹いたような感触があった。都会とは違う、ローカルな肌触りのある空気だ。タイ国鉄では発車の際に鐘を鳴らす。その音に送られて、列車はマレー半島を目指して南に走っていった。

 改札には駅員はいない。車内で車掌による検札があったので、切符の確認はそれで完了ということらしい。嬉しいことに私の手元に切符が残った。
 三角屋根を三つ出入口の上に乗せた小ぶりな駅舎を出ると、さして広くない駅前通りが延びている。そこに商店が並んでいた。私はトイレに行っておこうと考え、駅のトイレを探した。駅舎の脇にホームに入る小さな入口があり、そこを抜けると横にトイレがあった。ホームに接していたのだ。
 トイレの前におばさんが二人座っている。使用にあたっては有料ということらしい。「ファイブバーツ」だとおばさんが教えてくれたので5バーツ硬貨を渡す。ローカル駅のトイレにしては割ときれいに感じたので、これも有料効果という訳だろう。
 駅前通りに出た。道の先に大きな寺院が見える。目指すのはその寺院だ。ワット・プラパトムチェーディーというパゴダで、プラパトムチェーディーという全長120・45メートルの世界一高い仏塔がある。それが駅前から見えている。
 駅前通りをまっすぐに歩いていくと川があり、橋の先は商店が連なって門前通りの賑わいとなっている。果物をきれいに三角形に積んで売っている屋台がある。仏塔をイメージした積み方だろうか。入口を抜けて境内に入っていく。仏塔は巨大な鐘を連想する形で、その上にとんがり帽子のように塔が延びている。そして、仏塔の前には白いお堂があり、その中に大きな金色の立像がある。
 この巨大なパゴダはいつ建てられたのか。紀元前170年とも、四世紀頃とも言われる。インドから仏教がインドシナ半島に渡った最初の地と言われている。
 私は靴を脱いで階段を上がり、旅の安全を祈りながら金色の仏像に手を合わせた。

トンブリー

参拝を済ませ、階段の下にあるベンチで休憩した。さて、帰りはどうするべきか。先ほど駅にある時刻表で確認したところ、帰りは16時台の列車までないようだった。昼食をどこかで済ませ、バスでバンコクに帰ろうかと考えた。バスの行先について思案する。市内中心部まで行くバスに乗る必要はない。近郊のどこかで降りるのであれば一時間くらいで着きそうではある。
 私はスマホの地図アプリで帰りのルートを調べた。思い当たるバンコク市内近郊の地名を入れて検索してみる。ドンムアンはどうだろうか。空港に行くバスがあるかもしれない。昼間にダークレッドラインに乗って風景を眺めてみたい。だが、ドンムアン行きというバスはなさそうだった。だが、乗り継ぎで行くことはできるらしい。ナコーンパトムを12時00分発と出ている。よく見てみるとそれは鉄道だった。
 タイ国鉄に乗ってどこかの駅に出て、そこで地下鉄に乗り継げるようだ。スマホが示したルートは、その駅から地下鉄とダークレッドラインに乗ってドンムアンというルートだ。
 駅の時刻表にはない列車がある。半信半疑だが、確認してみることにした。12時までは10分ほどある。来たばかりでもうナコーンパトムを去ってしまうのは申し訳なく思うが、乗れなかったら、或いはそのような列車がなければ、もう少し滞在してバスで帰ればいい。昨日の運河ボートに乗りそびれた一件があるので地図アプリを全面的に信用していなかった。
 早足で駅に着くと、まずは時刻表を確認した。バンコク方面は私が乗ってきた列車の下に何か注意書きがあり、その下が16時台の列車となっている。やはり地図アプリは間違っていたのか?
