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10年と今と10年と

大切な人たちのお誕生日には、生まれてきてくれたこと自体がありがたい、おめでたい日だと心の中が祝賀モードになるのに、自分のこととなると年齢を重ねるにつれて365日のうちのさほど特別ではない1日となるのはなぜなのか。それでもお祝いの言葉をかけてもらえることは純粋に嬉しい。今年のお誕生日もそんな感じで過ぎていった。

10歳くらいから30代が終わる頃までの30年近く、「10年後の自分にお手紙を書く」ということをしていた。子どもの頃に図書館で読んだ子ども向け雑誌にそのようなことが書いてあり、私もそれをやってみようと思ったのがきっかけだった。誰かに心を開いて話せない何かを、自分になら話せるのだと気づいた。10年経って最初に書いた手紙を読んだ時には歳の離れた妹が吐露するところを聞いてあげる姉のような気持ちになったものだ。その年から毎年、自分からの手紙を開封するのが誕生日の儀式となった。思春期や死にたいほど辛かった時代のことを、私はずっと私だけに聞かせてくれた。10年後にあなたはもう生きていないかもしれないけど、と綴られていたときには悲しくて心が潰れそうになったが、でも大丈夫、まだ生きてるよと心の中でつぶやいた。

歳を重ねると人生のスピードが加速する。言い方を変えれば子どもの頃よりも10年というものが短くなり、今の自分が10年前の自分からさほど変化していないことに気づいてから手紙を書くのをやめた。おそらく、手紙を書くことを必要としていた自分からも卒業したのだと思う。その代わりに、その頃くらいから変わりたいと強く願うようになった。自分を変えるには何をすればよいのかということが新たな課題となって、気づくと10年近くの月日が経っていた。

大人になったら人は大きく変われるわけではないが、少しは良いほうに変わりたいと思う気持ちを捨ててしまっては、変われないどころか、むしろなりたくない自分に滑り落ちていく。人生はつるつるの坂なのだ。どこかに足掛かりを見つけてはひたひたと上らなければ先へと進めない。もっと自分を幸せにしてあげたい。 私は今日もつるつるの坂を裸足で上る。これから10年後、その先の10年後、10年があといくつ連なるのかわからないけれど、よく生きたね、と言えるその日まで。

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