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アートを鑑賞する意味とは

 私は美術館に行くのが好きです。俗世界とは隔絶された美術館の空気が好きです。印象派の絵画なんて、タイトルを見ても何が描かれているのかわからないことがよくあります。そのレベルでアートの知識はないです。でもなぜか好き。

 先日も美術館に行ってきました。そこで読んだ館長挨拶が腑に落ちたので備忘録としてここに記しておきたいと思います。

 SNSが普及した昨今、自分とは違う考え方に触れる機会が減っています。しかしアートを鑑賞することで他の目線から作られたものを見て対話を図ることができます。

 

突然ですが、私はKis-My-Ft2が好きです。Twitterでキスマイ専用垢をもっています。フォローしている人もフォローされている人も同じようにキスマイ好きな人ばかり。タイムラインは「今日のMステの北山くんがかっこよかった…♡」「宮田くんのラジオのこの発言が王子様すぎてやばい…♡」みたいなツイートで埋め尽くされています。そうするとキスマイが日本中みんなに認知されているように錯覚してしまうんですよね。実際はメンバー全員を知っている人はそこまで多いとは言えないのに。

こうして、SNSによって自分と同じ価値観にだけ触れることが可能です。このnoteもフォロー機能があり、同様の側面があります。そこにはある種の怖さがあります。自分の世界が、世界の全てに感じられてしまうような。

 ちょっとだけ話が逸れてしまいましたが、館長挨拶はたしかこんな感じで続いていました。

 作品の中には、「なぜこれが評価されているのだろう」こう思われるものもあるかもしれません。しかしそういった作品と対話することで他の考え方に触れることができるのです。

 

 …そもそも、何かの行為に意味を考えること自体、野暮なことなのかもしれません。


それではまた。

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