 ホームに視線を移すと、向こうのホームに列車が停車していた。私は半信半疑なまま窓口に向かい、地図アプリの検索結果画面を見せて、国鉄から地下鉄へ乗り換える駅を指して「チケット」と告げた。四十代くらいと思われる駅員は首を捻っている。その表情からは首を捻る理由は読み取れない。「そんな駅はない」なのか。
 駅員は首を横に振った。どうやら駅員は英語で書かれた駅名が読めないのではないか。そう思い当たった。私は自分が行こうとしている場所を告げてみようと、「ドンムアン。ドンムアンエアポート、ステーション」と繰り返した。駅員は思い当たったように頷き、端末を叩いて40バーツの切符を発券してくれた。フアランポーンからは14バーツだったので随分と値段に違いはあるが、深く考えている時間はなかった。
 入口からホームに入る。駅と接しているホームは下り列車用らしく、停車している列車はその向こうのホームにいる。跨線橋はなく、構内を横断していく。一応線路に列車が入ってこないことを確認して低いホームから線路に下り、向こうのホームへ移った。
 停車している列車は旧型客車による編成ではなく、銀色のステンレス車体にオレンジと青のカラーリングが施された気動車で、両開きの自動扉から車内に乗り込むと間もなく発車した。
 車内は空いていた。購入した切符をようやく眺めてみると行先は「Thonburi」となっている。南本線の起点駅のトンブリー駅である。
 南本線の列車はフアランポーン駅に乗り入れているが、開業当初の歴史的経緯から路線としてはトンブリーが起点となっていて、先ほど私が乗ってきたルートでいうと、フアランポーンからバーンスーまでは北本線の線路で、バーンスーからタリンチャンという駅までが南本線の連絡線。つまり、タリンチャンでフアランポーン方面とこのトンブリー方面とで分岐している。
 私としては往復で違う区間に乗れた方が楽しいので、行けるものならトンブリー駅に行ってみたかった。駅員は私の言葉をどう解釈したのだろうか。「ドンムアン」を「トンブリー」と言っていると判断したのか。外国人が訳のわからないことを言っているから終点までの切符を発券しておこうと判断したのか。真相は不明だが、結果は納得できるものとなったのでよい。
 タリンチャンまでは通ってきた道である。往路は進行方向右側に座っていたので、復路も右側に座り逆方向を眺めた。緑に包まれた郊外だと思っていた風景は道路も見え、道路があるから家も点在し、バンコクが近づくにつれて家と家の間隔が短くなっていった。
 いつの間にかタリンチャンに着き、旧来からの南本線区間に入る。線路のそばまで家が迫り始めた。フアランポーンからバーンスー辺りまでがそうだったように、線路沿いに傾いた家が並び始める。そして、空から強い雨が降ってきた。
 旧型客車もそうだったが、今乗っている気動車も一段下降式という一枚窓で、冷房がない車両だから開け放たれていたから慌てて窓を上げて閉める。あちこちで乗客が腰を上げてその作業を行い、一段落すると外から聞こえていたディーゼルエンジンの音がくぐもったものに変わった。
 窓は埃っぽく、吹き付ける雨で景色が見えにくくなったが、こまめに市街地の小駅に停車していくのがわかる。私が切符購入時に駅員に説明しようとした駅も過ぎた。次が終点トンブリーで、到着時刻は13時05分。帰りは約30分ほど乗車時間が短かった。

 トンブリーは両面ホームが一面だけの小さな駅で、線路に下りて向かう駅舎も小さかった。ホームに掲示された時刻表を見ると一日十五本の列車が発車していて、行先はナコーンパトムが多いが、12時間10分かけてランスワンという町まで走る列車もある。そして、時刻表を眺めていて気づいたことがある。
