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子どもが産まれて妻の気持ちがさらに分からなくなった私の妻に関する仮説検証実践(ただし、ほぼ撃沈)

営業の仕事で「人の気持ちをもうちょっと分かるといいんだけどなあ…」と言われ続けていた私がさらに共感性の高い活動を求められる妻への関わりについて、これまで撃沈(≒妻に愛想をつかされる)し続けてきました。

子どもが産まれると輪をかけて撃沈することが多くなりました。1番一緒にいる相手なのに、何を考えているか、私に何を求めているのか、全く分からなくなりました。

子どもが産まれる前は時間が解決してくれることが多かった(というか、距離を置いていただけ)のですが、子どもが産まれると子どものこともあるので、距離を置く訳にはいきません。

そこで、分からないなりに色々と妻に対するアプローチを変えて検証してみました。それでもほぼ撃沈なのですが、自分自身同じ過ちは起こさないようここに記載します。

1.「大丈夫?」禁止令

私「大丈夫?」
妻「………(目の奥が青い炎で燃えている)」
私「大丈夫じゃないよね。ごめんね。」

というやりとりで家の中が氷点下まで下がることが多発することに気づき、「大丈夫?」という言葉を自分の中で禁止にしました。すると、「昨晩寝られなかった?」「子どもは今日何時に起きた?」「お昼食べられなかった?」という具体的な問に変わっていき、会話が成立するようになりました。

ただ40%くらいの確率で「うん…(斜め右下を俯きながら答える)」という返答だったので、ただ具体的に質問すれば良いわけではないということも気づきました。

そこで推理して妻の状態を当ててみることにしました。
例えば、
「何か元気ないみたいだけど、昨日の夜寝られなかった?子ども昨日寝るの早かったし、夜中起きたのかなあと思って。」
というような感じです。すると、今の状態に至る事情を話してくれることが多くなりました。

2.「やろうか?」でなく「やるよ」(ただし、自分が確実にできること)

私「○○(家事育児)やろうか?」
妻「いいよ別に(目の奥が澱んでいる)」
私「そっか。」

というやりとりでまたまた家の中を氷点下してしまった私は「やろうか?」ではなく「やるよ」と言い切ることにしました。しかし、「やるよ」と言っても、「いや、やらなくて良いって」と強めに返されることも30%くらいの確率で起こっていました。
何が原因かなと考え、2つ仮説を立ててみました。

①「ありがとう。お願いね」と言うことが疲れる。というか、「ありがとう」「お願い」って何?家事育児は2人でやるものでしょう?という気持ち
→妻の返答をなくせば良いのではと思い、訊かずに該当の家事育児を取り組みました。
→やった後に「ありがとう」「いやそれは私がやるよ」と言うハードルが下がっているように感じました。

②「ていうかそれ(家事育児)やったことないでしょ…やれないことをやれるように伝える方が疲れるわ…」という気持ち
→その時点で出来ないことは安易に「やるよ」と言わないことにしました。妻の気持ちの余裕があるなと感じた時(大体ご飯をたべて10分くらいした時)に、「○○(家事育児)何だけど、いつも〇ちゃん(妻)にやってもらってるから、自分もやれるようになりたい」と伝えることにしました。

3.「そばにいてくれるだけで良い」はそばにいてスマホするのではない。

「そばにいてくれるだけで、何か起こった時も2人いるから安心する」という妻の言葉を真に受けて、本当にそばにいるだけ(自分の中で同じ空間にいる時間を意識的に増やしていた)を続けた結果、「1人で寝るわ」と言われたことがあります。

この時に「そばにいる」とは「そばにいて会話する」ということなんだということにようやく気づきました。会話も建設的である必要は全くなく、子どものことやテレビ・漫画・本のこといった雑談で良かったんだということにも気づきました。

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こうやってまとめても同じ過ちを繰り返すのだと思いますが、自戒を込めて。

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