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自炊輪廻から抜け出せない

自炊が好きである。

冷蔵庫を開き、しんなりしてきた野菜やなかなか減らない調味料などをひっぱり出してきて「ふむ」と少しだけ考える。考えると言ってもどんなご馳走を作ろうか、どんなお酒を合わせようかという高尚なことは考えず、「今日は焼きたいのか、煮たいのか、蒸したいのか」「今日は塩なのか醤油なのか」程度の、今日の気分を自分にお伺いを立てる。

自炊が好きだからと言って料理が得意なわけではない。そして得意料理は何ですかという質問に対する答えは生憎持ち合わせていない。話は逸れるがそのような質問により女子力と言われるものを値踏みしているような輩には、料理は女子力ではない、生活力だ。出直してこい。とは言わない。

閑話休題。先日、思い立って冷凍庫の片付けに着手した。いつでもお味噌汁が作れるように刻んだ野菜を分けて冷凍しているが、冷凍庫の奥の方にある野菜は常に忘れ去られがちだ。冷凍しているから多少放置しても傷むことはあるまいと気も緩んでいる。

刻みにんじん、刻み生姜、お弁当用の冷凍ごはん、ザク切り白菜、油揚げ、鶏肉団子、しいたけ、ミックスベリー、ごぼうチップ、パセリ、実山椒…それは猫型ロボットの便利なポケットのように、はたまたC.S.ルイスの童話のクローゼットの奥のように異世界へ繋がっているのではないかと思うほどに、いろいろなものがこれでもかと出てくる。

そんな中、それはその永久凍土の奥に、失われた時を超えてひっそり眠っていた。1900年代初頭、シベリアでマンモスを発見した学者もこんな気持ちだったのだろうか。人(私)の記憶から消えても、ラップに包まれたそのカチコチ肉は、その時を待ちつづけていたのだ。

記憶を辿っても思い出せない謎肉の正体は翌日いつかの生姜焼きの余りの豚肉だったことが判明した。彼の使命を全うさせるべく、翌日生姜焼きをおいしくいただいた。

自炊は趣味ではないが、自分で(米を)炊き、それにまつわるおかずをこしらえる時間は、クリエイティブかつ没入感をもたらし、さらにややミニマリストの気質がある自分にとっては処分に困る作品を残さないところが気に入っている。冷蔵庫内のスペースが食材の過不足なく空いてきた時にはほくそ笑む。そしてその満足感も束の間、空いたスペースを埋めたくなり、スーパーでまたたんまりと食材を調達するのだ。自炊生活とは調達と消費の無限ループなのである。

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