 時刻表というものは基本的に発車時刻が早い順に掲載されている。少なくとも日本ではその書式に慣れ親しんでいる。だが、このトンブリー駅の時刻表を見ると、到着時刻を基準に並べられているのだ。その12時間10分かけて走る列車はトンブリーを6時20分に発車するが、時刻表の掲載順としては、12時55分のナムトク行きと18時00分発のナコーンパトム行きの間に掲載されている。ナムトクは映画「戦場に架ける橋」の舞台となった鉄道路線の終点で、トンブリーから4時間45分もかけて走る列車だから、その上に掲載されている列車は16時00分発のナコーンパトム行きだ。
 今に思えば、ナコーンパトム駅の時刻表も発車順ではなかったのかもしれない。
 トンブリーは駅前に市場が広がっていた。建物の中に業者が入っている市場ではなく、外の空間に簡易な造りの店を並べたローカル市場である。雨は少し小降りになってきたから、私は雨宿りをしながらこれから向かう地下鉄の駅の位置を地図アプリで確認した。道はまっすぐで、今乗ってきた国鉄の線路沿いを歩くようだ。
 道路沿いには家や寺院があり、車の通行もそれなりにあった。郊外の住宅地の趣きだ。そんな風景に、線路が寄り添ってくると様相は変わり、線路脇に簡易な造りの住宅が並び始めた。何かしらの商売を営んでいる家も少なくない。それは屋台であったりするし、2リットル入りの水のペットボトルを大量に置いて売っている家もあった。それぞれの住居区画は線路脇のぎりぎりまで設けられ、線路区画の空き地は物置などに利用されている。
 前方に高架が見えてきて風景が一変した。高架は地下鉄ブルーラインの線路らしい。郊外では地上を走るのだ。そして、高架の下には車線の多い道路が並行している。そこに、トンブリーからの風景そのままの国鉄線路が踏切で交差する。踏切で道路を渡った向こうが、ナコーンパトム駅で切符を買う時に私が示した駅だった。
 地下鉄ブルーラインのバーンクンノン駅にやってきた。高架駅で周囲にはマンションもあるが、商店は少ない。そろそろ昼食を考えていたが先に向かう。13時40分、電車はやってきた。高架でバンコクの下町を見下ろしながら電車は走る。沿線は古い集合住宅や低いビルが並び、そして緑が多い。9分でタープラ駅に着いた。
 前にも書いたとおり、ブルーラインは9の字の形をした路線で、私が今乗ってきたのは9の字の丸い部分の左下で、ターブラ駅は丸から線が突き出た部分にある駅だ。乗ってきた列車はここで終点となり折り返す。下の階に9の字の線の部分に向かう電車が出ているようなので階段で下りる。タープラから郊外に向かって延びる線に乗り、二駅先のバンワーで降りた。ブルーラインは26バーツの運賃。
 バンワーは郊外の駅で、ここも食事をするような場所は駅前に見当たらなかった。私は宿の最寄り駅に着くまで昼食を諦めて、この旅で初めてBTSバンコクスカイトレインに乗り換えた。
 スカイトレインは高架を走る都市電車で、その点は地下鉄よりも車窓が楽しめそうな電車だが、車体側面に広告がラッピングされているので窓が広告で覆われて眺めはよくない。空腹でのんびりと車窓を気にする余裕もなく、乗り換え駅のサイアム駅に着いた。ここでシーロム線からスクンビット線に乗り換えて一駅で宿の最寄りだが、サイアム駅のホームは二層式となっていて、方向別ホームとなっている。二つの路線の同じ方向に向かう電車がホームを挟んでいる構造だ。私は路線別にホームがあるものだと勘違いをして下の階に下りてしまった。やってきたスクンビット線の電車は逆方向で、それに気づいた私は次の駅で降りて乗り換えた。サイアム駅の構造が複雑なのではなく、乗り換えしやすい構造になっているのを、私がそう受け取らなかったのだ。人の親切を疑って回り道をしたようなものである。
 降りるべき駅はサイアム駅の次の駅だった。バンワーから30分以上乗ってきたので運賃は59バーツと、この旅で買った切符でもっとも高い。書き忘れていたが、スカイトレインの切符は地下鉄と異なりカード型だ。乗り方は地下鉄と同じで、入場時にタッチして出場時に投入する。

   ラチャテウイー

