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書いたものを読んでもらいたいのか問題

「結果的に公開ボタンを押してますが、書く時間そのものだったり、自分と向き合うこと自体に価値があると感じてます!」

ホントそれな

先日そのような内容を、自分で投稿している。
我ながら「ホントそれな」である。毎日更新しているのが、不思議と辛くない。とりあえず月末までやってみようという気持ちこそ持ってはいるけれど、まぁ出来なくても誰に怒られることはない。週末は公園で、キッチンで、お出かけ先で、スキマ時間に書く。最初こそ無理かも、と思ったけど、やってみたらできるもんだ。さほど大変とも感じないので、言葉にすることが好きなんだろうなぁ。外に出してすっきりしてるのかなー。毎日投稿することが、私の目標ではない。自分に会いに行っているだけ、頭の中から出しているだけ。

書いたものを読んでもらいたいのか問題

自分だけのメモファイルではなく、noteの記事として投稿する。それによって読まれる文章として消化されることには、有り難さを感じる。上手にまとまらなくても、そこはエイヤーで。出すって決めたから、書くって決めたから。そんな潔さがあったりする。noteさんもご親切に「◯日連続投稿、おめでとうございます」的なメッセージやら、メダルやらをプレゼントしてくれる。無意識のうちに承認されたい欲求を呼び起こしているのかもしれない。

日記

誰かに何かを伝えたいという気持ちは、たぶんあまりない。
他者に影響を与えたいという気持ちが、私にはない。
相手からこういう風に思われたい、という願望もない。

純粋に心が動いたことを残す、やっぱり日記みたいな位置づけが一番しっくりくる。ゆるい日記。物好きな人がたまに読みに来て、面白がってくれる日記。別に有益な情報はないけど、なーんか読んでしまう日記。あれ、今日更新されてるかなってちょっと気になってもらえる日記。

これほど無益で、人生の役に立たない日記を読みに来てくれる人に。
血と汗と涙の混ざった私の小さな日々を気にかけてくれる、あなたに。
あがいている姿を見せたい。
かっこ悪いところを見せたい。
それが今のところ、私にとって唯一とも言える、表現かもしれない。

はりきってコーヒーを飲ませていただきます!