 降りた駅はラチャテウィーといった。スカイトレインの駅なので都会に延びる大きな道路上に高架で駅があり、階段で歩道に下りていくと周囲にはホテルやオフィスビルがあった。都会の風景そのものである。見回した先にセブンイレブンがあったので、私は飲み物を求めて入った。ナコーンパトムの往復で水は飲み切っていたのだ。商品棚に「BIG COLA」というメーカーがよくわからないコーラがある。10バーツと安いので購入し、店先で一気に半分以上飲んだ。
 喉の渇きが満たされると空腹であったことを思い出した。私はもう飲食店を探す気力がなくなっていた。時刻は午後3時を回っている。バンコクに来てからのホテル周辺がいずれもそうだったのだが、この町のセブンイレブンも店頭に店とは無関係の屋台が出ている。私はおばさんからソーセージの串を一本買った。大きいからこれで夕食まで持たせられるだろう。15バーツと安いその串は、食べてみると粗挽き肉の詰まったソーセージで、ほんのりとした辛さが美味しかった。
 宿は駅から徒歩10分くらいの位置にある。下町商店街のような細い道を歩いていく。沿道には警備員のいるような高級マンションもあるが、古びたアパートメントが並び、人がやっとすれ違えるくらいの路地に入ると古く小さな家が現れ始めた。宿はその先にあった。
 宿は高い塀で囲まれ、そこに小さな通用門があり、そこから入る仕組みとなっていた。今日泊まる宿はいわゆるゲストハウスといった造りで、用意されている部屋の多くは複数人数用だが、私はシングルルームを予約した。開け放たれた玄関に宿主のおばあさんが私を待ち構えている。
 おばあさんは私よりも遥かに流暢な英語でチェックイン手続きを説明してくれて、私は拙い英語で宿泊者カードに情報を記入する。日本でいうところの旅館の宿帳記入だろうか。地方都市の小さな旅館にやってきたような気分になり、私の旅気分は少し盛り上がってきた。今回の旅で泊まってきたホテルは予約サイトからクレジットカード決済を選択してきたが、この宿は現金決済のみで、私の部屋は408バーツなので財布から500バーツ紙幣を差し出す。お釣りは後から用意するとのこと。
 案内された部屋は館内ではなく、玄関の前の庭に設けられた離れの建物だった。シングルルームは二棟あり、私に用意された部屋の隣にトイレとシャワールームがある。全体的に簡素な造りの宿だが水回りは清潔だった。
 さて、庭に立つ私の部屋の造りである。水色の壁に庭に向いて窓が付き、鍵付きのドアがある。鍵にはドラえもんのマスコットが取り付けられ、部屋にはミッキーマウスの小さなぬいぐるみが窓際の小さなテーブルに置かれ、その横に花柄のマットが敷かれたベッドがある。ベッドの上にはエアコン。無事作動した。ベッドの奥の脇には小さなテーブル。花が飾られ、たあ坊の置物がある。日本の漫画にディズニーとサンリオのマスコット。他人と相部屋を避けたい女性向けのシングルルーム。そんな趣きだ。私はファンシーグッズは嫌いではないので居心地は悪くない。

 少し休んだあと、宿の周辺の散策に出かけた。夕方の下町散策というやつである。来た時の道とは違う道に向かう。人がやっと通れる幅の路地を歩くと、地面に猫がいる。猫は静かに佇んでいる。子供たちが迷路のようなこの路地を歩きながら笑顔で遊んでいる。そして、猫がまた静かに佇んでいる。
 おじいさんが駄菓子屋のような店先にじっと座っている。古びたランドリー屋がある。家の軒下のような空間でおじさんが飲み物を並べて売る店がある。それらを眺め、歩いているうちに道に迷い、商店街のような場所にようやく出ると、そこにセブンイレブンがあった。部屋には水が置かれてなかったのでペットボトルを二本買い、お茶も買う。タイのお茶は想像通り甘い。お茶30バーツ、水は二本で10バーツ。安すぎる水なので少々不安だが、セブンイレブンのマークが付いてはいる。
 また迷いながら部屋に戻り、お茶を少し飲んでから出かけることにした。夕食はここからほど近いMBKセンターというビルに行って探すことにした。先ほど乗り場で迷わされたサイアム駅を降りてすぐにあるビルだ。宿の近くにある商店街には下町食堂、或いは下町居酒屋のような店が何軒もあるが、冒険心が萎み始めている。空腹なので確実を志向している。そんな自己分析である。
 そんな心理状態なので、宿のシャワールームは使わず、市内にあるスーパー銭湯に行ってみることにした。トイレ兼シャワールームには入口に鍵はあるが、着替えを置くスペースがない。庭の片隅にある建物なので、その中で全裸になってシャワーを浴びるという行為が公衆トイレで全裸になっているような違和感を感じたのかもしれない。水回りは清潔で不満はなかったのに、どうも気持ちが後ろ向きだった。
 私がこんなに消極的な行動を取っているのは明日の予定にある。多分それが深層心理に大きく横たわり影響を及ぼしているに違いない。明日は早起きをして出かけるのだ。遊びに行くのではなく病院に行く。その辺の話はその時に書こうと思う。今はとりあえず安全に旅を楽しみたい。
 ラチャテウィーからサイアムまでは一駅16バーツだった。日曜夕方の混雑の中、すぐに駅に到着した。改札から歩いていくと、交差点の上にX字型に延びる大きな歩道橋の上に出る。四方はビルに囲まれている。ビルの側面は電飾で彩られ、夜空に変わった空の暗さを受けて輝度を増している。歩く人々は何かに誘われたかのようにどこかしらのビルに吸い込まれ、私もその中のひとつに入っていった。

 MBKセンターにやってきた。「マーブンクロンセンター」というのが正式名称らしい。開業は1985年とショッピングモールとしては古く、開業当初はアジア最大のショッピングモールだったという。地上八階まであるこのビルだが、検温とアルコール消毒を済ませて館内に入ると想像よりも賑わいは小さかった。所々に空いた空間がある。エスカレーターで上がっていくと階によっては空き空間だらけの所もあった。二年半に亘る社会規模の規制が小売業に与えた影響は大きかったのだ。バンコクを代表する巨大モールでさえも維持できない。いや、巨大モールだからこそ売上が発生しないと維持できないのかもしれない。
 何とも湿った気分で更に階を上がっていく。飲食店が集まっている階があった。空腹なのであちこち探すよりも、ここで店を決めてしまうことにした。そして、私はビールが飲みたくなっている。店先に置かれたメニューにビールの存在を明記している店があった。タイ料理の店ではない。日本料理の店、日本でよく見かけるチェーン店「やよい軒」だ。考えている余裕はなかった。私はビールを飲みながら夕食がしたかった。
 160バーツの天ぷらうどんは美味しかった。各20バーツのサラダとライスで満腹になった。そして、95バーツのチャーンビールは冷えたグラスと一緒に瓶で出て来た。タイのビールであるチャーンビールはコクがあって好きなブランドだ。ラベルに描かれているゾウの姿もよい。
 いい気分になってきた私は、サイアム駅に戻ってスカイトレインのシーロム線に乗ってセントルイスという駅を目指した。セントルイスまでは30バーツだが、スカイトレインの券売機は混雑していることが多く、地下鉄同様にお釣りが硬貨で出てくるので財布が膨らむ問題もあった。
 私はICカードを購入しようと考えた。多めにチャージしておけば券売機で並ばなくても済む。窓口に並んでラビットカードというスカイトレイン用のICカードの購入を告げたが、係員はパスポートの提示を求めた。購入の際の決まりとして外国人はパスポートの提示が必要だと書かれた説明書きを示され、私は窓口から離れた。パスポートは部屋に置いてきた。今回愛用している小型リュックサックのジッパーにセキュリティロックを掛けて、その中に入れてある。
 さて、スカイトレインの路線についての説明を少ししておく。現在BTSバンコクスカイトレインは三路線あり、先ほど宿の最寄り駅ラチャテウィーからサイアムまで乗ってきたのがラインカラーがライトグリーンの「スクンビット線」。今サイアムから乗り込んだのがラインカラーがダークグリーンの「シーロム線」である。両線は1999年12月に同時開業した。軌間はタイ国鉄の1000ミリとは異なり1435ミリで、これは日本の新幹線と同じである。架線柱はなく、電気の供給は第三軌条方式というレールの横に設けられたレールから給電する。これは日本の地下鉄でよく見られる方式だ。このため高架の上は架線柱がないから、すっきりした景観を保っている。
 サイアムから四駅目のセントルイスは2021年に開業した新しい駅で、近くにセントルイス病院という建物がある。
 駅から横道に入ると閑静な住宅街となった。暗いので全貌ははっきりしないがマンションがいくつかあるような風景だ。目指す「湯の森温泉サトゥーン店」はそこにあった。日本のスーパー銭湯のサービスを提供している施設で、コースによっては休憩もできる。私は550バーツの入浴のみのコースを選んだ。
 旅に出てからバスタブのない宿が続いていた。一泊目の福岡もそうだった。久しぶりに湯船に浸かると身体の芯から疲労が抜けていった。新しいサンダルで靴擦れ気味な足も癒せた気がする。

 整った街区が広がっていたセントルイスから33バーツの切符でラチャテウィーに帰ってきた。午後にコーラを買った駅前のセブンイレブンを横目に見ながら横道に入り、下町商店街を歩く。時刻は夜の九時半だが、まだ開いている飲食店もある。いろんな酒が飲めそうなバーもある。また現れたセブンイレブンの先からはアパートメントが現れ始め、街灯の乏しい薄暗い道となった。両側は店だが、もう閉店時間の店が多い。私の前を仕事帰りの女性が歩いている。その事実が、街の見た目とは違い、ここはそれほど怖い街ではないと教えてくれている。三軒目のセブンイレブンが現れた。夕方にお茶と水を買ったここが小さな家が集まる地区の入口で、そこから更に薄暗い道が延びている。もうすぐ宿だが、その前に入店してビールを買う。チャーンビール・エスプレッソという名の500ml缶は60バーツだった。
 宿に至る道は小さな家が並ぶ路地だから、薄暗い街灯が頼りなく道を照らしている。宿の門が見えてくると戻ってきたではなく、帰ってきたという気分があった。思えば、ラチャテウィー駅に降りた時の気分もそうだった。庭の奥の宿の玄関におばあさんが涼みながら座っている。私の帰りを待っていたようだ。私が敷地に入ると門に南京錠が掛けられた。
 おばあさんが先ほどは説明していなかったからと、宿の建物の裏にあるランドリーコーナーなどの場所の説明をしてくれた。いつの間にか庭の隅から猫がやってきて私の後をついてくる。先ほど夕方に少し周囲を散策した時に数匹の猫を見た。その中の最初に会った猫だった。
「かわいい」
 思わず出た日本語に、おばあさんも小さな声で「かわいい」と返し、小さく笑ってくれた。
 庭にある離れのシングルルーム。隣の棟は今日は空いているようで静かだ。私は部屋のエアコンを点け、買ってきたチャーンビールを開けた。温泉で顔、特に鼻を何度も洗ってきた。少し落ち着いてきた気はするが、まだ鼻水は出ていた。それが気がかりだった。
 外はとても静かだ。思えばラチャテウィー駅からここまでの薄暗い道もそうだった気がする。サイアム駅前のビル群とそこに集う人々の喧騒を思い返し、そのサイアム駅から2キロと離れていないここが、こんなにも静かであることに驚いている。
 チャーンビール・エスプレッソはほのかにコーヒー豆の香りがした。いい夜だ。旅に来ているという実感があった。トイレに行こうとドアを開けて庭に出ると、先ほどの猫が現れ、私のあとをついてきた。玄関先でしばらく猫と戯れる。改めて、いい夜だなと思った。

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